2023年5月
海外ニュースによれば、「オランダ出身の画家ビンセント・バン・ゴッホ(1853〜90年)が自殺に使ったとみられる拳銃が手数料を含め16万2500ユーロ(約2千万円)で落札された」(日本経済新聞)のだそうです。
私もかなりオタク気質だとは思いますが、人が自殺に使った銃を欲しいとは思いませんねえ。同じマニアとはいえ、趣味嗜好はかなり異なるみたいです。この銃を廻ってここからは原田マハワールド全開。何しろ原田さんは本職のキュレーターでしたから、私のような素人にはどこまでが事実で、どこからがフィクションなのかさっぱり見当がつきません。でも、読んで面白いことだけは保証付きです。芸術の秋には間がありますが、皆様も是非ご一読を。
マティスとピカソ、ドガ、セザンヌ、モネといったおなじみの画家たちをモチーフとした短編集です。もちろん原田マハワールド全開。例によって東京人物の多くは実在の人物です。その全員の言動がこと細かく残っているわけではありませんので、原田さんの想像の翼で補っているわけですが、プロのキュレーターでもある原田さんが単なる想像の産物をを書く訳もなく、きっとそうだったんだろうな、という説得力を持った物語が心に響きます。
収録されているのは19世紀から20世紀に活躍した画家たちをモチーフにした小中編が4編。例によって、面白かったですよ。
菊間 史織『「ピーターと狼」の点と線 プロコフィエフと20世紀 ソ連、おとぎ話、ディズニー映画』音楽之友社
ピーターと狼はロシア(当時はソ連か)の作曲家プロコフィエフの子どものための音楽作品の傑作です。現在でもTVなどの其劇中音楽として頻繁に使用されていますので、皆様も耳にしたことがあることと思います。
大変有名な作品であり、作曲者存命中から成功作であったのですから、プロコフィエフが同様のコンセプトで作品を書いていても不秘儀ではありませんが、同様作はありません。ピーターと狼は孤高の作品なのです。とはいえ、この作品の誕生には多くの人物や音楽以外の出来事や時代背景も多く関わっています。そこから本書の題名『「ピーターと狼」の点と線』は由来しています。
時代背景の中には、当時のソ連の指導者達の音楽観も大きく関わっていたようです。当時のソ連指導部は“音楽なんて軟弱だ”とは言わなかったようではありますが、音楽を含む芸術もすべからく革命に資するものでなくてはならない、とは考えていたようです。ここら辺のエピソードは今となっては語られることも少なくなっているでしょうから、私には本書の記述は「へー」という感じでした。
あまり取り上げられることの少ない現代音楽の作曲の背景に迫る本書、なかなか珍しく、新鮮に感じられました。
平野 真俊『[書籍] 幻の弦楽器 ヴィオラ・アルタを追い求めて』河出書房新社
クラシック音楽などと言うと、何やら多変いかめしく、昔から変わらないちっとも変わらない伝統的なイメージがありますが、現在の標準的なオーケストラの編成が確立されたのはそう昔のことではなく、高々百数十年前のことです。二百年前なんていうとベートーベン本人が自分の書いた交響曲を指揮していた頃ですが、そのころのオーケストラですら現代のフル編成のオーケストラを見慣れた目からすると、かなりこぢんまりとしたものに感じられるはずです。
使われている楽器も決して固定的ではなく、いろいろと変遷があります。その過程で使われることもなくなり、演奏者もいなくなってしまった楽器、なんてのもある訳です。ヴィオラアルタもそんな楽器のひとつ。ワーグナー作品の楽譜にはヴィオラアルタが指定されているものがあるそうですが、今じゃ誰も指定を守ってはいません。ヴィオラアルタってくらいですからヴィオラの親戚のはずですが、プロのヴィオラ奏者の平野さんですら知らなかったらしいですよ。
そんなヴィオラアルタですが、作者の平野さんは不思議な縁でヴィオラアルタとつながっていました。本書は平野さんが、自らのヴィオラアルタとの出会い、そしてその魅力に取りつかれ、その秘密を解き明かしていく過程を書いたドキュメンタリーです。
星野 博美『旅心はリュートに乗って』平凡社
あ、ところで著者の星野さんって私の大学の後輩にあたる方のようです。私も取ったK教授の西洋音楽史の授業を取られたことがあるみたいです。面白かったなあ。その時に聴いたリュートに魅せられたんですって。
