2024年12月

渋谷 ゆう子生活はクラシック音楽でできている 家電や映画、結婚式まで日常になじんだ名曲』笠間書院

渋谷さんが、私たちが知らず知らずのうちに親しんでいるクラシック音楽について、その楽曲だけでなく、作曲者や時代背景、楽曲が使われている映画やテレビ番組、さらにはCMに登場する商品に関する蘊蓄などを含め解説しています。あれ、これはどんな曲だっけ、などと思ったら、すぐにググってみて下さいね。有名な曲ばかりですのですぐ出てきます。いやあ、私のようなジジイには夢のような便利な時代になったもんですなあ。

著者の渋谷さんは音楽プロデューサー。どんなことをしているかというと、「音源制作、コンサート企画運営のほか、演奏家支援セミナーや音響メーカーのコンサルティングを行う」方だそうです。プロジェクトの中には、「陸上自衛隊における実弾録音プロジェクト」なんてのもあるそうです。まあ、実弾の発射音なんてとんでもなくダイナミックレンジが広くて、録音も大変なら、再生も大変そうです。世の中にはこういうのが大好きなマニアって人々が一定数は居るんですね。

ところで、渋谷さんは本書の中で、映像作品の中で楽曲を使用する場合の権利関係などについて大変詳しく触れられています。多分渋谷さんが実際のビジネスを通して詳しくなられたのだと思います。私たちが日ごろあちらこちらで耳にしている音楽も、ビジネスで使う場合、作曲者への印税に加え、原盤権を持つレコード会社との契約問題、プレーヤーの権利関係などなど、クリアしなくてはいけない様々な法的制約があるのです。大変興味深く読ませていただきました。

そんな結構面倒くさいお話から、楽曲や作曲家本人のエピソード、さらにはそれらが使われるシーン(結婚式だとか運動会だとかから家電製品まで……)まで縦横無尽に語られます。いやあ、なかなか面白かったですよ。

 

 

原田マハモネのあしあと幻冬舎文庫

「あなたが本書を持って、いつの日かアーㇳのあしあとをたどってくれたら、もっとうれしい」私もアートを巡る旅に出てみたいものです。なにか良いツアーはないかな。あ、これか

モネの足跡をたどりながら原田さんが解説を加えています。原田さんは現在の肩書は小説家がメインでしょうが、かつてはプロのキュレーターとして活躍された方です。その原田さんが適宜図版を交えながらモネという画家個人のみならず、印象派全体、当時の画壇のあり方など、さらには当時のジャポニズムの影響などについて簡潔にして要を得た解説を加えています。これさえ読めば、19世紀のアート事情はバッチリ!な一冊でした。

作品ガイドばかりではなく、実際に見学ツアーなどに参加した場合の簡単なグルメガイドなども収録されていますよ。

ジヴェルニーの食卓の気分を味わってみて下さい。

 

 

原田マハゴッホのあしあと』幻冬舎新書

で、こっちがゴッホ版。モネ(1840-1926)、ゴッホ(1853-1890)と、生没年を比べると分かりますが、完全にオーバーラップしています。日本で言えば江戸末期から明治。長生きしたモネは昭和直前まで存命でしたが。

ゴッホは日本では極めて人気があります。もちろん世界的にも最も高価な絵画作家ですから世界中で人気な訳ですが。それだけではなく、ゴッホは浮世絵などを通して日本に親しみを感じていた、などとも言われています。ゴッホと日本、そして日本人とゴッホを結ぶカギを原田さんが解き明かして行きます。本職のキュレーターの面目躍如、ってところでしょうか。 

ゴッホ巡礼の旅にでかけてみるつもりで本書+マハさんのゴッホを題材にした本(『リボルバー)を紐解いてみるのはいかがでしょうか。

 

ミーシャ・アスター 松永美穂・佐藤英訳『第三帝国のオーケストラ ベルリン・フィルとナチスの影』早川書房

ベルリン・フィルハーモニーといえば、長い歴史を誇る世界有数(最高とも)のオーケストラです。ではありますが、「ヒトラーがドイツ首相となった1933年、このオーケストラは経営的に厳しい状況に追い込まれていた」そうです。時の指揮者フルトヴェングラーは宣伝大臣ゲッペルスの援助を求めました。ま、オーケストラの経営ってのは結構大変なようですよ。どんなオーケストラだって、自分たちの稼ぐ金(演奏会とかからの収益)で自由にオーケストラを維持して行きたいと思っているでしょうが、そんなことが簡単にできりゃ誰も苦労はしない。世界中の大体のオーケストラのバックには企業、放送局、地方自治体、政府などのスポンサーがついています。スポンサーはお金を出してはくれますが、ま、口も出す。そりゃそうでしょう。現在世界一流のオーケストラで自主運営といえるのはウィーン・フィルくらいのもんらしいです。自由はタダでは手に入らない……。ま、あれやこれやでナチスに協力を求めた訳ですが、戦後、ナチス協力者として追及を受けることになりました。ナチス政権期からナチス政権とフルトヴェングラーの関係は必ずしも蜜月関係というわけではなかったようでありますが、第2次世界大戦終結後はナチス協力者として苛烈な追求を受けることとなりました(ナチス党員であったオーケストラの団員はもちろん、ナチス党員ではなかったフルトヴェングラーを含め他の団員も)

フルトヴェングラーは従順なナチス協力者だったのでしょうか?本書をお読みになって考えてみて下さい。

 

ドキュメンタリーではありませんが、この時代のドイツの音楽界をテーマにした映画に『【中古】 愛と哀しみのボレロ/クロード・ルルーシュ(製作・監督・脚本),ミシェル・ルグラン(音楽),フランシス・レイ(音楽)』があります。モーリス・べジャール演出の『【中古】【非常に良い】ベジャール&キーロフ・バレエ ホワイトナイツ・ガラ [DVD]』が印象的に使われていましたね。

 

 

2024年11月

鈴木 貴博日本経済 復活の書 2040年、世界一になる未来を予言するPHPビジネス新書

本書の副題は「2040年、世界一になる未来を予言する」というものです。まあ、その時私は80歳ですので、あまり関係はなさそうですが、子供世代には影響しますよね。

鈴木さんの経歴は東大−ボストンコンサルティンググループ−独立、というピカピカのエリートの方のようです。専門は未来予測とイノベーション戦略。

で、鈴木さんが日本の未来を予測するわけですが、人口の減少も予測される日本、このままでは現状維持すら難しいようです。ではありますが、それをそのまま受け入れてしまっては有能なコンサルタントとしては実も蓋もありません。で、鈴木さんは「これまで30年間、日本経済が地盤低下を続けてきたのは本当にやるべきことをせずに、決めやすいことしか決めてこなかったからだ」という不都合な真実を前提に大胆な提言をぶち上げます。で、ぶち上げたのが「日本経済の魔改造」です。魔改造って、若者向けのクルマ雑誌なんかで目にするコトバです。どんなのかって言うと、軽自動車にでかいアメ車のV8エンジンをぶっこんじゃう、みたいな感じがあります……。私の個人的感じですよ、もちろん。で、鈴木さんがどんな魔改造を意図しているか、は本書をお読みくださいね。

果たして鈴木さんが主張する通り「数字でマイナス×マイナスがプラスになるように、受け入れがたいマイナスの未来が二つ重なることで、絶望の先に希望が見えてくる」のでしょうか。

はてさて、「ときめく」魔改造って現実化するのでしょうか。そもそもあなたは魔改造を現実化させたいでしょうか。あなたはどちらですか。

 

 

植草 一秀千載一遇の金融大波乱 2023年金利・為替・株価を透視する』ビジネス社

本書は2023年の1月に出版されています。ですから書かれたのは2022年ということになると思います。で、2023年が過ぎ、この書評を書いているのが20247月。日経平均のチャートを見ると、一本調子とは言いませんが、そのころから大きな下落もなく上昇しています。こんな相場、私は全く予想していませんでした。植草さんも……。ま、後からだったら何とでも言えるわな。

ということですが、植草さんが本書で指摘している問題は何一つ解決されたとは言い難い状況です。そしてその結果起こるであろう予想図は、今現在でも有効な示唆を与えてくれるものと思います。

私は現在の世界的な株高は中銀バブル(コロナ禍を契機として主要各国において低金利政策(及び過剰流動性の供給)が採られた)によって人為的に演出された相場だと思っています。そうであれば……。そうですよね植草さん?

