201912

浦久 俊彦悪魔と呼ばれたヴァイオリニスト パガニーニ伝』新潮新書

本書は超絶技巧で世を魅了したといわれる19世紀の伝説のヴァイオリニスト、ニコロ・パガニーニの本邦初の伝記です。

パガニーニは19世紀に生きた(17821840)、れっきとした歴史上の人物、それも近代史上の実在の人物です。それにもかかわらず、パガニーニの逸話には、「人を酔わせる技巧と引き換えに悪魔に魂を売り渡した」とか「演奏をしているときに身体が宙に浮いていた」なんて、ホラー小説みたいなおどろおどろしいお話みたいなのばかりなのだそうです。

とはいえ、生没年も分かっており、実際に本人が作曲した曲の楽譜も残っています。それだけではなく、師事した音楽家の名前などもかなり細かく分かっています。また後に本人が開発したと主張していた超絶技巧のお手本となった演奏家の名前などもある程度は分かっているようです。でも、そうだとするとちっとも悪魔的な匂いはしませんよね。

若い時からその腕前は評価されていたようですが、病弱であったこともあり、イタリア半島内での活躍が主だったようです。ヨーロッパを巡るコンサートツアーに出るのは何と45歳を過ぎてから。57歳で亡くなっていることを考えると華々しい演奏活動をしていたのはほんの6年ほどだったようです。しかも、その頃は生来の病弱体質と当時の医療水準(このころの医療水準ってのは、「医療の歴史を調べている人たちは、当時、通常医療を受けるぐらいなら、いっそ何もしないほうが患者にとっては良かったのではないかと考えている」レベルだったらしいですよ『代替医療解剖』)から、健康状態は万全ではなかったようです。それにもかかわらず稀代のヴィルトゥオーゾと呼ばれる演奏ができたのですから、大したものですねえ。そのからくりの一端も本書には書かれていますよ。簡単に言ってしまうと、彼は超一流の演奏家でもありましたが、超一流のプロモーターでもあった、ということなのです。

それまでの音楽家ってのは、教会とか宮廷に仕えるか、作曲した楽譜を出版するか、教師になるかくらいしか収入の道がありませんでした。それが、パガニーニは大々的に演奏会を開いて儲ける、というスタイルを確立したのです。大したもんですね。その際利用したのが、当時流行していた「悪魔」だったのです。それがうまく行きすぎて、本当に悪魔だと思われちゃった、というわけです。

ちなみに、パガニーニが生涯決して手元から離さず愛用していたヴァイオリンは、以前『ストラディヴァリとグァルネリ ヴァイオリン千年の夢にも登場するグァルネリウス・デル・ジェス作のカノーネ(カノン砲)だったそうです。現在でもこの楽器を使用した演奏の音源がネットで探すとすぐに見つかりますよ。

 

 

中野 京子美貌のひと 歴史に名を刻んだ顔PHP新書

まあ、絵画とか芸術は大体において「美」を追求しているといって差し支えないでしょう。従って、そこに表現される人間のモデルとなる人々もなんだかんだ言っても「美貌」の持ち主が多かったのではないでしょうか。本書はそんな絵画に残された中でも選りすぐりの「美貌のひと」のエピソードを描き出したものです。

エピソードは絵のモデルの場合も、絵のモチーフの物語の場合、さらには作家本人の場合などありますが、『怖い絵シリーズで大評判の中野さんですから、とっておきの興味深いエピソードばかり選ばれています。

そんな背景を知っておくと、絵画を鑑賞する際のスパイスになるのではないでしょうか。

 

 

木村 泰司人騒がせな名画たち』マガジンハウス

日本では芸術至上主義が優位なためなのか何なのか、絵画は己の主観に基づいて見ればよいのだ、なんて思われていますが、「西洋絵画は長年にわたり教養や物語、そして倫理観や思想など、さまざまなメッセージを伝えるための手段でした。そのため、伝統的に感性に訴えるよりも、理性に訴えることを重視してきました。つまり、「美術は見るものではなく読むもの」なのです」

で、そんな西洋絵画の超有名作の中から、世間で物議をかもした作品を集めて解説を加えたものです。いろんな意味で話題になった作品ばかりですので、おまけにわざわざ「人騒がせな」なんて銘打っているくらいですから、解説を含め大変面白く、読みやすく仕上がっていますよ。

 

 

香原 斗志『イタリアオペラを疑え!−名作・歌手・指揮者の真実をあぶり出す』アルテスパブリッシング

題名が『イタリアオペラを疑え!』、なんてなっているものですから、イタリアオペラなんて軽薄で内容がないんだから、まともに受け取っちゃだめですよ、なんて内容かと思いましたが、その正反対でした。