ところで、リュートの譜面って、ギターで言うところのタブ譜がメインなのですが、フランス式、イタリア式、ドイツ式、さらにその他、なんてまちまちなんだそうです。西洋音楽って五線譜が主流で、あらゆる楽器を譜面にすることが出来てうらやましいな、それに引き換え全く統一性のない邦楽(私がやっているのは尺八。尺八だけでも琴古流と都山流なんてのがあり、楽譜も運指も違います)は、なんて思っていたのですが、五線譜の発明以前は似たようなもんだったみたいですね。逆に五線譜の偉大さも良く分かりますよね。ここまで詳しくは西洋音楽史の授業でもでもやらなかったような気がする……。
本書はリュートの歴史を……、なんて本ではなく、自分でもリュートを習っている星野さんがリュートに関係したあれこれを徒然なるままに書いてみた、という本。リュート以外に首尾一貫したテーマがある訳ではありませんが、リュートが流行ったころの美術とか音楽、あるいはヨーロッパの歴史、なんてところに興味があると一層面白く読めるのではないでしょうか。
2023年4月
鈴木 健太郎『人は悪魔に熱狂する 悪と欲望の行動経済学』毎日新聞出版
著者の鈴木さんはデータサイエンティスト。多量のデータを集めて分析する、現在最先端のお仕事をしていらっしゃる方です。ですから、本書は認知心理学と行動経済学とマーケティング論とデータサイエンスの学際分野を取り扱った本です。あ、いいとこどりだとは言ってませんよ。
が、本書のしょっぱなには「データは事実ですが、真実とは限りません」なんて書いてあります。調査データがこうだから、こうしよう、なんて単純な思い込みでビジネス上の決断を下すと痛い目に会うことが良くあるそうです。データの「意味を読み取らなければ、データは何の役にも立たない」のだそうです。
単純なデータ主義は意味がないようです。本書で紹介されているモルテン・イェルウェンという経済史の研究家は、統計データとは「政治的な妥協と、大くの恣意性を含んだデータであるという前提に立って議論すべき数字」でしかないといっているそうです。でもデータを解釈すると、異論も出る。「智に働けば角が立つ情に棹させば流される」どうすれば良いんでしょうか。
ま、世の中にそんなに間違いのないもんなんてある訳ないだろ、ってことでしょうか。
野中郁次郎、戸部良一、河野仁、麻田雅文『知略の本質 戦史に学ぶ逆転と勝利』日本経済新聞社
大変話題を呼んだ『失敗の本質』シリーズの完結編として企画された本です。
歴史を学び、過去に素晴らしい戦略があったとします。でも、
いかに素晴らしい戦略であったとしても、その戦略がいつでもどこでも適応できるわけではないでしょう。では、なにゆえに私たちは歴史を学ぶのでしょうか。私たちは、歴史を学習することにより、そのうちにある普遍的な知恵を明らかにし、さらにそこから現状にいかに適応していくか、なんてことシミュレーションしていくのでしょう。
ということで、本書は「独ソ戦、英独戦、インドシナ戦争、イラク戦争をケースに21世紀日本に必要な構想力を解明」していきます。
で、最後の方に出てくるオーレンス・フリードマンさんという国際政治学者の著作(戦略の世界史(上)(下))という本には、戦略というものをソープオペラ(アメリカのテレビでで昼時にやってるメロドラマ。よく石鹸会社がスポンサーになっていたのでこんな風に呼ばれます)に譬えるのがふさわしい、と言っているそうです。つまり、何か固定的、絶対的なシナリオがあるのではなく、物語の展開とか、視聴者の反応を見て、結末だって変えちゃう、なんていう自由度が戦略にもなくてはいけない、ということのようです。確かに、日本軍の失敗には一度決めてしまうとその後の批判を許さない、ってのがありました。本書でもイラク戦争後のラムズフェルド国防長官の対応をこっぴどく批判していますね。あのスターリンだって戦争初期には将軍たちの言うことを聞かず間違いを犯したものの、後には将軍たちの言うことを聞くようになったんですって。
批判されることが何より嫌い、間違えを認めないもんだから反省なんて絶対にしない、って方がいつの世にもいるみたいですねえ。
ルディー和子『合理的なのに愚かな戦略【電子書籍】』日本実業出版社
なぜ一流企業の経営者、それも頭脳明晰で米国のビジネス・スクールを卒業し、ビジネス書や啓蒙書なども読んでいるような聡明な経営者が、後になってみれば誰からも指摘されるような単純な間違いを起こすのでしょうか。
ルディーさんは「データや資料に基づいて戦略を立てるまでは論理の世界です。でも、それを実行するかどうかの決断は理性だけでは決められません」決断には「過去の経験に基づくひらめきや、成功体験から生まれたしがらみ、プライドや功名心、執着心といったような要素が大きな影響得力を行使します」と指摘しています。