本書を株式投資の推奨銘柄リストとして使おうと思っておられる方には向かないと思いますが、今後の日本経済の俯瞰図としては役立つ視点を提供してくれるものと思いますよ。植草さんの挙げるリスクは3つ。「第3次世界大戦勃発のリスク、世界恐慌発生のリスク、そして中国大波乱のリスク」です。2023年には起こらなかったわけですが、火種は今現在でもくすぶっています。何しろ植草さんは「戦争は必然によって生じるものではなく、必要によって創作されるもの」なんて指摘しておられます。戦争でさえそうなら……。2024年の後半、2025年以降はどうなるのでしょう。

千載一遇のチャンスは、いつ来るのでしょうか?いつ、と正確には答えられませんが、備えておくことはできます。備えておかなくっちゃ。

 

 

ダニエル・シモンズ、クリストファー・チャブリス 児島 修訳『全員“カモ” 「ズルい人」がはびこるこの世界で、まっとうな思考を身につける方法【電子書籍】』東洋経済新報社

本書の題名のメインは“全員カモ”というものだと思うのですが、本書の表紙には「世界最高学府で教える人心操作の授業」、「ズルい人」がはびこるこの世界まっとうな思考を身に付ける方法」、「頭のいい人ほど思考のワナに気づけない」とかいろいろと書いてあります。本書の原題は「NOBODY’S FOOL  Why We Get Taken In and What We Can Do about It」というものです。小文字交じりのところは、“なんでみんな騙されてしまうのか、そしてどうすれば騙されなくなるのか”とでも訳すんでしょうか。大文字のところの意味は、賢い人、みたいな意味ですので、どうすれば賢く生きていけるのか、なんて意味が隠れているのでしょう。まあ、いまひとつ分かり難い原題ですので、訳者(だか編集者)が表紙にいろいろと書き足したくなる気持ちもよく分かりますね。

で、本書で著者は、「現代の企業は、欺瞞的な手法を標準的な業務手順として採用している。もはやビジネスの世界では、合法と非合法の境界線があいまいになっている」と指摘しています。あなたを騙そうとしているのは何も詐欺師だけではないのです。まともな企業だって高度な(詐欺的な)テクニックを使って私たち消費者の財布のひもを緩めさせようとしているのです。「見聞きしたものをそのまま信じてしまうと、私たちは大きな危険にさらされることになる。かといって、あらゆる物事に対して徹底して疑い深くなるのは現実的とは言えない」私たちは、簡単に騙されるのはいやですが、そうかといってあまり疑り深くなると、社会生活が送れなくなってしまいます。どこかに適当な落としどころはあるのでしょうか。著者が勧めるのは「少し受け入れ、多く確認する」というもの。より詳しくお知りになりたい方はぜひ本書をご参照くださいね。

どういうことか、を一言で言ってしまえば、“賢く”考えなさい、ということでしょう。何しろ私たちの思考というのは、いとも簡単に騙されてしまう、それどころか、自分で自分を騙してしまうものであるからのようです。オレは賢い、なんて思っている人でも、きちんと論理的に考えればたどり着く結論でさえ、何か一つでも通常とは異なる環境などの条件が加われば、簡単に道を踏み外してしまうようです。

本書では、「高い買い物、契約、投資に踏み切る前や、結論を出す前に、「自分はどう思っているか」と自問しよう」って推奨しています。でもこれって私たちが小さな子供に「よく考えなさい」なんて言っているのとまったく同じですよね。まあ、熟達の詐欺師にとっては私たちを騙すことなんて、それこそ赤子の手をひねるようにできてしまうのかもしれませんねえ。自分は賢い、なんて思いこまない方が良いみたいですよ。

 

 

リー・マッキンタイヤ 西尾義人訳 『エビデンスを嫌う人たち 科学否定論者は何を考え、どう説得できるのか?』国書刊行会

現代社会は"ポストトゥルース" (著者のマッキンタイヤさんはそのものずばり、『ポストトゥルース』という本を書いてます)の時代だなんて言われてます。何でも多様化の時代ですから真実まで多様化してしまったのでしょうか。

現在でも、科学で広く支持されている説を否定する考え方があります。「地球平面説」なんていうと、一般的には冗談程度にしか支持されていませんが、地球温暖化は人的要因に起因するのかどうかとか、ワクチンによる疾病予防は有益であるかどうかとか、ガンの民間療法は有効か、遺伝子組み換え作物の安全性、なんてことの評価になると、一般的に圧倒的支持を得ているかというと、けっこう微妙なものがあるかもしれません。 

本書には、「科学否定論者が考えを改めたという話は、たいていの場合、信頼できる人からポジティブな影響を受けたという報告がセットになっている」と書かれています。しかし、我が国における子宮頸がんワクチンを巡る混乱に鑑みると、「信頼できる人」がパブリックな場でポジティブな情報を提供したなんて記憶はありません。それどころか厚生労働省からして一時ワクチンの積極的な接種勧奨は控えていました。今は接種勧奨の差し控えは廃止されたそうですが。どうも世の中には「信頼できる人」が不足しているみたいですねえ。「ワクチンが100パーセント安全だと証明できるのか?」と問うのは「科学への現実離れした期待」をしている、そういう人は「科学をまったく知らない人である」としています。その通りだと思います。では何が誰に期待されるのか、というと責任を持てる個人なり団体がこのワクチンについてはこれこれの効用が期待できる、一方で好ましくない反応としてこれこれがある。好ましい効用と好ましくない反応の確率を比べてみると、統計上有意な差を持って好ましい効用の方が多い、したがってこのワクチンを接種しよう、となると思うんですが、こんな議論は聞いたことありませんねえ。聞いたことがあるのは、そんな陰謀論を信じるなんてバッカじゃねーの、という罵声ばかり。その裏付けとなる議論は抜き。これじゃポスト・トゥルースが流行っても文句言えませんよ。

ところで、こんな統計をご存知ですか?「神を信じる米国人の割合、過去最低に」 ギャラップ調査2022年のこの調査で神を信じると回答した人は81%だったそうです。前回調査の2017年から6ポイント下がっており、調査を始めてからこの75年で最低の水準となったんだそうです。調査史上最低だかなんだ知りませんが、81%ですよ。政権支持率だとしたら、どっかの共産国を除けば、素晴らしい数字じゃないんですか。こんな米国において、マッキンタイヤさんは神の存在も本書で言う科学否定論であり陰謀論であるなんて言えるのでしょうか。それともこれはイデオロギー(だかアイデンティティ)の問題であるから科学的分析にはなじまない、と言うのでしょうか。いずれにせよ、マッキンタイヤさんは本書では宗教的話題は上手に避けているように見えます。

とにかく、この記事のとおりだすると、マッキンタイヤさんのような科学を信じる側は米国では完敗、ということになると思うんですが、どう思われます?

 

2024年10

 

加藤文元数学の世界史』角川書店

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数学の世界史 [ 加藤 文元 ]
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数学の世界史、なんていう本書の題名を見ただけでぞっとした方もいらっしゃることでしょう。

まあ、その評価は概ね正しい、と言えるでしょう。ではありますが、加藤さんの専門は数学史ではありません。以前ご紹介した『宇宙と宇宙をつなぐ数学 IUT理論の衝撃の著者でもあります。従って、本書は通常の数学史の本というよりは、「「世界史の中での数学のやり方・見方の変遷」とでも表現できるような視点から物語が描かれている」ことが特色、なのだそうです。

現在、数学とは時代や地域の制約を受けない普遍的学問、それどころか宇宙のどこに行っても、宇宙人とお互いに理解し合えるような普遍性を持った学問であると理解されています。ですが、「数学は元来「一つの統一された学問」では決してなかった。そして、昔の人々にとっての数学は、いまの我々にとっての数学とは驚くほど違うものであった」のだそうです。そんなことを加藤さんは解き明かしていきます。いやあ、知的興奮を誘いますねえ、ってホントか!!ということで読んでみました。本当に知的興奮を覚えるのか、はご自分でお読みになってご判断くださいね。私は……、面白かったですよ。

 

 

広田 民郎クルマ本解読100冊 ヒトとクルマ社会の過去・現在・未来が読み解ける!』株式会社ごま書房新社

 

100冊ものクルマ本を解説した本なんて買うアホがいるのかよ、とも思いますが、ここに一人はいました。

広田さんは27歳の時にたまたま自動車雑誌の記者に採用され、クルマの整備をテーマにした雑誌の担当になりました。きっと運転免許くらいは持っていたでしょうが、ディープな専門誌の記者ですからね、「人並みに、給料泥棒と蔑まれなくなるには2年の歳月が必要だった」なんて書いています。まあ、そうでしょうねえ。これは私の体験も踏まえた結論ですが、大体どんな仕事でも3年もまじめに努めれば、奥義を極めるなんてのは無理にしても、その仕事の大概のことは分かるとものだと思います。ということで、広田さんはクルマの専門家。

広田さんの場合、その2年間はクルマの整備書ばかり読んでいたそうですから、そこらの自称カーマニア(私も含まれます)なんてのが足元にも及びもつかない知識と経験をお持ちの方でしょう。

で、本書で取り上げられているのは、何らかの形でクルマに関係、というか、本の中のどこかで何らかの形、引っかかり程度でもクルマと関係が認められた本、が取り上げられています。引っかかり程度でもクルマと関係のない本、タクシーに乗った程度の話も出てこない本もないことはないでしょうが、レアじゃないですかね。ということで、本書では実に幅広い分野の本が取り上げられています。私も本書を読みながら、何冊かポチっとしてしまいました。

書評本としても行けるんじゃないですかね。ただ、本書、いささか誤字、校正ミスが多かった。ま、これは編集者の不手際でのあるのでしょうが。

 

 

絲山秋子スモールトーク』二玄社

「クルマ好き之楽しめる小説が、ようやく登場した!」と徳大寺有恒さん(1976年に出版された『【中古】 間違いだらけのクルマ選び 全車種徹底批評 1985年版 』がベストセラーになった自動車評論家です)が激賞したという本です。読んだことはありませんでしたが『クルマ本解読100』紹介されていたので読んでみました。

本書の主人公はゆうこ。多分芥川賞作者絲山秋子さんの分身。で、やけにクルマに詳しい。これだけ的確なクルマに関する描写が見られる小説は珍しい。徳大寺さんが絶賛する訳ですね。ということで、クルマ好きにはなかなか面白い一冊、クルマが好きでない方でも、クルマがその登場人物を物語る小道具になっていて、なかなか楽しめる一冊になっていると思いますよ。