日本人が西洋音楽に親しんだのは明治に入ってから。つまりクラシック音楽の歴史の中でもロマン派後期ということになります。19世紀初頭、ベートーベンの中期ぐらいに始まったとされるロマン派音楽の完成時期といえるのでしょうか。オーケストラは大規模になり、そして当時の楽器の進歩を受け、音色も華やかになり、多種多様な楽器が使われるようになった時期でもあります。また、オペラや歌劇も大規模、派手になり、各地にオペラ劇場が建てられ、大衆的な人気を得た時代でもあります。

そんな最先端の華麗でド派手な音楽が前提条件なしに流れ込んだのが当時の日本、なのでしょう。だもんで、浅草オペラとかなんとか、日本人が演出、出演する大衆的なオペラが人気を得る一方で、そんなもんには目もくれず、西洋人の演奏(最高峰は交響曲)を、主としてレコードを通じて聴き、これこそが音楽である、なんて気取ったインテリが偉そうにご高説を垂れていた時代でもあります。私の偏見かもしれませんが。

まあ、オペラ座の来日公演なんて、オーケストラの団員に加え、大勢の歌手のギャラまで加わりますので、チケットがものすごく高いですからねえ(一流歌手のギャラはメチャクチャに高くて、おまけに思いっきりわがままなんですって。ここら辺は『オペラ座のお仕事などをお読みください)。これは高尚な音楽である、とでも思わなきゃ払えないですよ。でも、オペラとかオペレッタって、最近日本でも大人気のミュージカルのご先祖、それも遠い親戚ではなく、相当近い親戚、つまり親子とか兄弟だと私は思っております。そう思えば、オペラとは、なんてしゃちほこ張らずに楽しめるのではないでしょうか。

ところで、本書の著者の香原さんはオペラ評論家なのだそうですが、その知識は楽理、歌手の声質や音域の捉え方、技法や発声法など多岐にわたる該博な知識に裏付けされているようです。本書の記述もオペラには詳しくない私などはいささかtoo muchな部分もありましたが、大変楽しめたことも事実です。うーん、なんか聞いてみるか。

 

 

 

201911

堤 未果日本が売られる』幻冬舎新書

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本書のあとがきに、水道を民営化した後、買い戻して再度公営化したスペインのテレッサ市の話が出ています。「テレッサ市は、水道の運営権を民間から買い戻して再公営化したことをきっかけに、水道を、消費する「商品」でなく「全住民の公共資産」として位置付けることを決定、市議と市民が連携し、ともに責任を持って持続可能な水道運営をデザインしていくことを決めた」そうです。日本じゃまだPFI内閣府のホームページにでかでかと載っています。海外では成果を上げています、日本でもぜひって。バッカじゃねーの。

ところで、本書に出てくるアメリカのグローバル戦略を考案した一人はかのキッシンジャー博士だそうです。「食をコントロールするものが人民を支配し、エネルギーをコントロールするものが国家を支配し、金融をコントロールするものが世界を制する」ですって。さすが20世紀の知性!慧眼ですねえ。本当にアメリカの戦略として採用されてますよ。

食の安全に関しては、おひざ元のアメリカでも遺伝子組み換え食品に対しては抵抗が強かったそうです。で、いくつかの州では州法レベルで遺伝子組み換え教示を義務化する法案が可決されたのだそうです。ところがオバマ大統領は「各自治体の条例を上書きする条文を入れた「DARK法」(安全性欠く食品表示法)に署名」し、そんなことするんじゃない、って決めちゃったんだそうです。日本では「遺伝子組み換えでない」なんて表示を見ますよねえ。ですが、これも「2018328日。消費者庁「遺伝子組換え食品表示制度に関する検討会」は、遺伝子組み換え表示制度に関する今後の方針を公表、今までは混入率5%未満で「遺伝子組換えでない」と表示できたのを、今後は0%(不検出)の場合にしか表示できないようする」と決めたんだそうです。実は、輸入大豆やトウモロコシで、全く混入がない(本書では0.3%から1%程度となっています)というのは避けられないのだそうです。で、ちょっとでも混入していたら「遺伝子組み換えでない」とは表示できなくなります。消費者庁が意図したのはこっちじゃないのか、と堤さんは解説しています。

ところで、安倍首相は「他国へ原発を輸出する際、そこから出た核のゴミも日本が引き取るという破格の条件を出している」のだそうです。日本の核のゴミさえ処理する場所がないのに、一体全体どうするつもりなのでしょうか。

本書は読んでいて嫌になるような本でした。だから読まなくて良い、のではなく、読んで、本書に書いてあるようなことが起きないようにしなくてはならないのです。ぜひご一読を。