なるほどねえ、とも思いますが、本書の中ほどで「ブランドの逆襲 過去の成功をもたらした「しがらみ」がブランドをつぶす」なんて章で、自動車のブランドを、「レクサス」を取り上げています。確かに、レクサスってヨーロッパの高級車、メルセデス・ベンツやBMWの“高級感”に欠けるとされています。でもねえ、BMWだって高級路線に乗り換えたのって、割合最近です。むしろ、戦後すぐの方が高級路線で高価な車を販売してましたよ。BMW507とかね。で、失敗した。
メルセデス・ベンツだって、高級車ばかり作っているわけではなく、ドイツに行けばタクシーなんてベンツばっかしだ、なんて言われますよね。
日本ではドイツの自動車ブランドはもてはやされますが、戦後すぐは憧れの的だったアメリカのブランドも今じゃ人気ありませんね。シボレー・コルベットだってアメリカじゃ今でも結構イバリの効くスポーツカーですが、日本じゃさっぱり。戦後すぐの頃には日本でも外車って言えばアメ車だったんすけどねえ。
日本の楽器、オートバイなんかで有名なヤマハってありますよねえ。スキーも作ってます。日本人には普通におなじみのはずです。ですがヨーロッパで売っているのはヤマハの高級品ばかり。で、ヨーロッパのスキー場ではヤマハの板を持っていると羨望の眼差しで見られる、なんてまことしやかに言われてました。ま、私が学生の頃の話ですから、今どうか知りませんよ。
まあ、ブランド・イメージなんてもんは、結構誤解の上に成り立っているんじゃないですか。誤解させてブランド・イメージを良くできるんだったら、誤解させたもん勝ち、って面も大なり小なり、いや、多大にあるんじゃないでしょうか。あ、大学の教授にケチ付けてるじゃないですよ……。
最後に「優秀な経営者はトリアージできる人」という章があります。トリアージとは緊急時に患者の重症度に基づいて、治療の優先度を決定して選別を行うことを意味します。つまり、お前は助かんないから治療しても無駄って決める……、大変な決断ですね。なるほど、経営者にはサイコパス的な気質を持った人が多い、ってのは納得できますねえ。あ、大学の教授にケチ付けてるじゃないですよ……。
デビット・ロブソン『The Intelligence Trap(インテリジェンス・トラップ) なぜ、賢い人ほど愚かな決断を下すのか』日本経済新聞出版
「なぜ優秀な人々が愚かな行動をとるのか、なぜときには普通の人よりも過ちを犯しがちなのか、が本書のテーマ」なんだそうです。
なぜか。それがインテリジェンス・トラップなのです。ロブソンさんは面白い譬えをしています。クルマに強力なエンジンを搭載する。確かに速くなるでしょう。でも、適切な知識や装備(運転がうまい、車がちゃんと整備されている、さらに今じゃ優秀なカーナビが搭載されている)などの条件がクリアされていないと、山道に迷い込んでスピンして崖から落っこっちゃって目的地にたどり着けない、なんてことになります。知能もその使い方を知り、合理的に決断するためのテクニックを知らなくては、思考が偏る可能性があります。
そして、そのクルマを運転するのが知性もあり、何らかの運転のプロであった場合、インテリジェンス・トラップは一層強固になってしまいます。自分はプロであり、クルマのことはよく知っている、なんて思うと、その知識を用いて自分は間違っていないことの言い訳を探すようになります。で、不都合な真実は無視され、自分の思い込みに合致する都合の良いハナシだけを信じるようになります。うーん、『失敗の本質』ですねえ。
それはともかく。本書の中で、様々の分野の問題に対して「超予測者」を見つけ出す、というものです。これは何も超自然的な予言者を見つけ出そう、というのではなく、今ある事実を自分の思い込みを排して見つめ直し、どのような予測が起きる確率が高いか、なんてことを考えさせるものです。予測以上に面白いと思ったのは、この能力は何も頭の良し悪し(知能指数とか)で決まるものではなく、訓練によって引き上げることも可能なものであるのだそうです。どうするのか、の詳細は是非本書をお読みください。私も為替相場見通しなんて書いてるからなあ、参考にしなくちゃ。
2023年3月
デイヴィッド・ハワード 濱野大道訳『詐欺師をはめろ 世界一チャーミングな犯罪者vs.FBI』早川書房
本書の原題は「Chasing
Phil: The adventure of Two Undercover Agents with the World’s Most Charming Con