 

 

伊勢谷 武アマテラスの暗号(上)(下)』宝島社文庫

本の帯に「『ダ・ヴィンチ・コード』をしのぐ衝撃の名著!!」って書いてあります。実際にどうであるかは読者であるあなたにゆだねられる訳ですが、本書のコアとなるアイデアがどんなものであるかはよく分かります。

表紙の裏の著者の伊勢谷さんのプロフィールには、「ゴールドマン・サックスのデリバティブ・トレーダーを経て……」なんて書いてあります。ゴールドマン・サックスなんて会社には、「飛び切り優秀」のうえに「とんでもなく」なんて形容詞の付く、それこそヒゲが剃れるんではないかというぐらいに頭の切れる人間でないと入社できないなんてイメージがあります。おまけに、実績を上げ続けないとクビ。まあ、給料がとんでもなく高いのも理解できますね。経験したことないから噂でしか知りませんが。

で、本書のストーリーの背景となる物語そのものは、あ、あれね、と思うような、いわゆる陰謀論の類です。でも「この小説における神名、祭祀、宝物、文献、伝承、遺物、遺跡に関する記述は、すべて事実に基づいている」とわざわざ但し書きが付けられている歴史の蘊蓄とそれらに関する伊勢谷流の解釈が本書に知的パズルとしての面白さを加えています。

で、物語の主人公賢司リチャーディは日本の起源を求め、謎と陰謀とその他諸々のなかに飛び込んでいきます。そして見出した驚愕の真相は……、本書をお読みくださいね。

 

 

 

2024年9月

後藤 逸郎亡国の東京オリンピック』文藝春秋

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亡国の東京オリンピック [ 後藤 逸郎 ]
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この書評を書いているのは2020東京オリンピック・パラリンピックが終了、菅首相も続投を断念した後の時点です。

本書の冒頭「2021723日午後8時、日本は第3の敗戦を迎えた」という一文で始まります。この日時にピンときたあなた、本書が書かれた意図の半ばはお分かりいただけたことと思います。

「オリンピックの強硬開催に至るまでの過程で見えてきたのは、願望に過ぎないものがいつの間にか既定事実化され、それをもとに政策が決定されるという、この国の姿である。当然、物事はうまく行かないが、最後は神風が吹くと言って願望にしがみつく。今の日本政府は、80年以上前の戦争指導者たちと何ら変わらない心性の持ち主であることを示した」ですって。だめだこりゃ。

 

 

雁屋 哲作、シュガー佐藤画『マンガ日本人と天皇』いそっぷ社

ご存知『美味しんぼ』シリーズの原作者雁屋さんが天皇制とは何かを明らかにするために書いた一冊です。

雁屋さんがどのような思想傾向を持つ方であるかは『美味しんぼ』シリーズをお読みの方には想像がつくと思いますのであれこれ述べるのはやめておきましょう。ちなみに私はマンガ『美味しんぼ』シリーズ全冊持ってます。えへへ。

雁屋さんという方、ありていに言ってしまえば、かなり左翼がかっています。私は雁屋さんの見方に大いに賛同いたしますが、本書の第6章「天皇の戦争責任」では昭和天皇の戦争責任を(戦後責任を含め)正面から、厳しく断罪しています。ただし、雁屋さんは昭和天皇の個人的責任追及を求めてはいません。詳しくは本書をどうぞ。

雁屋さんは若い人に向けて本書を書いたそうですが、私みたいな左翼がかったジジイが読んでも面白かったですよ。

 

 

Kダブシャイン 『Kダブシャインの学問のすゝめ』星海社新書

Kダブシャインさんは社会派ラッパーとして知られている方です。高校生の頃交換留学制度を使ってアメリカに留学、大学時代を含め8年ほどアメリカに滞在されたそうです。で、そこから導かれた教訓は、「結果的には学校の勉強はあまり好きではなかったからか、学歴はそこまで誇れるレベルには達しなかったものの、いま人前に出ても大勢の人がそこそこ自分の考えや話に耳を傾けてもらえるくらいになれたのは、ひとえに「教育」というもののお陰だと思っている」ということなのだそうです。

Kダブシャインさんも強調しているように、教育というものは一国の施策として大変重要なものです。

Ray Dalioさんの Principles for Dealing with THE CHANGING WORLD ORDER  Why Nations Succeed and Fail』でも、教育は一国の国力を決定する18個の主要な要因の一つとして教育が挙げられています。ではありますが、日本において教育というものは命を惜しまず戦う兵隊を養成するか、労を惜しまず働く労働者を育成するためのものであり、間違っても創造的思考をする人材を育成する、なんてことは考えてこなかったんではないでしょうかね。お上の言うことには黙って従う平民を育成するためのものであり、決して一国のリーダーを育成するものではなかったんですね。一国のリーダーは教育ではなく、別のプログラムで選ばれます。どういうプログラムかって言うと……。御想像にお任せします。

日本の文部科学省のお役人の方にお読みいただきたいアイデアが沢山書かれています。でも、お役人さんは、「そんなことはできない」って理由を山のように考えそうです。そうではなく、生かせるものをセレクトして使えば良いだけなんですけど、あれもダメ、これもダメで結局何も変わらない。だからダメなんだけどなあ。

 

 

内田 樹街場の米中論』東洋経済新報社

著者の内田さんは神戸女学院大学の名誉教授ですが、凱風館という私塾の館長を務めておられるようです本書に掲載されている著者のプロフィールには思想家、武道家と書いてあります。ヒエー。

これからの世界の主要プレイヤーになるであろう米国と中国。この二か国がどのよう競い合うかによって世界の帰趨は決まるのでしょうが、「僕たち日本人にできることは限られています」。「とりあえず僕たちにできるのは観察と予測くらいです」。ということで、米中論に関する凱風館におけるゼミ生(凱風館では受講生のことをこう呼んでいるみたいですね)の発表およびそれに関して内田さんが語られた講評を基に加筆したものが本書のようです。

本書の中で内田さんは、アメリカは民主主義の国であるが、同時に極めて宗教的であることを紹介しています。「これについてトクヴィルは、それはアメリカが民主制の国だからであるという独特の解釈を下している」のだそうです。本書の議論とはずれますが、日本は一応民主主義の国です。同時に、極めて無宗教の国であるとも言われています。このことは実は日本の民主主義は見せかけであることを示しているのでしょうか、それとも日本は無宗教と言われますが、それは見せかけで、実は極めて宗教的(日本教とか)であることを示しているのでしょうか、それとも全く別のことを示しているのでしょうか。うーん。

 

 

2024年8月

原田 マハ板上に咲く MUNAKATA: Beyond Van Gogh』幻冬舎

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原田さんの3年ぶりの長編アート小説だそうです。今回取り上げたのは棟方志功。

棟方志功はもともとはゴッホにあこがれて青森から上京してきたそうなのですが、「絵を教えてくれる師も、画材を買うお金もない。その上、弱視のせいで遠近感をうまく表現できず、帝展に落ち続ける」状況であったのだそうです。そんな棟方が油絵を捨てて出会ったのが木版画(棟方は版画ではなく板画と呼んでいたそうです)。そんな紆余曲折を棟方の妻チヤの目を通して描いていきます。

 

 

原田 マハ美しき愚かものたちのタブロー』文春文庫

世界文化遺産になったル・コルビュジェ設計で名高い国立西洋美術館ですが、そのコレクションは、実業家松方幸次郎が20世紀初めにヨーロッパで収集した印象派などの19世紀から20世紀前半の絵画・彫刻を中心とする松方コレクションを基礎にして成立しています。

20世紀初めと言えば、日本で言えば明治から昭和初期に重なります。個人的なコレクションであっても、時代の荒波に翻弄されることになりなす。波乱万丈なコレクションの運命が国立西洋美術館の設立に深く関わる4人の男を中心に描かれて行きます。例によって原田マハワールド全開の史実からフィクションまでシームレスに続く物語が語られます。

以前から、なぜ国立西洋美術館の前庭にはロダンの彫刻作品の大作がいくつも並べられているのか不思議だったのですが、本作を読んで疑問が氷塊した。

また国立西洋美術館に行きたくなっちゃった。

 

 

梶よう子広重ぶるう』新潮社

歌川広重といえば「東海道五十三次」のような風景を描いた浮世絵がまず思い浮かびます。しかし広重は40歳ごろまでは売れない浮世絵を描く、その他大勢の町絵師の一人だったそうです(「彼が描く美人画は「色気がない」、役者絵は「似ていない」と酷評ばかり」だったんですって)。その広重の飛躍のきっかけがベロ藍という舶来の絵具との出会いであったそうです。有名な日本橋の画でも描かれている川の水面が真ん中の真っ青から両岸に向かってぼかしが掛かって色が薄くなるグラデーションはベロ藍(プルシアンブルーともベルリン藍とも呼ばれる当時開発された化学染料)によって容易になった色合いなのだそうです。それまでは青色の絵具と言えば、植物由来の藍か宝石であるラピスラズリを砕いて作っていましたので、いずれも非常に高価であったそうです。舶来のベロ藍はそれに比べると安価であったようですし、ぼかしなどの技巧にも向いていたようですので、一気に流行ったようです。