 

 

山田 正彦アメリカも批准できないTPP協定の内容は、こうだった!』株式会社サイゾー

オリジナルのTPPはトランプ大統領が公約通りに交渉から脱退、頓挫に追い込まれるかと思われていましたが、日本がリーダーシップをとる形でTPP11としてゾンビのごとく蘇り、成立することになりました。

本書はもともと山田さんがオリジナルのTPPを阻止せんとして出版したものですが、TPP11の復活を見て増補版の出版を決意されたそうです。TPPの交渉は書名まで秘密という建前なので、公開されてきませんでした、このたびの署名によってニュージーランド政府が協定文を公表、その後各国間のサイドレターも公開されました。それを緊急分析、出版されたのが本書です。その結論は、「TPP11TPP12よりもはるかに危険なものだ」ということです。

何がどういけないのか、は本書をお読みいただきたいと思いますが、では日本政府はなぜ日本国民に何も知らせず、場合によっては嘘までついてTPP11を発効させる必要性があったのでしょう。もちろん、ジャイアン・アメリカ様のため、です。それでは、アメリカ人はみんな幸せなのか、っていうと、そうでもないようで、アメリカでもトランプ大統とは異なった意味でTPPに反対する運動もあるのです。もっと健康的なものを食わせろ、とか。その他の諸外国でも同様です。では賛成しているのは、というと、どうもいわゆるグローバル企業のようです。良く名前の挙がる化学企業のモンサントやデュポンなどはもちろんですが、グローバルにパテントなどで縛ってなるべく独占的に物を売りたい、なんて考えている企業(日本の企業も含め)は大体においてTPPの恩恵を受けるみたいです。

日本のみならず、各国政府は一般市民ではなく、選ばれた上級市民の言うことしか聞かないみたいです。どうすれば良いのでしょうかね。

 

 

山田 正彦タネはどうなる?!』株式会社サイゾー

主要農作物種子法が201841日、廃止されました。政府の説明としては、日本には農業が盛んな地域も、そうではない地域もあるので、国が一律に規制するのは時代に合わない。これからは、地方に権限を委譲するので、地方自治体が中心となってその地方にあった農業振興策を考えてくれ、という趣旨のようです。従って、農業が崩壊するとかなんとかという批判は全く当たらない、と説明しています。これに対し、山田さんをはじめ、様々な方面から反対意見が寄せられました。種子法とはどのような法律なのか、廃止するとどのような問題があるのか、は本書をお読みいただきたいと思います。なかなかゾクッとするお話ですよ。

ここでも感じるのは、日本国政府も、アメリカの政府も、大事にしているのは一般市民ではなく、特定の上級市民だけだ、ってことです。なんだかやりきれないなあ。

ところで、本書と上記の二冊を書かれた山田さん、なかなか変わった経歴をお持ちのようです。「早稲田大学法学部を卒業後、新聞記者を志すが、結核だったことが発覚して断念。司法試験に挑戦し、1969年に合格するも法曹の道には進ます、故郷の五島に戻って牧場を開き、牛400頭を飼育、豚8000頭を出荷するようになる。その後、オイルショックによって牧場経営を断念、弁護士に専念」したんだそうです。その後は衆議院議員になられ、農林水産大臣を歴任されました。まあ、日本の農政には色々と言いたいことがあるんでしょうね。皆様も是非山田さんのお話に耳を傾けてはいかがでしょうか。

 

 

適菜 収小林秀雄の警告 近代はなぜ暴走したのか?』講談社+α新書

小林秀雄なんて、大学入試の出題としては読みましたが、まともに一冊の本として読んだことなんてないなあ。この文章の主題は何だ、なんて問題で、当たったためしがなかったですよ。嫌いだったなあ……。本書で私が共感できたのは、小林秀雄って大酒飲みでほとんど酒乱、飲むと誰かれ構わず議論を吹っかけてやり込めなくては気が済まない嫌味な奴だった、ってとこですかねえ。

ま、それはともかく、適菜さんによれば小林秀雄の仕事というのは、

「一、   我々近代人は魔の前にあるものが見えなくなってしまっている。」

「二、だから世界もゆがんで見える。」

「三、そこでこの問題の仕組みを批評により明らかにする。」

というように要約できるのだそうです。

そこらの凡人は目の前にあるものが見えず、間違った解釈・選択をしてしまう。当然、小林秀雄はあらゆるものが見えすぎるほど見えていた人だったのです。だから教えてやるって。あ、そうなの。

で、小林秀雄が批評したのは、見えている人たちばかりなのだそうです。アルチュール・ランボーは凡人には見えないものが見えた人。モーツァルトは凡人には聞こえないものが聞こえた人。ゴッホはやモネは凡人が見過ごしてしまうものをありのままに見て、そのまま描ける人、ってな具合です。あっ、そう。

「しかし、小林の文章は難解ではありません。扱っている主題が難解なのでもない。扱っている対象の「扱い方」が難解なのである」ですって。はあ。

ところで、適菜さんは「大衆社会の崩壊の成れの果てに登場した愚かな総理大臣が、「政治も外交もリアリズムが大切だ」と言っていた。バカなんですかね。リアリズムが欠如しているから政治も外交も失敗しているのに」と指摘しています。誰のことなんでしょう。思い当たりますか?