Man」というものです。訳すと、「フィルを追いかけろ:二人の覆面捜査官と史上最も魅力的な詐欺師の華麗なる冒険」なんてところでしょうか。しかも、1970年代を舞台にしたノンフィクション。いかにも面白そうではありませんか。
ところで、本書の一方の主人公である詐欺師、フィリップ・キッツァー(フィル)って、本書にも何枚かの写真が掲載されていますが、痩身、オールバックでスーツをバシッと着こなしているところなんて、米国のオリジナル版「SUITS」に主演しているガブリエル・マクトさん(日本版だと織田裕二さんがやってる役です)にそっくり。やはり詐欺師と弁護士のイメージは………。
あまり多くを説明するとネタバレになってしまいますのでひかえることにいたしましょう。なかなか面白かったですよ。
ロブ・ブラザートン 中村千波訳『賢い人ほど騙される 心と脳に仕掛けられた「落とし穴」のすべて』ダイヤモンド社
世界の要人しか知らない秘密結社とか、アポロの月面着陸はフェイクだ、なんてものからワクチンは製薬会社が儲けるために巧妙に作り上げた策略だ、などなど、陰謀論やフェイクニュースは世にあふれています。かくいう私も陰謀論ネタは結構読んでいます。だって、読んで面白いでしょ。
とはいえ、陰謀論というのは、“まともな人であれば騙されることはない”なんて思っている(思い上がっている?)ような話ばかりではないとしています。昔っから、時の権力者は上手にフィクションを使ってきたみたいですよ。
本書では様々な科学的知見を紹介、なぜ陰謀論を信じやすいのか、を解き明かしていきます。ものすごく単純化してしまうと、どうやら人類の思考パターンには陰謀論を信じやすいバイアスがあるみたいだ、ってことになるのかな、と理解いたしました。合ってるのかな。
ジャン・フランソワ・マルミオン編 田中裕子訳『「バカ」の研究』亜紀書房
「本書は24人の一流学者、名門大学教授、その道のスペシャリストたちが、自らの専門知識を駆使して至極まじめにバカを考察」した本なのだそうです。で、それを編纂したのがマルミオンさんという「フランス有数の心理学雑誌の編集長」なんだそうです。
ですから、本書で採り上げられているバカは、単なる「頭が悪い人」ではありません。本書収録の文章の表題は、「知性が高いバカ」、「認知バイアスとバカ」、「バカとナルシシズム」、「SNSにおけるバカ」なんて具合です。単なるバカではなく、良識ある私のような「まとも」な人間をうんざりさせ呆れさせる「バカ」。バカの特徴は、自分は良識がありまともだと思っているところ……。あれ、呆れられているのは誰?試しに「「このバカ野郎!」と路上で怒鳴ってみるとよい。通りかかったほぼ全員が、「おれのこと?」「わたしのこと?」という顔でこちらを振り返るはずだ」だって。私やあなただって……。
ビル・エディ 宮崎朔訳『危険人物をリーダーに選ばないためにできること ナルシストとソシオパスの見分け方』プレジデント社
私たちは、ま、いろいろな理由はある訳ですが、時として「反社会的な行動や気質を特徴とするソシオパス」や、「自己愛的行動や気質を特徴とするナルシスト」、そしてその両者の特徴を持つ「悪性のナルシスト」(いわゆるサイコパス。本書ではナルシストとソシオパスの資質に加えて「対立屋」という概念を加えています。対立屋は対立を煽りますが、決して対立を調整したり、解決しようとしたりしません)のような人物をリーダーに選んでしまうことがあります。「悪性のナルシスト」は「架空の危機の三段論法」(「架空の危機がある。それを引き起こしている悪者がいて、その解決にはスーパーヒーローが必要になる――それが私だ!」)なんて論法を実に上手に使うそうです。そういえば思い当たる節が……。
でも、こういう人と関係を持たなくてはならない場合には、決してこのような気質を治してあげようとか、気付かせてあげようなどとは思ってはいけないそうです。「パーソナリティ障害を持つ人は反省もしなければ自分を変えようとも思いません」ですって。コワ。こんな困ったちゃんたちに都合よく利用されないために、本書は様々なヒントを与えてくれます。
という本書ではありますが、本書の最大の目的は、私たち自身がリーダーたらんと欲している者たち(つまり選挙の候補者たちですね)をきちんと吟味しなさい、というところに尽きるような気がします。有権者がそのように欲しない限り、××なリーダーしか選ばれないのですから。大丈夫か日本人、大丈夫か世界中の人たち!