青と言えば、ピカソにも「青の時代」なんていう青を基調とした絵を描いていた時代がありましたね。あれって、青の絵具が他の色と比べると比較的安価であったため多用した、なんていささか興ざめな解説も聞いたことがあります。ヨーロッパでもフェルメールの頃には青は高価でした。

各画家の生没年は、フェルメール1632-1675年、歌川広重1797-1858年、ピカソ1881-1973年です。

 

 

恩田 陸spring』筑摩書房

遠雷と蜂蜜の恩田さんの最新作です。『遠雷と蜂蜜』も、綿密な取材に基づいたストーリー展開が魅力でしたが、本作でもその姿勢は守られているようです。『遠雷と蜂蜜』はピアノコンクールが舞台でしたが、本作はバレエが舞台です。『遠雷と蜂蜜』の舞台のピアノに関しては、恩田自身がピアノ演奏の経験があるようでしたが、バレエに関しては、特に経験があるわけではないらしく、本作は何と構想・取材に6年、執筆に4年もかかったそうです。それとも、小説を書くのにそれぐらいかかるのは普通なんでしょうか。

構想執筆に10年もかけただけあって、恩田さんはバレエに関して玄人はだしになってしまわれたようです。ド素人の私がああだこうだと言えるレベルを完全に上回ってしまわれたようです。で、そこら辺に関する感想はパス。でも、一冊の小説として面白く読めましたよ。

 

 

2024年7月

関 幸彦藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』朝日新書

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2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」の主人公はずばり藤原道長と紫式部。

このドラマでは、紫式部と藤原道長が恋愛関係にあった、という大胆な仮説にのっとったドラマが展開されています。ではありますが、この二人が愛人関係にあったという噂は、実は古くからあるのだそうです。まあねー、道長の父親の兼家もあちらこちらの女に手を出してそのうちの一人に『蜻蛉日記』なんていう暴露手記を書かれちゃってますからねえ、血は争えない、ってことでしょうかね。

源氏物語の成立年代は11世紀初頭とされており、世界最古(最初)の小説とも言われています。ダンテの『神曲』(1304年成立と)に先立つこと300年。読んで気付くのは言葉遣いとかはともかく、現代の私たちとさほど違わない感情の動きをしていることです。1000年前の源氏物語の登場人物を現代に連れてきたとしても、しばらくすれば平気でスマホなんぞを使うようになるんではないですかね。『古代ローマ ごくふつうの50人の歴史 無名の人々の暮らしの物語(こっちは2000年前!)でも指摘しましたが、人間、1000年、2000年では大して進歩しないみたいですね。

 

 

スティーブン・ジョンソン 大田 直子訳『世界をつくった6つの革命の物語 新・人類進化史』朝日文庫

本書の原題は「How We Got to Now – Six Innovations That Made the Modern World」というものです。邦題で「革命」なんて言っているので、フランス革命とか共産革命とかの政治的革命を取り上げるのかと思ったら、「ガラス」「冷たさ」「音」「清潔」「時間」「光」という6つのキーワードにまつわる切り口から発明・発見とは一味異なるイノベーションの歴史が物語られています。

Invention (発明)」ではなく「Innovation」の語を当てていることもからわかるように、ひとつの発明・発見がもたらしたインパクトというより、ひとつの「Innovation」がもたらした波及効果に焦点が当てられています。ガラスの発明も、メガネの発明とか望遠鏡・顕微鏡の発明くらいなら容易に思い付きますが、それがテレビの発明やインターネットの発明に結びついて行く、と言われると何やら「バタフライ効果」(風が吹けば桶屋が儲かる、の西洋版、ですか)のような気がしますが、ジョンソンさんは持ち前の筆力で一気に読ませます。

なかなか面白かったですよ。

 

 

遠藤雅司食卓の世界史』ちくまプリマー新書

「地理的条件、調理技術、伝統、交易の盛衰―――「料理」を通してみると、歴史はますます鮮やかになる」ということで、古今東西の料理を様々な歴史に関わるエピソードとともに紹介しているのが本書です。

世界各国、各地の料理が紹介されていますが、中にはぎょっとするものもありました。「沸騰させたスパークリングワインでコーヒーを注ぎ淹れ、風味を強めるためにコショウとマスタードを加えて味わう」ですって。この飲み方を考案したフリードリヒ大王って、どんな味覚をしてたんでしょうか。私は味わってみたいとは思いませんねえ。でも、本書の記載からすると著者の遠藤さんは実際に作って味わわれたようです。ご立派!!

食べ物の好みというのは、変わらないようで変わりますし、変わるようで変わらないもののようです。

 

 

本郷 和人『歴史学という病』講談社現代新書

 

本郷さんは東京大学史料編纂所教授。専攻は日本中世政治史。この史料編纂所の最大のミッションは「大日本史料」という日本の国史の編纂事業なのだそうです。中国では歴史は重視されており、前政権(というか国)の歴史は次の政権がまとめる、なんてことを読んだ記憶があります。日本だって飛鳥、奈良、平安の時代には「時の律令政府の手によって国史が編纂、作成された」そうです。ところが、901年に完成された「日本三大実録」以後いわゆる国史の編纂はなかったのだそうです。それで、明治政府になり、「すなわち宇多天皇が即位する887年から、幕末の1867年までを対象とする980年分の日本の歴史をまとめようとする壮大なプロジェクトが明治政府の手で始められた」のだそうです。歴史のまとめ方、とは「歴史上の重要事件について概要をあらわす文章(「網文」という)で示しつつ、関連する史料を片っ端から載せていく」というやり方を採っているのだそうです。でも1000年分ですからね。気の遠くなるような手間がかかりそうですね。まあ大方、明治維新の後、諸外国に対抗する手前、歴史をきちんと整えておく必要性があったんでしょうね。わが国には悠久の歴史があり、なんて虚勢を張って諸外国に対抗しようにも、きちんとまとまった歴史の形で史料が整っていないと、それって単なる神話じゃないの、としか思われないということでしょう。まあ、記録の重要性にようやく気が付いたのでしょうが、日本という国の歴代政権は歴史とか記録なんてものには重きを置いてこなかったことの証左でもあるのでしょう。

歴史学には、「人間の内面に踏み込まない」という厳格なルールがあるのだそうです。

小説やエンターテイメントの表現としては許されることも、歴史学という学問の学説としては許されないものなのだそうです。「現在の歴史学の主流は実証を重んじる「科学」なので、人間の内面にこだわってはいけない」のだそうです。そんな歴史学者の立場から考えると、国史の編纂などという仕事は、その時代その時代で処理しておかなくてはいけなかったということがよく分かります。ちょっと前のことであれば、客観的な歴史的事実を拾い集めることはさほど困難ではないでしょうが、今から1000年前のことをまとめようと思っても、客観性を担保するのは著しく困難、もしくは不可能……でしょう。今風の言い方をすれば、データベースの整備、ということでしょうか。最近では世界各国の統計データを共通の基準で評価する研究で経済学界で時代の寵児となったトマ・ピケティなんて方がいらっしゃいましたね。こういった基礎研究があって初めてその次の段階、そのデータをどう評価するのかに進めるのでしょう。どんな学問分野でも似たようなことがあるみたいですね。本郷さん、史料編纂所のお仕事、がんばってくださいね。

 

 

2024年6月

時田 昌瑞『たぶん一生使わない?異国のことわざ111』イースト新書

世の中には知っていたからといって役に立つ知識ばかりとは限りません。知っていたからといって別に褒められもしない知識も数多くあることでしょう。でも、実用一点張りでは人生がつまらないものになっちゃいますよね。知っていれば飲み屋での会話のネタになるかもしないことわざの無駄知識。ま、これで人生、少しは面白くなるかもしれませんねえ。

そんな例が「縁の下の力持ち」。現在ではよい意味で使われますが、明治時代までは無駄なことするって意味だったらしいですよ。知らなかった……。

 

 

Sindy Sheldon The Other Side of MeWarner Books

 

 

真夜中は別の顔』、『ゲームの達人』、『明日があるなら』といったベストラーで知られるシェルダンさんの自伝です。シェルダンさんは「18冊の小説は51言語で翻訳され、3億冊以上の売上げを記録し、世界で最も翻訳された作家としてギネスブックでも賞賛」されているそうですよ。とは言え、シェルダンさんの人生が順風満帆そのもので何の曇りもなかったかというとそうでもなかったみたいです。邦題は『僕はいかに逆境をのり越え世界一翻訳された作家になったのか』となっていますから、内容的にはその方が分かり易いといえば分かり易いかもしれませんね。

稀代のストーリテラーと言われるシェルダンさん、読者を飽きさせない手練手管を知り抜いておられます。シェルダンさんの小説を私はよく通勤電車の中で読んでました。その短い時間の中でも飽きさせないようにちゃんと面白い山場を用意してくれているんです。そんなシェルダンさんの自伝ですから読む前から面白くないはずがないではありませんか。期待を裏切らない一冊でしたよ。

シェルダンさんはハリウッドやブロードウェイ、さらにテレビでも脚本家としても活躍された方(MGMでは監督・プロデューサーまで務めていそうですよ)ですので、往年のハリウッド映画がお好きな方には懐かしい銀幕のスターたちの名前がシェルダンさんの個人的・直接的なエピソードとともに登場しているのも本書の読み処のひとつでしょう。

 

 