201910

谷本 真由美世界でバカにされる日本人 今すぐ知っておきたい本当のこと』ワニブックス

本書でも指摘している通り、最近のテレビ番組では「日本スゴイ!」とほめまくる番組があふれています。私が子供のころは外国スゴイ!って番組ばかりでしたので、はやりすたりの類でしょう。ですが、テレビで言っていることを本当に信じてしまうと大変な勘違いをすることになりますよ、というのが本書の主題です。

「スマートフォンやインターネット時代の現在、アップルがアメリカの会社だということはムババーネ(エスワティニ王国の首都・人口10万人ほど)やカザン(ロシア連邦タタールスタン共和国の首都・人口110万人)の人でさえ知っていますが、ソニーや東芝という著名な企業であっても中国の会社だと思われているくらいです」ですって。タタールスタンは聞いたことあるけど、エスワティニ王国ってどこだ?要するに、「日本というのはほかの国から見た場合、ネス湖のネッシーとかニューメキシコに現れる宇宙人に誘拐されたというような程度の立ち位置なのです」なんだそうです。

「日本人スゴイ!」とは真逆の視点から書かれている本書ですので、本書を読んで激オコプンプン丸(古いか)になる方もいらっしゃるかもしれませんが、私としてはそうだよなあ、と思う部分が多々ありました。

ではありますが、本書で最も傑作なのは第4章「お笑い!バンコクバカ博覧会」ってパートです。世界各国の相当ブラックなジョークが紹介されています。ま、誰も本心から「どこどこの国はスゴイ」なんて思っていないことがよくわかります。ま、そんなもんでしょ。

 

 

厚切りジェイソン日本のみなさんにお伝えしたい48Whyぴあ

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日本のみなさんにお伝えしたい48のWhy [ 厚切りジェイソン ]
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最後に「WHY JAPANESE PEOPLE!?」と絶叫する漢字ギャグで人気の厚切りジェイソンさんですが(長すぎるので以下ジェイソンさん)、お笑い芸人の傍らIT企業の役員を務めているそうです。で、どっちも本業なんですって。

この書評を書くにあたってWikipediaなども調べてみたのですが、ジェイソンさんは飛び級をするような早熟なタイプでありながらかなり高学歴であり、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校でコンピューターサイエンスの修士号も取得しているそうです。あまり早熟だと長じて只の人になっちゃう場合もありますが、ジェイソンさんは違うみたいですね。

本書はどうやらジェイソンさんがSNS上でやっている人生相談からネタを拾ってきているようです。したがって、若い人(学生とか仕事を始めたばかり)から受けた質問を、ちょっとお兄さんであるジェイソンさん(でもお笑いとIT企業の経営者を両立させているすごい人)がちょっと違った視点から答える、といったスタンスになっているようです。最近仕事でお悩みのような娘に差し入れておくことにしましょう。

 

 

ロバート・ホワイティング 玉木正之訳『ふたつのオリンピック』角川書店

著者のホワイティングさんは1962年、19歳の時に初めて東京オリンピック直前の日本に来たそうです。勤務地は、今はなくなってしまった府中基地。勤務先は太平洋軍電子諜報センター。つまり、ホワイティングさんは諜報部員だったのです。その活動はトップ・シークレットとかウルトラ・シークレットだったんだそうです。え、そんなこと書いて良いの、と思いますが、除隊後何十年もたっているのでOKらしいですよ。

ホワイティングさんの自叙伝のような本書、1960年代から本書の題名ともなっている2020東京オリンピックにまつわるゴタゴタまでのガイジンから見たニッポンの話が続きます。

で、本書の前半はホワイティングさんが経験した60年代のトーキョーの話(どう考えても非合法な裏話とか、沖縄に核爆弾があったとかも)が延々と続くのですが、1960年生まれの私にとっては、ほとんど映画の中のお話みたいでしたね。