小林 節『「人権」がわからない政治家たち』講談社
2015年6月、安保関連法案の審議に関連して参考人として国会に招致された3人の日本を代表する憲法学者が全員「安保関連法案は違憲である」と証言して話題になりました。3人のうちの1人であった小林さんは自民党が招致した学者であったため、“自民党のオウンゴールだ”なんて話題になりました。同時に、保守派からは“小林変節”なんて陰口も叩かれたみたいです。小林さんからすれば、自民党の議論の方が論理破綻してるんだ、ということになるのでしょうが、日本の政治家にまともな論理、議論を期待しても無駄みたいですからねえ。で、本書を書いたということなんでしょうか。
「モリ・カケ・桜・東北新社問題は未解明・未解決であるが、これなど権力の堕落の典型であろう」
「法破壊、民主主義破壊をやめない自民党は、もはや「保守」ですらないのだ!」詳しくは本書をお読み下さい。憲法論を専門とする小林さんの議論は分かり易く、大変説得力があります。
「結局、これは私たち有権者の質が問われていることなのだ」皆様もぜひご一読を。
2023年2月
ギデオン・デフォー 杉田 真訳『世界滅亡国家史』サンマーク出版
国というのは、領土があって国民がいて支配者がいれば一応必要条件を満たしたことになって成立するみたいです。でも、それだけじゃ必要条件であって十分条件を満たしているとは言えないですよね。本書は歴史を詳しく、微に入り細を穿つように調べれば一応記録(どこまで本当かの検証は必要かもしれませんが)が残っている国々のお話です。必要条件は満たしているけれども十分条件を満たしているとは言い難い国々のお話、と言えるかもしれません。
でも、本書に掲載されているお話はどれも知ったからと言って何か役に立つとか教訓が得られる、と言う訳ではありません。ま、何の役にも立たないでしょうね。でも、そんな本ですが、英米ではベストセラーになったらしいですよ。世の中暇人が多いんですね、私もその一人ですが。とにかく、読んで面白いことは確かですよ。暇で本代が余ってる方はどうぞ。
尾登 雄平『【中古】あなたの教養レベルを劇的に上げる驚きの世界史』KADOKAWA
尾登さんは「歴ログ―世界史の専門ブログ―」というブログを運営しておられる方だそうです。このブログのテーマの選び方は「私がおもしろいと思ったもの」なんだそうです。
私も大学の教養課程で歴史の授業を取ったことがあります。講師の先生は結構有名な中国史の大先生なんだそうですが、教養課程ということで、「喫茶店の会話の使える」(本当は飲み屋の会話のネタになると言いたかったんでしょうが、授業ですからね)ことをテーマ(暦の歴史とか)に毎回の授業が進められました。いわゆる通史ではなくテーマごとに世界を俯瞰した授業ですので、メチャクチャに面白かった覚えがあります。でも、ちゃんと授業に出てノートを取らないと絶対に回答できないような試験問題にびっくりした覚えがあります。私はもちろん優でしたよ、ホッホッホ。
でも、尾登さんも書いておられますが、「歴史をはじめ教養は、すべての人の普段の仕事にすごく役に立つかというと、けっこう微妙だと思っています」と書いています。まあ、そうでしょうねえ。豊かになるのは飲み屋での会話ですからねえ。でも、私はそれで結構楽しくやってますよ。
本書は古代、中世、近代、現代といったように編年体でまとめられています。やはり中世までは割とまじめな歴史の教科書のような趣ですが、近現代に入ると尾登さんも俄然本領発揮です。20世紀初頭一人当たりのGDPでは世界一の富裕国であったアルゼンチンが20世紀も後半になるとデフォルト常習国家になってしまった経緯など、なかなか教科書ではお目にかかることはないのではないでしょうか。私の大好きなマドンナ主演のミュージカル映画『エビータ/アラン・パーカー(監督),マドンナ,アントニオ・バンデラス』はちょうどこのころを描いています。いやあ、興味深かった。
網野 義彦、石井 進、笠松 宏至、勝俣 鎭夫『中世の罪と罰』講談社学術文庫
日本の中世における罪と罰のあり方というのは現在とはだいぶ異なっていたようです。人の悪口を言うと流罪、窃盗は死刑、年貢を納めないと奴隷。今よりだいぶ厳しいような気がしますね。人の悪口を言うと流罪って、今だとネットに悪口書き込んで損害賠償が10万円とか20万円とか言われてるみたいですが、このころだとそんなもんじゃ済まなかったってことなんですかね。ではありますが、その根底には現在とは異なるものの、当時としてはそれなりに合理性のある規範意識があったようです。