ラーフル・ライナ 武藤陽性訳『ガラム・マサラ!』文藝春秋

ガラム・マサラ! [ ラーフル・ライナ ]

本書の題名はガラム・マサラ(ガラム・マサラとは主にインド料理で使われているミックススパイス。-Wikipedia)、著者名もラーフル・ライナさんと何やらインド的。ってことはインド・カレーのレシピ本かなんかなと思うとさにあらず。「手段を選ばず、お子さんを志望校に入れる。それが僕の仕事です」なんてことを言っちゃう教育コンサルタントの「僕」が主人公のドタバタ・ミステリ小説です。ライナさんにとって本書は作家デビューとなる作品だそうですが、インドでベスト・サラーになったみたいです。

本書は荒唐無稽な小説ではありますが、本筋のドタバタ・ミステリを楽しみながら、そこここに描かれている日本人にはなかなか窺い知ることのできない、人口で中国を追い抜いて世界一になった現在のリアルなインドをうかがい知ることができるのも本書の魅力でしょうか。間違っても感動的ではありませんが、なかなか面白かったですよ。

 

 

谷崎潤一郎ほか『あまカラ食い道楽』川出書房新社

本書の題名になっている「あまカラ」というのは、「西の「あまカラ」東の「銀座百点」、と並び称された伝説の食通雑誌」なのだそうです。で、その「「あまカラ」より東西の食いしん坊自慢による舌鼓垂涎のベストエッセイ三十一皿」を再集録したもののようです。「あまカラ」の刊行は1951年から1968年だそうですから、戦後の混乱からようやく抜け出し、高度成長へ向かう、なんて頃でしょう。執筆陣も当時第一級の文化人ばかりです。で、その皆さんが味とか料理についてあーだこーだ書いてます。興味のない方には読むのも苦痛でしょうが、私は結構面白く読みましたよ。

2024月5月

 

2024年5月

立川 談慶 的場昭弘監修『落語で資本論 世知辛い資本主義社会のいなし方』日本実業出版社

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落語で資本論 世知辛い資本主義社会のいなし方 [ 立川 談慶 ]
価格:1,980円(税込、送料無料) (2024/3/24時点)

慶応大学でマルクス経済学を専攻された落語・立川談慶さんが、古典落語の知と芸を以て『資本論』を読み解きます。「「人間の愚かさ」を経済方面で理論化したものが『資本論』ならば、同じものを生活哲学にまで極めたのが「落語」ではないでしょうか」ということらしいです。

まあ、談慶さんの師匠の談志さんも面倒くさい人だったらしいですが、マルクスも負けてないらしいです。『資本論』って本は有名ですが、難解なことでも有名で、結局誰も読んだことがないんで有名な本になっちゃいました。そんな『資本論』を読み解いてくれるのが談慶さん。談慶さんは落語家ですから、お話が上手なのは当たり前。面白おかしく読み進めるうちに『資本論』のあれこれが分かっちゃう、という仕掛けです。

談慶さんのお話、全部が全部腑に落ちる、という訳ではないでしょうが、私でも読んでいる最中、その通り、と思わず膝を打っちゃうようなお話がいくつもありましたよ。

 

 

長沼 伸一郎世界史の構造的理解 現代の「見えない皇帝」と日本の武器【電子書籍】』講談社

本書は、「完全な初歩向けに易しい用語から始める入門書と、専門用語で埋め尽くされた高度な専門書」の中間レベルを狙った本なのだそうです。これ一冊をマスターすれば経済学とはどんなものなのかの全体像が分かり、さらにその細部を知りたい場合には当該分野の専門書をお読みください、ということのようです。で、本書はその壮大ない意図にかなっているのか、というと、本書は2020年のビジネス書大賞に選ばれているそうですので、目標達成!!ということのようです。でも、2020年のビジネス書大賞って、4年も出遅れちゃってるよー。私もアップデートしなくちゃね、ということで、遅ればせながら読んでみました。

長沼さんは在野の学者、という位置付けになる方のようですが、まあ、とんでもなく頭の良い方であるようです。経済学は一応専門外ではあるようですが、その分析は途轍もなく鋭いものがあるようです。日本と米国の似て非なる資本主義の本質は、「米国の資本主義は夢によって駆動され、日本の資本主義は心配によって駆動される」にあると長沼さんは喝破されていますが、私には大変納得させられるものがありました。より詳しくお知りになりたい方は本書をご参照くださいね。

なるほどビジネス書大賞受賞も当然と思わせる本書、お読みでない方も今からでも遅くはない、と私は思います。それほど鋭い経済学(及び経済それ自体)への分析でした。

 

 

松田悦佐『生成AIは電気羊の夢を見るか?』ビジネス社

生成AIは間違いなく昨今の世界的株高の要因のひとつです。では、生成AIの未来はバラ色であるか、と言えば、そうでもないんではないの、というのが松田さんの懸念であるようです。

著者の松田さんは米ジョンズ・ホプキンス大学大学院で歴史学、経済学の博士課程を修了されているそうです。米国では博士号を二つ持っている方をたまに気かけますが、日本人では珍しいような気がします。いずれにせよ、折り紙付きの頭脳の持ち主、ということでしょう。

現在市場に出回る工業製品は、基本的には完成された商品として世に出ます。ですが、DARPA(米国連邦政府国防総省国防高等研究計画局)の落とし子である「インターネット」の成功以来、「「いろいろややこしい問題はあるが、それは噴出したあとでゆっくり直せばいい」というスタンスで次々に基本的欠陥を抱えた科学技術が、その欠陥を根本から修正することなく実用化されてきた」と指摘しています。自動車で言えば、故障続出でリコール頻発のほとんど欠陥車が大手を振って道路を走ってるよ、ということでしょう。で、生成AIについて言えばと言うと、「自分では一生懸命誠実に人間に協力しているつもりなのに、ときどき錯乱状態に陥る」状態の製品が流通している、と指摘しています。なんでこんな未完成の技術が流通しているの、という当然の疑問に対しては、「2021年に機関投資家だけでこっそり盛り上がっていたバブルが弾けて出た莫大評価損をなんとか少ない実現損、できれば実現益にしてしまおうという救済活動である」という何とも説得力のある裏事情を明らかにしています。バブルの損失は新たなバブルを起こす以外、埋めることはできない、という古今東西を通して証明されてきた法則がここでも証明されてしまったようです。

そう言えば、20242月に時価総額が2兆ドルを突破(Bloomberg エヌビディアの時価総額、一時2兆ドル突破−AIブームで急速に拡大)、時価総額ベースで世界4位になったエヌビディアについても言及されています。何て書かれているかご興味のある方は本書をご参照くださいね。

そう言えば、アップルも10年もかけてきたEV開発計画を白紙撤回するそうです(Bloomberg アップル、EV開発計画を白紙に−10年がかりのプロジェクト断念)。

はてさて、AIバブルはいつ崩壊するのでしょうか。それとも崩壊しないのでしょうか。私は前者であると思うのですが……。

あ、本書で興味深い特許戦略を見つけました。「中国が出てきた研究分野からは引っ込む」という作戦だそうです。いやあ、とんでもなくうがった見方ですねえ。ではありますが、なかなか正しそうだ、なんて思うのは私だけでしょうか。

ところで、本書の題名はどっかで見たことがあるなあ、と思ったら、映画『ブレードランナー』の原作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』のパロディーのようです。なかなかおしゃれな題名を付けますね。

 

 

森永 卓郎書いてはいけない――日本経済墜落の真相』三五館シンシャ

昨年ステージ4の膵臓がんであることを公表した、森永さん渾身の一冊です。

本書まえがきの冒頭に、日本のメディアには決して触れてはいけないタブーが3つある、としています。その3つとは、

1)ジャニーズの性加害

2)財務省のカルト的財政緊縮主義

3)日本航空123便の墜落事件

なのだそうです。1番目は大っぴらになっちゃいましたね。で、本書では2番目と3番目のタブーも大っぴらにしちゃてます。詳しくは本書をご参照下さい。

本書の内容に関連するのでしょうが、最近発表された日銀のゼロ金利解除についても大批判しています(スポニチアネックス 森永卓郎氏 ゼロ金利解除をバッサリ「5年や10年先にやらなきゃいけないことは今、やっちまった」)。はてさて、どちらに軍配が上がりますか。私は森永さんだと……。

 

 

2024年4月

ウェルナー・ヒンク 語り 小宮 政安 構成・訳『ウィーン・フィル コンサートマスターの楽屋からARTES

元ウィーン・フィルハーモニーのコンサート・マスタ−を務めた著者が、クライバー、ベーム、カラヤン、小澤征爾といった名指揮者たちとのエピソードや、オーケストラにまつわる思い出などをまとめたものです。

その中でも私が最も興味深いと思ったのはカラヤンとのエピソードです。ヒンクさんは、カラヤンは「カリスマ」であったとし、「その存在はオーケストラの多種多様なメンバーを魅了し、彼と一緒に演奏したいと強く願わせるような力を、強く放っていた」と最大限の称賛を送っています。日本にはアンチ・カラヤンも多いようですが、カラヤンって良きにつけ悪しきにつけ強烈な人だったみたいですね。