本書では最近の話題まで取り上げられているのですが、あれ、そうだったの、なんて話題もてんこ盛りです。話題は野球から始まっているのですが、野球だけにとどまらず、政治経済、社会問題(本書にはヤクザのお話が頻出します。R18だぜ)まで取り上げられて、それがホワイティングさん独自の視点で解読されています。いやあ、面白い。

ところで、来日当時、日本人の英語の学習意欲はものすごく強くて、ホワイティングさんは1963年に時給1200円という英会話教師のバイトをしていたそうです。このころの時給1200円って相当な高給のはずですよね。それにしちゃ日本人の英語能力が上がったって話を聞かないのはなぜでしょう。あと、諜報関係の仕事をしている人間が基地の外でアルバイトができたってのも、結構驚きですよね。

600ページ近くもある分厚い本書、ちゃんと立ちます。大部の本書ですが、翻訳もこなれていて、ホワイティングさんのモテ自慢にいささかむかついた以外は、楽しく読了することができました。

 

 

宮崎 賢太郎『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』角川書店

2018年、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は世界遺産に登録されることになりました。「潜伏キリシタンは幕府の厳しい弾圧にも耐え、仏教を隠れ蓑として命がけで信仰を守り通した」と言われていますが、これを額面通りに受け取って良いのか、というところから宮崎さんの研究は始まったようです。ちなみに、宮崎さんは長崎純心大学人文学部比較文化学科教授で、「日本人のキリスト教の受容と変容のあり方を追求」されてきた方だそうです。

日本において、冬の風物詩としてクリスマスは完全に定着していますし、キリスト教式の結婚式を挙げる方も多くいらっしゃいます。また、ミッション系の学校(カトリック・プロテスタント問わず)も多く存在します。それにもかかわらず、統計上正式な信徒は人口の1%にも満たないといわれています。なぜなのでしょうか。

まあ、お正月には神社に初詣に行き、結婚式はキリスト教式(もしくは神道式)、葬式は仏教式、おまけにハロウィーンもクリスマスもバレンタインデーも祝っちゃう日本人。日本は仏教国と言われてはいますが、まともに仏教の教義を勉強し、理解し、さらには実践している、なんて人はお坊さんぐらいしか(怪しい?)いないのではないでしょうか。

また、16世紀ごろ、多くの日本人がキリスト教に改宗したのですが、実は大名たちの命令によって集団改宗した者が多く、キリスト教を宗教として理解して自ら改宗した、というケースは少なかったようです。では、なぜ大名たちがキリスト教に改宗したのか、というと、なんだかんだ言っても経済的な理由が大きかったみたいです。平たく言えば、南蛮貿易で便宜を図ってもらおうという下心があったんですね。なにしろ、同じころ日本にもたらされたのが鉄砲ですからね、そりゃ欲しかったのでしょう。まあ、まじめにキリスト教徒になった高山右近みたいなキリシタン大名もいることはいたみたいですが。

本書においても現実の問題をありのままに見るのではなく、学問の世界にいる人間でさえ見たいようにしか見ない方々がいらっしゃることを告発しています。「キリシタンの復活という潜伏期の最終時点で、浦上の潜伏キリシタンたちが、主の降誕と受難、そして四旬節との関連をこれほど明晰に一点の誤りもなく伝承してきたという従来の言質は、資料が語る事実と相違していることが明らかである」「奇跡を信じ、そのような歴史を称えるのは、信仰の立場からは認められるが、実証的な学問の立場からは受け入れられない」

なかなか面白い一冊でした。

 

 

20199

鴻上 尚史不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』講談社現代新書

9回特攻に出撃し、回生きて帰ってきた人のお話です。その頃の特攻攻撃は、飛行機に爆弾を括り付け、体当たりするというものでした。つまり、特攻攻撃を行って生きて帰るということは想定されていませんでした。ところが、本書の主人公佐々木友次伍長は体当たりをせず爆弾を落とし(特攻機ですから爆弾を落とせないように改造してあったのだそうですが、落とせるように再改造したのだそうです)、帰還したのです。戦後も長らくご存命だったそうで、鴻上さんも実際にインタビューしています。

佐々木伍長には感嘆を禁じえませんでしたが、特攻などという人の命をすりつぶす、作戦ともいえない「統率の外道」を強いた軍上層部には怒りと絶望しか感じませんでした。こんなことをやらせた人間が敗戦後も生き延び、でかい面してたんですよ。死人に口なし。その結果、何でもかんでも精神論で片づけてしまうような思考回路が戦後も幅を利かせることになってしまったのでしょう。いまだにそんなことしか考えてない奴がいるもんね。