今とは異なる日本の姿を網野さん以下日本中世史の専門家が解き明かします。
阿部 謹也『西洋中世の罪と罰 亡霊の社会史』講談社学術文庫
続く本書はヨーロッパにおける罪と罰です。ヨーロッパにはその歴史を反映し、日本とはかなり異なる規範意識を持っているようです。
ヨーロッパと十把一絡げに総称しますが、時代や地域によってかなりの違いがあります。現在ではキリスト教圏とされるヨーロッパ諸国も、ちょっと掘り返すと歴史的な地域性が頭を現すようです。
私たち日本人は欧米、なんて言って、ヨーロッパに加えてアメリカまで一緒くたに考えていますが、ちょっと歴史をさかのぼるだけで現在とは全く違う規範意識が現れるみたいです。
現在のヨーロッパ人の精神性の由来の一端が垣間見えます。
トゥキュディデス ジョハンナ・ハニンク編 太田雄一郎訳『人はなぜ戦争を選ぶのか 最古の戦争史に学ぶ人が戦争に向かう原理 / トゥキュディデス』文嚮社
この書評の本の著者がトゥキュディデス、とあるのを見て、なんだそれ、なんてお思いの方もいらっしゃると思います。まあ、トゥキュディデス(昔はツキジデスなんて言ってたような)なんて名前を歴史の教科書以外で目にすることなんてまずないですからね。
ではありますが、本書は“あの”
トゥキュディデスの『歴史(上)歴史(下)』から演説部分(演説ですので、書き言葉の無駄な晦渋さがないのでしょう)を抜粋し、解説を加えたものだそうです。
アテネと言えば、元祖民主主義国家。そのアテネと専制主義国であるスパルタの戦いの歴史を描いたのがトゥキュディデスの『ペロポネソス戦争史』です。それぞれをアメリカとソ連とかアメリカと中国になぞらえて読めますので、アメリカでは現代の政治学の研究者にも人気があるみたいです。「トゥキュディデスの『戦史』は」「国外おいて積極的に民主主義を広めて国益を追求し、軍事力の行使も厭わないというアメリカの精神を肯定するものに見えた」みたいです。でもねえ、ペロポネソス戦争における最終的な勝者ってスパルタなんですよね(もっともその後ポリス社会そのものが衰退期に入っちゃって、スパルタがその後繫栄したとは言えないようですが)。アテネを模範例として引用しちゃって良いんですかねえ。
本書の日本語版解説を書かれている茂木誠さんは、「民主主義が独裁より優れているのは」「「一度決めたことの修正ができる」ということだろう」と書かれています。己の間違いを認めないという日本人の悪癖は『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』などでも指摘されてきたところです。しかし、昨今の日銀黒田総裁の発言などを聞いていると、またぞろこの悪癖が首をもたげてきたように思えますがどうなんでしょうか。
とにかく、歴史にはいろいろ学ぶところがありそうです。ぜひご一読を。
半藤 一利『昭和と日本人 失敗の本質』角川新書
本書は半藤さんが1970年代から2000年代にかけて各種媒体に発表したものを再編集したものです。従って一冊の本としての一貫性は弱いようですが、半藤さんはご自身の体験を通して“なんでこんな戦争をしちゃったの”という強い思いをお持ちのようです。その思いは通奏低音のように全3章から感じられます。「正義の戦いというようなものはありえないと思う。それぞれの国のかかげる「正義」の旗印は、例外なく国家利益の思想的粉飾に過ぎない」、そして戦前の日本の実態は、「国際連盟脱退いらい、“栄興ある孤立”を豪語し、夜郎自大の自惚れのうちに十年近くを過ごしていた」みたいですからね。私たち国民にはそれに気づくリテラシーが求められているわけです。
戦後日本ではいろいろなことが大きく変わりました。ではありますが、表面的に変わったように見えるだけ、という場合も多いのではないでしょうか。昨今の日本は第二の敗戦、なんて言われちゃうような体たらくですもんね。私たち日本人は、今一度己の姿を真剣に顧みる必要があるんじゃないしょうか。
本書で半藤さんは日本人の(外国人でも大同小異でしょうが)集団心理に対して繰り返し警鐘を鳴らしています。「それを構成する個々の人の種類を問わず、また、かれの生活様式や性格や知能の異動を問わず、その個人個人が集まって群衆になったというだけで集団精神をもつようになり、そのおかげで、個人でいるのとはまったく別の感じ方や考え方や行動をする」ってある社会心理学者が言っていたそうですが、そうみたいですね。ひとりだとそんな暴力的でバカバカしいことはしないはずなのに、集団になると行動のタガが外れちゃう。誰しも思い当たるフシがあるんじゃないでしょうか。日本ばかりでなく、昨今の国際ニュースを見ても、同じようなことが起こってますよね。