で、その「カリスマ」に関しては、「ちなみにこの「カリスマ」というものは、人に教わって身に付くといった類のものではなく、いわば天性の賜物です」としています。ヒンクさんは指揮者コンクールの審査員などをすることもあるのだそうですが、「カリスマの有無は、コンクールの受験者が指揮台に立った瞬間にわかってしまう」と身も蓋もないことを言っています。まあ、言っていることが分からないでもないのですが、微塵もカリスマ性のないこちとらとしては、なんとも口惜しいというか、割り切れないものがありますね。

 

 

野田 浩資音楽家の食卓 バッハ、ベートーヴェン、ブラームス… 11人のクラシック作曲家ゆかりのレシピとエピソード』誠文堂新光社

野田さんはドイツ料理のレストランのシェフ。でもって「音楽家の足跡を十数年かけて訪ねる旅をしてきました」という方です。趣味はクラシック音楽鑑賞。料理を通して音楽家の人生を語らせるにはもってこいの方でしょう。

一般的に(なんて大風呂敷を広げて大丈夫かいな)音楽家には健啖家が多く、いわゆる芸術家(画家とか)は食にはあまり関心がない、なんて言われてるみたいです。ロッシーニのように美食家として有名な音楽家がいる一方で、ピカソなんてバ〇の一つ覚えみたいに舌平目のムニエルばかり食べていた、なんて言われています。

音楽家のイメージって、華やかなパーティーや音楽会での演奏、ってイメージなのに対して(それでも、パーティーの出席者ではないですねえ)、画家のイメージってのは、食うに困った画家が、最後のお金でやっぱり絵具を買っちゃう、なんてイメージがありますからね。本当かどうか知りませんが。

本書に登場する音楽家(作曲家)は、野田さんの本職の影響なのか音楽の趣味の影響なのか分かりませんがドイツ、オーストリアといった諸国の出身者ばかり11人。ドイツ語圏はフランスみたいな美食の都というイメージはありませんが、充分おいしそうな料理(や飲み物も)の数々が面白いエピソードや美しい写真、そしてさすが専門家、実際の料理(おそらく野田さんが調理されたのでしょう)の調理例やレシピとともに紹介されています。

 

 

原田マハアノニム』角川文庫

私のお気に入り原田マハさんが今回は現代アートの巨匠、ジャクソン・ポロックの作品を巡って物語が展開されます。

もう一つのテーマが美術品の盗難。著名な美術品なんて、換金が難しいため普通は盗みの対象になりにくいと思うのですが、それにしては盗難が多い。その裏には……と、原田マハワールドが展開されます。

物語には原田さんのキュレーターとしての知識、経験が彩を添えます。

ちょっとネタ晴らしをしてしまうと、本書の中でポロックのある作品が2億3千万ドル(手数料を入れると2億7千万ドル余り)で落札される場面が出てきます。本書発表の20176月時点では最高額であったのでしょうが(例えフィクションだとしても)、同年11月、レオナルド・ダ・ヴィンチのサルバトーレ・ムンディが4億5千万ドル余りで落札されたことがニュースになりした。現実がフィクションを越えちゃったんですね。

ともあれ、面白いこと間違いなしの原田マハ作品でした。

 

 

山上 やすお死ぬまでに観に行きたい世界の有名美術を1冊でめぐる旅』ダイヤモンド社

著者の山上さんは大学では美術を学ばれたそうですが、現在は「海外をメインとした旅行の添乗員として1年の半分以上は世界を飛び回」っている方だそうです。博物館学芸員としての資格も持ち、「美術館などアート関連の添乗で高評価を得」ている方だそうです。日本語のできるプロの学芸員が案内してくれる海外美術館巡りなんて、私でも行きたいと思いますからねえ。ググってみるか。

で、ルーブルなんかは行ったことがありますので、本書に紹介されている作品も確かに見ました。確かに見たんですが、学芸員が間近で説明してくれたわけではありませんからね、私のような素人はただ見た、って感じですね。解説付きで見たかったですよ。ということで、見る前に読んでおくのもよろしいでしょうが、見た後に読んでも面白かったですよ。

 

 

パピヨン本田常識やぶりの天才たちが作った美術道KADOKAWA

著者のパピヨン本田さんは2021年に現代の美術事情に関するあれこれを発信するブログをツイッター上で発表、人気となった方です。1995年生まれですので、私の娘と同年代です。あら、出身大学も娘と同じだわ。

本書では、とかく「分かり難い」「何を描いてるんだ」「難解」、……で、結局「何が良いんだ」「こんなもの要らない」なんて評価を受けがちな現代美術を、パピヨン本田さんが作家本人を作品とともに時系列で紹介、どういう発想からそのような作品を作るに至ったのか、なんてことをゆるいイラストと共に紹介して行きます。

芸術作品の良し悪し、というか、自分が本当に好きかどうかなんてのは美術館で鑑賞するだけでは分かり難いものだと思います。究極、自分でお金を出して買って所有、時間をかけないと分からないんではないでしょうか。オールド・マスターズの作品なんてのは私たちが買えるような値段でありませんが、現代作家、今はまだ有名ではない方の作品であれば、サラリーマンでも手の届く金額で手に入ります。どうです、あなたもコレクター・デビューしてみませんか。

 

 

2024年3月

フレデリック・ラルー 鈴木立哉訳『ティール組織.』英治出版

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ティール組織 [ フレデリック・ラルー ]
価格:2,750円(税込、送料無料) (2024/1/25時点)

著者のラルーさんは「マッキンゼーで10年以上にわたり組織変革プロジェクトに携わったのち、エグゼクティブ・アドバイザー/コーチ/ファシリテーターとして独立」したという経歴の方だそうです。そのラルーさんが次世代型組織はどうなるのか、どうあるべきなのか、を考察したのが本書になります。で、どんな組織を考えたのか、は本書の英文タイトルとサブタイトル("Reinventing Organizations    A Guide to Creating Organizations Inspired by Next Stage of Human Consciousness")を見た方がわかり易いようです。

次のレベルの人類の気づき、なんてアセンションですねえ。

本書の最初の方に人類の歴史と組織の変化について簡単にまとめてありますが、その構成員である人類の変化・進歩と独立して組織が変わるなんてことはあり得ないことが分かります。

現在の社会組織を鑑みると、いろいろと粗が目立ちます。それとは別に、テクノロジーの進歩が今まで不可能だったことを可能にしています。コロナ禍で俄かに脚光を浴びたテレワークなどはその例でしょう。

私も拙論(コンプライアンスとリーダーシップ)で年齢人口構成(人口ピラミッド)の変化がもたらす組織の形態の変化、あるいは社内メールの普及がもたらす稟議手続きの変化などを取り上げたことがあります。

組織というものは、正面切って改革しようとしても大変な抵抗にあいますが、では絶対に変わらないのかというと、意外とそうでもないようです。

本書の帯に元サッカー日本代表監督の岡田武史さんが推薦の言葉を寄せていますが、人類の進歩もサッカーとのアナロジーで考えると分かりやすいかもしれません。チームが強くなるためには、個々の選手のフィジカルの強化は欠かせません。しかし個々の選手がプロテインを飲んで筋トレをすればサッカー選手としてレベルアップできるかと言われれば、そんなことはなく、サッカー選手としてのスキルアップも不可欠でしょう。で、個々人の選手が強くなればチームが強くなるかと言えば、そうではなく、チームとして個々人の力をチームとして統合する必要があります。ここまでできれば終わり、『新版 歴史の終わり』になるのかと言えばそうではなく、その他のチームも同じようにレベルアップしてくるのですから、個人としてもチームとしても不断のアップデートが求められるのでしょう。人類の進歩、私たちの組織形態も同じことでしょう。

本書では実際にティール組織を立ち上げるにはどうすれば良いのか、のノウハウが実際にそのような組織を運営している企業(営利企業も非営利団体もありますし、上場企業もあります)などを研究した成果として大変具体的に語られています。

それを読んでいて感じたのは、サッカーのアナロジーではありませんが、経営トップ(サッカーであれば監督)が変われば下々のものは勝手に付いてくるのではなく、社員一人一人に意識的にティール組織の一員として行動してもらう必要があります。

著者のラルーさんも本書に引用されている文献著者も、現在の社会は多くの問題を抱えていると同時に、大きなブレークスルーの萌芽が認められると認識しているようです。

しかしですね、最近の日本ばかりでなく諸外国の政治的混乱を鑑みるに、果たして私たちには次のステップに進む準備ができているのだろうかという疑問が湧いてくるのは私だけなのでしょうか。

 

 

トーマス・グリダ、テッド・マン 御立 英史訳『GE帝国盛衰史 「最強企業」だった組織はどこで間違えたのか』ダイヤモンド社

本書は2017年8月にジェフ・イメルトの後任としてGEの新CEOにジョン・フラナリーが就任する時期の情景から始まります。実は、フラナリー新CEOはその後1年余りで解任されてしまうのでした。あれま。

GEと言えば、フラナリーの前々任者になるジャック・ウェルチが『ジャック・ウェルチわが経営思いっきり自分とGEの経営手法を自慢したので経営の成功例として有名になりました。が、フラナリー新CEOの就任のころにはメッキがはがれちゃってたみたいです。だもんで、フラナリー新CEOのモットーは「見せかけの成功を追うな」(No more success theater)だったんだそうです。で、あっという間にクビになっちゃった。良薬は口に苦し。今回は苦すぎちゃったみたいですね。