でも、戦時中の新聞には考えさせられるものがあります。「~鷲の忠烈 萬世に燦たり」なんて書かれていました。しかも、それがバカ売れしたみたいですよ。明仁皇太子がある陸軍中将になぜ特攻をやるのかと問うたところ、「特攻戦法というのは、日本人の性質に良くかなっている」からだ、と述べたそうです。確かに、特攻に出撃するわけではない人間にとっては大変都合良く、しかも感動できるものだったのかもしれませんね。

 

 

大貫 健一郎、渡辺 考『特攻隊振武寮 帰還兵は地獄を見た朝日文庫

鴻上さんの本のネタ本のひとつです。

特攻隊員は、「出撃前には「軍神」と呼ばれ、生き神様として扱われた我々特攻隊員でしたが、生き残るや一転、国賊扱いとなった」ようです。で、生き残った特攻隊員は振武寮というところに閉じ込められ、「帰還兵は地獄を見た」のだそうです。

『不死身の特攻兵』の佐々木伍長はフィリピンから出撃していましたので、生きて帰ってきてもどこかに軟禁されることはなかったようですが(その代わり、すぐに次の特攻を命じられたようですが)、本書の著者の大貫さんはこの振武寮に軟禁、精神修養という名の地獄を見たそうです。

大貫さんは、「訓練中に参謀が来ては、「見敵必滅、勇躍邁進、乾坤一擲」のどのお題目を並べては発破をかけることもしばしばで、迷惑千万な話でした」と書いています。で、特攻を命令した上官、あるいは特攻作戦を推進した参謀などで、戦後本当に反省した人

間はいるのでしょうか。特攻の生みの親とも言われる大西瀧治郎中将は終戦時に自決したそうですが、本書に出てくる第六航空軍司令官菅原道大中将は「最後の一機で必ず私はお前たちの後を追う」なんてことあるごとに言っていたそうですが、戦後95歳まで生きていたそうです。

そもそも、特攻が無駄であった、なんて認めることは、自分が間違っていたと認めることと同じことになりますので、特攻兵はすべて志願に基づいて選考されたとか、皆笑顔で出撃していったとか、特攻は赫赫たる成果を上げたとか、特攻はアメリカ軍をもビビらせたとか、特攻兵の尊い犠牲の上に平和が築かれた、などという神話が戦後長く語られることになったのでしょう。大貫さんは「彼らはいまだに旧軍の栄光にしがみつき、慰霊祭の場や出版物などで武勇伝を発表していますが、心からお詫びをしている事例にはほとんどぶつかりません。第一線で敢闘し、一命を投げ出し闘った兵士たちに、いったいなんと応え得るというのでしょう」と書いています。

私は常々人間の真価とは反省ができるかどうかではないかと思っています。自らを省みて間違っていたと認めることは、下手をすると肉体的苦痛よりもつらいものなのかもしれません。だって、他人からどう言われようが、自分は間違っていない、反省なんかしない、って思いこんじゃえば、それで終わりですからね。そんな人間のこともお天道様は見逃がさない、のかなあ。

 

 

手塚 治虫 小森陽一解説『手塚マンガで憲法九条を読む』こどもの未来社

現行憲法は1947年の施行以来、全く改正されることなく施行されてきました。この憲法に対し、安倍首相は20181024日、秋の臨時国会において、憲法改正に取り組むことを明言しました。

現行憲法成立の経緯については様々な説があります。あれはGHQ民生局がでっち上げ、日本に押し付けたものだ、というものから、いや、日本国政府案をベースに修正を加えたものだ、というものまであります。ではありますが、GHQの強い強制力を持った意向が反映されているのは間違いのないところでしょう。

一方でGHQの強い意向があったことも間違いのないところでしょうが、戦争に起因する混乱に辟易としていた国民には歓迎される部分があったことも事実でしょう。そのことから強い改憲運動は起こらず、長らく日本国民に受け入れられてきました。

それに対し、「それがいつの間にか風化し形骸化して、またもや政府がきな臭い方向に向かおうとしている。子どもたちのために、当然大人がそれを阻止しなければならないと同時に、子ども自身がそれを拒否するような人間にはぐくんでやらなければならないと思うんです」「せいめいあるものすべてを戦争の破壊と悲惨から守るのだという信念を子どもにうえつける教育、そして子ども文化はその上に成り立つものでなければならない」と1968年の第31回子どもを守る文化会議で述べたそうです。全く同感です。

手塚マンガというと、どちらかというとSFチックであったり、ファンタジックであったりして、反戦マンガのイメージはありません。ただ、手塚さん自身は1928年生まれですから、ぎりぎりで招集はされなかった世代ではありますが、多感な思春期に戦争の惨禍を経験したいわゆる戦中世代でしょう。