本書で何か所かで戦前日本の世論の動向について触れています。非常に好戦的な軍部に対する批判なんぞ皆無。むしろ、もっとやれ!なんて声が溢れ返っていたなんてことが資料から読み解けるみたいです。衆愚のひとりにならないためにも普段からよく考えるクセをつけとかなくちゃいけないですね。
2023
年1月 S・マラニー 比護 遥訳『チャイニーズ・タイプライター 漢字と技術の近代史』中央公論社
中国語というのは、「世界の主要言語のなかではただ一つ中国語だけが、表音文字を全く使わず、表語文字である漢字のみを使用している」点で大変特異であるようです。これは、言語あるいは文字としての優劣とは全く関係はありませんが、タイプライターをはじめとするアルファベットを基礎とする技術を導入しようとすると大変な困難に直面することになります。
今では日本語のワープロなんぞ、小学生でも使うんでしょうが、私が最初にタイプライターを使った(一応ブラインドタッチができますよ)のってワープロ以前(一般的に普及するギリギリ前の
1980年頃)の時代でしたが、タイプライターを使うことによって誰でも簡単に印刷したみたいな書面(当然正式な書面として使えます)を作ることができるのは便利なものであると感心したものです。なにしろ私は字が下手なもんで、人様に見せるような文書はなるべく書かないようにしているものですから。中国では「字は人なり」らしいですよ。私みたいに下手な字を書くと、バ〇丸出し、教養ゼロ、無能なんて即断されちゃうんでしょう。この書評だって手書きだったら絶対に作らなかったでしょうね。現在のワープロって本当によく出来てますよね(日本語ワープロの開発秘話は『【中古】 日本語大博物館—悪魔の文字と闘った人々』などをどうぞ)。日本語ワープロの前身である和文タイプ(こっちが本書で言うところのタイプライターでしょう。各種和文タイプについては本書でも触れられています)なんて、専任のタイピストが必要でしたよ。今は昔。日本語タイプライターってのは機械式の和文タイプではなく、コンピュータの助けを借りたワープロ(とそれに見合ったプリンター)の開発を以って完成した(一般人の実用に耐える製品となった)と言えるのかもしれませんね。中国語ではどうだったのか、は著者が執筆中の本書の続編で取り扱われるようです。乞うご期待。
本書の著者マラニーさんはスタンフォード大学の中国史専門の史学部教授。ですから当然中国語も堪能なのでしょうが、本書は英語で書かれ、英語圏の読者を想定して書かれています。日本人(漢字を共有しいますし、非ヨーロッパ言語体系である日本語のワープロがすでに実用化されています)読者である私にはいささか冗長な記述が多く、読了するのに意外とてこずりました。これに関しては、訳者解説に書かれたエピソードが理解の役に立つかもしれません。「数年前にドイツの安宿に泊まっていたとき、同宿のバックパッカーに話しかけられたことがある。私のパソコンに興味を示し、日本語のキーボードを見てみたいという。ところがいざ見せてみると、何やら怪訝な表情を浮かべ、そこで会話が終わってしまった」ですって。ま、欧米人がQWERTYキーボードを見て、これが日本語のワープロだって言われても、理解は難しいかもしれないですね。もっとも、そんな私にもアラビア語タイプライターの話なんて、充分エキゾチックでしたよ。
『逆説の日本史』シリーズ(コミック版も出ました『コミック版 逆説の日本史
』)で有名な著者が歴史関係の幾多の著書を著わすうちにたどり着いた、日本及び日本人の思考パターンを特徴づけるキーワードとして「ケガレ忌避信仰」、「怨霊信仰」、「言霊信仰」を挙げて、新たな角度から日本の歴史を読み解いていきます。詳しくは本書をどうぞ。
井沢さんの指摘の中でも特に面白いと思ったのは、「言霊信仰」です。日本人は良くないことが起きる、なんて言うと本当に起きてしまうので、そういうことは言わない。ご存知の通り今でも結婚式のスピーチで避けるべき忌み言葉なんてのが実際にあります。で、悪いことが起きるかもしれない、なんてことは言ってはいけないので、危機管理なんてことにはまるっきり備えが出来ないし、悪いことが起きた、なんてことを認めるともっと悪いことが起きちゃいますので、実際に起きたことも認めない。認めなけりゃ、起きなかったことになる、と思いたい。そんなわけないのに。で、真摯に反省、なんてことが不得意、と言うか、反省なんてしないという日本人の気質が出来上がった、と。『失敗の本質』の原因はこんなところにもあったんですね。なるほど、腑に落ちるわ。