GEの好業績が紙の上の操作に過ぎないのではないか、なんて不都合な真実に気が付いたのはフラナリーが最初だった訳ではないようです。前任のイメルト(2001年から2017年までCEO)だって気が付いていたみたいです。おまけに時代がジャック・ウェルチ時代のような会計操作を許さなくなっていました。エンロンを始めとする会計不祥事をきっかけとして会計基準が厳格化され、2002年には米国企業改革法(サーベンス・オクスリー・アクト)が成立、「企業統治と内部統制のあり方が大きく変わった」のです。で、GEの株価は低迷、ダウ式平均株価(ダウ 工業株30種)の構成銘柄からも外されちゃうことになりました。

配下の部門、部下に無謀な目標を設定、いかなる手段を用いても目標の達成を強制。目標が達成されれば自分の経営手法が優れていることの証左であると喧伝。日本でもチャレンジとか言って社員には目標必達を課す……なんて会社がありましたねえ。どことは言いませんが。破綻しましたけど。こういった無理筋の経営手法ってのは洋の東西を問わないみたいですね。

たった1年でクビになっちゃったフラナリーにしても、無能という訳ではないのでしょう。人生ってやつはままならないものなんですね。いやあ、諸行無常……でしょうか、を感じる一冊でした。

 

 

Ray Dalio Principles for Dealing with the Changing World Order: Why Nations Succeed and Fail AVID READER PRESS

 

レイ・ダリオさんは運用資産1500億ドル(たぶん21兆円。金額が大きすぎて位取りがあやしいぜ)という世界最大の資産運用会社ブリッジウォーター・アソシエイツの創業者です。ま、今更金儲けでもないだろう、ってくらいのお金持ちでしょう、きっと。功成り名を遂げた方にありがちなことですが、学問、中でも哲学、なんて方面に興味を持たれたようです。「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」なんてことを考えちゃったんでしょうね、たぶん。そういやジョージ・ソロスさんもオープン・ソサエティ財団なんて慈善団体を大々的に立ち上げてましたよね。人間、物欲・金銭欲が満たされると。その次が欲しくなるんですねえ。私もそんなことが考えられるご身分になってみたいものですなあ。

本書の題名を全部記すと『Principles for Dealing with THE CHANGING WORLD ORDER  Why Nations Succeed and Fail』というものです。訳すと、『変化する世界秩序のもとで投資をするための原則 なぜ国家は成功したり失敗したりするのか』なんて感じでしょうか。

本書の中でダリオさんが重視しているのが、歴史のアナロジーです。単純に歴史が繰り返されるわけではありませんが、よくよく観察してみると、類似点がみつかるのだそうです。日本のことわざに売り家と唐様で書く三代目、なんて言いますが、どんな国でも同様であるようですし、個人ではなく国家においても同じようなことが起きるみたいです。

人間なんて、話している言葉とか、着ている服とか、時代々々のテクノロジーとかは異なっているにせよ、歴史的に見ると因果律ってのは結構一般的に適用されうるもののようですので、人々は似たような状況の下では似たような発想や行動をするものなんだそうですよ。で、似たようなことが起きる。現在の状況と似ているとダリオさんが感じるのが19301945年ごろ。うーん、きな臭い。どのように類似しているのか、現在その期間中のどこらへんにいるのか、次は何が起きそうか、などは本書をお読みください。

ダリオさんは個人的にもビジネスの上でも非常に深く中国に関わっているようです(息子さんを早くから中国に留学させているみたいですよ)。それにしては、現在の中国の政治状況に関しては専門ではない、として慎重に言及を避けています。言及しない、ということも何か重要なことを意味しているのでしょうか。私にはそう読めました。ダリオさんも中国人の思考方法について詳しく分析しています。

ハードカバーで500ページを越える大部の本書ですが、ダリオさんは全部を読む暇はない、なんて方のために、重要なところは太字にしたり、見印を付けてくれたりしています。拾い読みしても良いんですって。私は一応全部に目を通してみました。ま、だからって投資で大成功する、ってこともないでしょうが、なかなか面白かったですよ。特に日本の明治維新についての記述が目新しかったですね。別に知らなかった史実が明かされる、なんてことはありませんが、明治維新を諸外国の動乱・改革・革命と同列に並べて評価する、というのは日本の歴史家には望めない視点であり、新鮮でした。

各国がポスト・コロナへ向けた政策(各国の対コロナ政策ってのはQuasi-MMTMMT理論の応用であるとは表立って主張してはいませんが、実際に採用された政策は極めて近似性が強い)だったと私は思っています)を採用し、コロナ政策の後始末を始めた現在、それらの政策は経済、さらには各国の国際的パワーバランスにどのような影響を与えるのでしょうか。

ダリオさんは投資活動におけるキモとなるポイントを明かす一方で、自分が結果的に間違った判断をした場合でも自分(と家族)を守れるようにしておくことの重要性も強調しています。のめり込むと危険、ということでしょうかね。

私は極めて示唆に富む面白い本だと思いました。あなたはどのように思われまするでしょうか。

 

 

トマ・ピケティ 村井章子訳『自然、文化、そして不平等 -- 国際比較と歴史の視点から』文藝春秋

2013年に刊行された『21世紀の資本が世界的ベストセラーになったピケティさんの新刊です。本書は2022年に行われた公講演の原稿に加筆訂正を加えたもののようですので、ピケティさんの最近の興味、問題意識がコンパクトにまとまっています。

ピケティさんは『21世紀の資本』において、富は富める者の手に集中する、という何とも不公平な原理を明らかにしたピケティさんですが、現在「国内および国家間における世界の所得と富の分布の歴史的推移に関する最も広範な利用可能なデータベースへのオープンで便利なアクセスを提供することを目的」とする世界不平等データベース(WID.world) というものを公開されています。ここで、所得、資産などの格差、さらにジェンダー格差に関するデータを公開しています。

各国の歴史的データを基に分析すると興味深い事実が明らかになります。現在、スウェーデンは世界で最も平等な国と思われています。日本でもスウェーデン・モデルなんて言ってお手本にしようとしています。でも、データによれば、別にスウェーデン国民が人間的に優れているから、とか、スウェーデンの自然環境のしからしむところによる、なんてことは全然ないことが分かるのだそうです。「スウェーデンは長い間ヨーロッパで最も不平等な国の一つだった」のだそうです。そうではなく、1930年代から政権を取った社会民主系の政権による社会運営が背景にあることが明らかにされています。つまり、人々の政権選択が現在のスウェーデンを実現させているのです。政権選択の重要性が分かります。ぜひ投票所に行かなくっちゃ。

世界の不都合な真実の一端を明らかにする本書。皆様もぜひご一読を。

 

 

ボストン コンサルティング グループ編BCGが読む経営の論点2024』日本経済新聞出版

私も経営学の学位を持っていたりしますので、最近の経営学における問題意識とその標準的なソリューションなんてものを知っておくのも悪くないのではないの、なんてことで本書を読んでみることにしました。

ボストン・コンサルティング・グループ(以下BCG)は世界50ヶ国90以上の都市に拠点を展開し、約30,000人のスタッフを擁する、グローバルな戦略系コンサルティングファームとして知られるており、2023年には米国の就職情報サイトVault社による「世界で最も権威あるコンサルティングファーム」にも選ばれているそうです。トップ・ビジネス・スクールを出たピカピカのMBAたちがしのぎを削るトップ・コンサルタント会社ってことでしょう。私には縁遠いなあ。

でも。コンサルタント会社が何をしてくれるところなのかは今一つはっきりしません。新興宗教や詐欺と紙一重なコンサルタントもいますしね。で、トップ・コンサルタント会社BCGが意地を懸けて現時点における経営に関する今後取り組むべき論点をまとめたものです。具体的には、現代社会に関するマクロな論点4つ、「日本企業が今後勝ち抜いていくうえで獲得が必要となる4つのケイパビリティ」の合計8つの論点をBCGの誇るトップ・コンサルタントの面々が解説、ソリューションを提示して行きます。

どうですそこの社長さん、BCGにコンサルを依頼する気になりました

 

 

20242

本郷 和人「合戦」の日本史 城攻め、奇襲、兵站、陣形のリアル』中公新書クラレ

本書の取り扱うテーマは「合戦」です。

戦後長らく軍事研究に属する「合戦」とか「乱」(応仁の乱とか)「変」(本能寺の変とか)「役」(前九年の役とか)などの研究は日本の学界において一種のタブーであったそうです(戦後はもちろん、皇国史観が幅を利かせていた戦前も)。ですからきちんとした学問的、学術的研究は行われず、小説や講談などで語られた勇ましい与太話が広く信じられてしまう事態になっているようです。

え、昔の戦役なんて学問の対象になるのか、と思われるかもしれませんが、世界の学問の世界では、昔の戦役(古代の戦役を含め)は立派に研究の対象になっています(『人はなぜ戦争を選ぶのか 最古の戦争史に学ぶ人が戦争に向かう原理 / トゥキュディデス』なんて本もご紹介して通りです)。今とは使える武器、技術は異なっているかもしれませんが、その時代の軍人、政治家たちはその当時としての知力の限りを尽くして戦ったのです。ですから合理的、理屈に合ったことをしています。「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」って言うではありませんか。おまけに大きな戦役についてはその記録も大体の場合あります。奇想天外な敵の意表を突く作戦、なんてのは、まあ、小説や講談の世界の出来事なのです。ですから学問的研究の対象に適しているはずです。それなのに日本では。まあ、ちょっと前まで神国日本には神風が、なんてことを一般人だけでなく軍人まで信じてた、んだか信じたふりをしてたんですからしょうがないのかもしれませんが。