本書に収録されている「ザ・クレーター 墜落機」という作品には、上にご紹介した特攻のエピソード(生きて帰ってくると、絶対に死んで来いと言われてもう一度特攻に出される)にそっくりな話が紹介されています。発表されたのは1969年ですから、そのころすでに特攻という美談の裏側は、もはや秘密ではなくなっていたんでしょうね。

作品については是非お読みいただきたいと思います。手塚さんはユーモアあふれるタッチで描いていますので、陰惨なイメージは少なく、大変読みやすくなっています。読みやすくはありますが、決してテーマを軽く扱っているのではないことも分かります。ぜひご一読を。

 

 

保坂 正康昭和の怪物 七つの謎』講談社現代新書

本書で取り上げられているのは東条英機、石原莞爾、犬養毅、渡辺和子、瀬島龍三、吉田茂の6人。6人で7つの謎ということで、石原莞爾だけは2つの謎に関わっています。

ま、細かい内容は本書をお読みいただきたいと思います。ここでは印象に残ったあれこれを引用しておきたいと思います。なず、東条英機については、「とにかく強引で、自分に都合のいい論理しか口にしない。相手を批判するときは、大声で、しかも感情的に」という性格だったと保坂さんは記しています。で、「精神論が好き」「妥協は敗北」「事実誤認は当たり前」ですって。あれ、現役の誰かさんに似てる……。

誰かさんに似てる云々はともかく、これらは当時の陸軍の気質、体質とも重なります。まあ、そうでなければ、出世できなかったはずですからね。それだけではなく、日本においては戦後もこのような気質は受け継がれているような気がします。本書でも軍官僚の行動原理の欠陥として、「宿痾ともいうべき重大な欠陥は、「第一次史料にも手を入れて改竄する」といった点である」と指摘されています。最近も、どっかで聞いたような……。私は常々、旧日本軍が日本における諸悪の根源だと思ってきましたが、こんなところにも影響が残っているのですね。

前出『特攻隊振武寮』で私は反省ができるかどうかが人間の真価だ、なんて書きましたが、保坂さんもほぼ同じようなことを書いています。「日本には決して選んではならない首相像があると実感した」「つまるところは「自省がない」という点に尽きる」と書いています。

自分自身の反省も込めて、皆様も是非ご一読を。

 

 

20198

本間 龍ブラックボランティア』角川新書

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ブラックボランティア (角川新書) [ 本間 龍 ]
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あと1年ほどで開催される東京オリンピックですが、様々な問題が今までもありました。エンブレムの盗用問題、新国立競技場を巡るいざこざ、果ては築地市場の豊洲移転まで絡んできました。また、復興五輪の掛け声とは裏腹に、オリンピック特需に沸く東京への資材と人手の集中から、『復興』なんてどっかに吹っ飛んでしまいました。全部作るんだったら福島でやりゃいいのに。

本書のキモとなる主張は『今回の東京五輪では、50社以上のスポンサーから4000億以上(非公表のため推定)の協賛金を集めていると考えられる。にもかかわらず、ボランティアをタダで使おうとしている。日給1万円を10日間、11万人に支給したとしても110億にしかならない。一体いくら浮かそうとしているのか』という一文に集約されます。商業イベントの運営スタッフに報酬が支払われないということは考えられません。巨大商業イベントとして集金しているオリンピックが例外なのはなぜなのでしょうか。

本間さんが本書で指摘したので、最新情報では交通費を補助するって名目で特別デザインのプリペイドカード1000円分を配ることにしたそうです。締めて11億円か。でも、ボランティア代までケチってると、開催に支障が出ることも大いに予想されます。本書にも指摘されているように、中高生まで含めた学徒動員とかで乗り切るつもりなんですかね。

とは言え、いろいろと問題はある訳ですが、オリンピック開催に向け粛々と世の中は動いているようです。何たって動くお金が数兆円という巨大な商業イベントですからね。思いっきり儲かる奴がいるんだろうな。

酷暑の夏に開催される今回の東京オリンピックだけでなく、今後のオリンピックの存続も含め、今一度オリンピックの意義、目的などを考えるために立ち止まる時期に差し掛かっているような気がします。そのためにも是非ご一読を。

 

 

黒川 祥子PTA不要論』新潮新書

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PTA不要論 (新潮新書) [ 黒川 祥子 ]
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「卒業してよかったと、心から思えるものがある。それが、PTAだ。母親たちの愛憎渦巻く、訳の分からない組織に今後一切、関わらなくて済むのだと思うと、安堵の念しか浮かばない」何しろ黒川さんは長男と次男で7回もPTAの役員をやられたそうですから、そりゃそう思うよな、と心から同情いたします。