手練れの歴史作家の手になる本書、大変面白く読了いたしました。皆様も是非ご一読、井沢さんの主張する日本史の神髄を味わってみてください。
リチャード・フォス 浜本隆三、藤原崇訳『空と宇宙の食事の歴史物語 気球、旅客機からスペースシャトルまで』原書房
人間の乗った機体が空中を飛ぶ、という物理学の法則に反したことを実現するために人間は多大な努力を重ねてきました。つい
100年ほど前までは空を飛ぶだけで大騒ぎでしたが、空を飛ぶ機械が発明されると、それを商業的に利用した事業が発明されるまでは、それこそあっという間でした。で、商業的な飛行が事業化されると、乗客たちから、やれ飲み物が欲しいとかメシを食わせろ、なんて要求が出てくるわけです。でも、そこは雲の上、いろいろと制限があるわけです。例えば、飛行船。映画『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦[Blu-ray]】』もチラッと出てきましたが、その豪華なこと、たとえファーストクラスと雖も現在の飛行機の比ではありもせんでした。でも、初期の飛行船のガス室には水素が充填されていましたので、火(とか火花が飛ぶ調理器具)なんて危なくて使えないわけです。でも、客から「暖かい飲み物が欲しい」、「暖かい料理が食べたい」なんてリクエストが出ます。で、どうしたか、なんてことが本書には延々と書かれています。興味のある方のには、面白いのではないですか。私には結構面白かったですよ。
本書で残念だったこと。1985年から現在の期間とは、「東側でサービス水準が上がる一方、西側では、その水準は下がった」時代だったことです。私が飛行機を利用する機会が多かったのはこの時期に当たります。仕事では主にビジネスクラス、プライベートでは主にエコノミークラスでしたが、ビジネスクラスだからってサービスが良かった、なんて記憶は別にありませんねえ。特に食事がおいしかった、なんて記憶はほぼありません。正確にはたった一度だけありましたけど。この時期、「そこかしこでコストカットがマントラのように唱えられていた」らしいですから。嗚呼。
あと、本書には短いながらも宇宙食の歴史も紹介されています。が、日本人としては、某カップラーメンメーカーが提供した宇宙ラーメンと、宇宙で撮影したCM(動画もありました https://www.youtube.com/watch?v=XJ1MDOGiANU)のお話なんかも収録してほしかったですねえ。
浮世 博史『日本史の新事実70 古代・中世・近世・近代 これまでの常識が覆る!』世界文化社
私も学校で歴史を学んでからすでに数十年という時間が経過してしまいました。こんなに時間が経つと、昔一生懸命覚えていたことが変わっちゃった、なんてことも多々あるようです。
本書の最初に紹介されているのは参勤交代、士農工商、大井川とか。あ、あれね、といった反応が返ってくると思いますが、現在の歴史学の世界での解釈は私のようなジジイが昔習ったのとはかなり異なっているのだそうです。あれま。
本書ではそんなエピソードがテンコ盛り。私の知識も本書でアップデートしておくことにしましょう。
三重 宗久『戦前日本の自動車レース史ー1922(大正11年)-1925(大正14年) 藤本軍次とスピードに魅せられた男たち』三樹書房
日本で自動車レースなんてものをやっている輩なんぞは、暴走族の同類ぐらいにしか思われていませんので、最近でも日本で世界最高峰の格式を誇るF1レースが開催されてもその様子が主要新聞の第1面で紹介されたり、地上波TVで放送されるといったことはまずありません。ですから、日本における自動車レースの黎明期の歴史などというものをまともに記録しておこう、なんて奇特なことをわざわざやる人もいませんでした。だもんで、本書のための記録調べは大変だったらしいです。
著者の三重さんとたまたま知り合う機会があり、本書を送っていただきましたのでご紹介しました。実は本書が出版されたのは知っていたのですが、本署で紹介されているのは私にとって「懐かしい」などと感ずるよりもはるかに古い時代でありますので、購入を躊躇していました。ここで改めて御礼申し上げるとともに本書を紹介させていただきました。