本書では兵站の重要性、なんてことにも触れられています。兵站なんてことをよく理解していた例として取り上げられているのが豊臣秀吉。兵站なんぞを無視して惨敗を喫した例として取り上げられているのがインパール作戦の牟田口廉也。歴史なんぞには何も学ばなかったんですかね。嗚呼。

防衛費増額だ、そのために増税だ、などの声が聞こえますが、その手前の「軍事のリアル」に関する議論が忘れられている気がします。「軍事のリアル」を知るために日本の合戦物語の虚実に挑んだ本書、なかなか面白かったですよ。ぜひご一読を。

 

 

津田左右吉古代史の研究 毎日ワンズ

津田さんは戦前の歴史研究家。文献批判による科学的な歴史研究を行っていたのだそうです。で、その研究の結果として「天照大神は男」、「神武東遷は別人」「憲法十七条は贋作」なんてことを本書で主張したもんだから、昭和15年に発禁になっちゃったらしいです。このたび復刻されましたので読んでみました。

内容的には厳密な文献の比較分析による極めて明快な論理が展開されています。別にエキセントリックで新奇・珍奇な説が説かれている訳ではありません。むしろ、現代的な視点から見れば常識的・普通のことが説かれているように感じます。が、それも発禁。恐ろしい時代だったことが改めて思い知らされます。

ただ、本書は津田左右吉の発禁となった著作を、漢字や仮名遣いを現代風にする、最小限の注釈を加えるなどしたほかは、ほぼ当時のまま復刻したものです。津田さんの文章は、読点だけで文章が続き、句点があまりないという、現在では裁判の判決文ぐらいしか思い当たらないような書き方で書かれています。私には極めて読みにくい文章でありました。留意の上お求めください。

 

 

河島思朗 『古代ローマ ごくふつうの50人の歴史 無名の人々の暮らしの物語』さくら舎

古代ローマの歴史といってすぐに思いつくのは、カエサルとか歴代の皇帝、諸外国との戦争で名を上げた将軍たち、ま、そんなところでしょうか。でも、多くの庶民たちもそれらのセレブたちと同じ時代を生きていたのです。庶民たちの記録なんてわざわざ残さないから残ってない、というのはある一面の一般的真実を表してはいますが、ローマ人というのは無類の記録好き、碑文好であったため、意外にも多くの記録(墓碑とか)が残されています。イタリアが碑文の製作に適した大理石の産地であった、なんてことも影響しているのでしょう。同じ時代の紙(パピルス)の資料なんて死海文書みたいにウルトラ貴重品でしょうが、大理石とかの碑文となると、さほど貴重品扱いされていないみたいです。いっぱいあるんでしょうね。

で、本書に紹介されているのは、「居酒屋の女将セッリナ、マンションの管理人エロス、戦車競争の賞金王ディオクレス、美容師ダプネ、クリーニング屋のステパヌス、ガラス職人エニオン、小学校の先生ルガ」など、間違っても世界史の教科書には登場しないであろうごくふつうの面々。書いてある内容だって歴史には残らないごく個人的な内容。別に何か歴史的な発見があったとかって話ではありませんが、これがリアルなローマの歴史!ってな感じですかね。

しかしですね、ローマ時代って今から2000年前、日本では弥生時代なんて呼ばれる頃です。その時代に庶民(男女とも)が読み書きの教育を受け、実際に多くの記録が残されているんです。おまけにちゃんと本屋さんまであったんですって。いやあ、人類ってのは大して進歩していないんですね。

 

 

小笠原弘幸ハレム 女官と宦官たちの世界』新潮選書

ハレム(ハーレム)という言葉には、何やら隠微な響きがあります。そのイメージは歴史的事実としてふさわしいものなのでしょうか。本書はそんなハレムのイメージを最新のアカデミックな研究を基に描きなおして行きます。

ところで、本書にも登場する宦官。中国に宦官が多く存在したことは知られていますが、オリエント(本書で歴史的資料を基に多く記述されているのはイスラム化以後の時代)にも存在したようです。また、西洋においてもカステラートと呼ばれる去勢された男性ソプラノ歌手が割と近世まで(1878年に、時のローマ教皇レオ13世が禁止したそうです)存在していました。古代エジプトやインカ文明にも宦官は存在したとされているようです。日本は宦官制度がなかった数少ない国と言われていますが、日本は中国文明に連なる周辺国です。中国の影響を考えれば宦官が存在していてもおかしくはありませんが、史料的には証明されている訳ではないようですし、その存在に関しては歴史学会でも意見が分かれているようです。ですが、歴史の表面に現れるような影響はなかった、と言ってよいのではないでしょうか。日本でも将軍家にはちゃんと大奥なんての(細かいところはともかく、血縁維持といった目的はハレムと共通しています。明治天皇までは天皇にも側室がいたそうです)が存在していたことを考えると、興味深いものを感じます。

 

 

2024年.1月

宮口 幸治どうしても頑張れない人たち ケーキの切れない非行少年たち2 (新潮新書) [ 宮口 幸治 ]』新潮新書

宮口さんはベストセラーになった『ケーキの切れない非行少年たち』の執筆中から本書のテーマ「ケーキの切れない少年たちは、その後、どう生きていけばいいのか」を考えていたそうです。

私たちは簡単に“努力すればできる”なんて言いますが、「「努力できる」ことは、ある種の才能です」ってひろゆきさんも言ってます。努力できるかどうかには本人の “才能”だけでなく、自分ではどうにもならない周囲の環境、時代、地域性なんてことにも好むと好まざると左右されます。じゃあどうすれば良いのか、なんてことも考えてみましょう。

 

 

中川 淳一郎恥ずかしい人たち』新潮新書

junnichirou

今の世の中には「恥ずかしい人」が増殖しています。「態度がエラそう過ぎるオッサン」、「言い訳する能力も欠けた政治家」、「勝手な義憤に駆られた「リベラル」と「保守」」。思い当たるなあ、自分も含めて。私なんか、人生からのリタイアも間近のジジイですが、やっぱり恥ずかしいことやっちゃってるもんね。やだねえ。

で、本書はそんな「恥ずかしい人たちの見本市」です。ま、本で読んでる分には面白いわな。

 

 

綿野 恵太みんな政治でバカになる』晶文社

「私たちは人間本性上バカな言動をとってしまう。くわえて、ほとんどの人が政治について無知=バカである。いわば、「人間本性」によるバカ(認知バイアス)と「環境」によるバカ(政治的無知)とがかけあわされた「バカの二乗」である。これが、フェイクニュースや陰謀論が後を絶たない理由である」、と長々と引用しまたが、こんなことが表紙のデザインとして引用されています。で、そんなバカの連鎖に陥らないために何ができるの、なんてことが書かれているのが本書です。

私には難解過ぎて読むのに苦労しました。

 

 

橘 玲スピリチュアルズ 「わたし」の謎』幻冬舎

「近年の脳科学や進化心理学、進化生物学、行動遺伝学などの急速な進歩によって脳=こころの秘密が徐々に明らかになり」「「わたしもあなたも、たった“8つの要素”でできている」」ことが明らかにされてきたそうです。たった8つ!

まあ、最近ではビッグデータを分析して選挙民の思想信条の傾向を明らかにし、それに合わせて投票行動を誘導する、なんてことが実際に行われているみたいですからね。自分なりに情報を収集、分析して投票したつもりでも、ケンブリッジ・アナリティカなんて会社に操作されていただけ、なんて陰謀論かいなよ思うようなこともありうるのでしょう。

1984』の世界も近い?

 

 

スティーブン・ピンカー人はどこまで合理的か 上  』草思社


著者ののピンカーさんはハーバード大学心理学教授。同大で人気の講座を受け持っているそうです。

私たち人類は理性的・合理的に考える能力獲得して久しいものがあります。しかし、いまだにフェイク・ニュースや陰謀論に簡単に引っかかったりします。どうも人間の脳・思考にはある種のバイアスがあるようですし、推論を展開する場合にも陥りやすい間違いのパターンがあるようです。つまり、私たちの思考はほっておくと合理的な推論から外れて行ってしまう傾向があるってことみたいです。ですからそのようなバイアスに気を付けることによって、正しい思考・推論に立ち戻ることができますよ、というのが本書の主張のようです。

本書では、合理的に考えれば戦争などというものが不合理な選択である、なんてこともエラスムスの説を引用して示されています。「ゼロサムゲームとしての戦争の損得と、その期待効用が負であることについて説いている」。よーく考えてみれば、戦争って、例え勝っても損するとんでもない博打だ、ってことですね。それにしちゃ未だに戦争って無くならないですよねえ。合理的に考えられない軍人とか政治家がいるせいなのか、そもそも人類ってのは合理的に考えられないせいなのか。

ま、冒頭にも記したとおり、本書はハーバード大学における講義を基にして書かれた本です。要するにハーバードの頭の切れる教授が、若くて賢い読者を想定して書かれている本なわけです(「ベイズ推論は誰が立証責任を負うべきかについて、理にかなった判断方法を教えてくれる……」分かります?)。それを私みたいなジジイが読みこなすのはやっぱり無理がありますね。ということで、論理思考が得意で、俺は頭が切れる、なんて思っているあなた、ぜひ挑戦してみて下さい。

  

 

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