私も一応PTAの役員をやったことがあります。まあ、父親でしたので、平日の真昼間にやる会議には欠席する、と宣言できましたが、母親だと無理だったかもしれませんね。

本書でもPTA業務として様々な、しかし疑問のある業務を任されている有様が描かれています。私が経験した中では、PTAが入校証の発行業務を担当しているというのがありました。父母が学校に来る際にその身分を証するために着用するものですが、このようなセキュリティに関わるものをなぜPTAが担当しているのでしょうか。何かあったら、PTAが責任を取るんですか、取れるんですか。学校側とちゃんと契約書とか取り交わしたんですか?何考えてるんでしょうか、ってか、何も考えてないんだろうな。

何だか、ブラックボランティアと同じ匂いがしませんか。読んでいて怒りがこみあげてくる、というより、あまりのばかばかしさに悲しくなりました。

 

 

内田 良、斎藤 ひでみ教師のブラック残業GAKUYO

著者の内田さんは本書評でも取り上げさせていただいたことだあるように(『教育という病)、日本の教育における問題点をあぶりだしておられる方です。肩書は名古屋大学大学院教育発達科学研究科准教授です。長いな。

もうお一人の著者の内田さんは現職の公立高校の教員ですが、「生徒への入部強制教員への顧問強制といった、部活動の在り方」に対してインターネットを通じて問題を訴えている方だそうです。

公立学校の先生方には給特法(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)によって残業手当がつかないのだそうです。もちろんそのために給与水準は多め(4%増しだそうです)に設定されています。ですが、この法律があることによって過労死レベルの残業についても放置されるようになっているようです。

著者お二人を含む多くの教員たちが様々な訴えを行ってきた結果、「文部科学省は201712月に、「学校における働き方改革に関する緊急対策」を発表」しました。ブラック残業も少しは減ったんでしょうか。

それにしても、日本という国ではなぜPDCAが回らないのでしょうか。PDCAとはご存知の通り、なにか新しいことをするときにはちゃんと計画を立てて(Plan)からやりなさい(Do)、実行した後も、何か不具合がないか検討し(Check)、問題がある場合には是正措置を取りなさい(Act)という、当ったり前のことを表しています。日本では比較的PDには時間が割かれるのですが、いったん実行されてしますと前例主義で絶対に見直さない。で、CAが実行されず、問題があってもそのままずるずると同じことが繰り返されてしまうのです。

ブラックボランティアもPTAも教師のブラック残業も、問題があるのであれば、是正しようではありませんか。

 

 

大竹 文雄、平井 啓医療現場の行動経済学 すれ違う医者と患者』東洋経済新報社

今月はブラック何々を取り上げてきましたが、本書はブラック医療現場のルポではありません。そうではなくて、医者と患者の埋めがたい溝を行動経済学の理論を使って少しでも埋めていこうじゃないの、という本です。

本書の冒頭で、末期のがん患者にどのように告知するか、という問題が取り上げられています。医者にこれ以上の治療の余地はないと宣告され、「もうつらい治療を受けなくてもいいということです。残念ですが、余命はおそらく三か月くらいでしょう。あとは好きなことをして、時間を有意義に使ってください」なんて言われたら、どう思うでしょうか。今現在の私は、そうなる前に治療はお断りして、痛みだけはないように(緩和治療)お願いしたいと思っていますが、実際にそういわれたら、じたばたするのかもしれません。

医者としては、良かれと思って言っているのですが、実際には、多くの患者さんが緩和治療を望まず、延命治療を選択する傾向が強いのだそうです。で、そのような場合に、行動経済学を応用したテクニックによって緩和治療を選択してもらう確率を上げることができるのだそうです。どうやるか、は本書をお読みください。

「本書は、医学、公衆衛生学、心理学、人類学、ソーシャル・マーケティング、行動経済学の各分野の研究者が集まって、行動経済学の医療への応用について行ってきた研究会の成果である」のだそうです。このような研究会に参加した医療関係者は、「行動経済学を学んで、患者の意思決定を理解できるようになった」なんて感想を持つそうです。そうか、患者ってのはこんなバイアスを持った決定を下すんだ、なんて。でも、医療関係者だって様々なバイアスを持っているはずなのですが、「多くの医療者は、それを認めたがらない」のだそうです。医者と患者の埋めがたい溝の原因って、本当はそんなところにあるんじゃないですかね。

 

 

20197

ニーアル・ファーガソン 山本文史訳『大英帝国の歴史 上下』中央公論社

一般的に大英帝国(British Empire)は北米及びカリブ海地域を植民地として本格的に進出した17世紀ごろ(海賊(私掠船)が活躍していた頃)に始まるとされているようです。その後、「七つの海を支配する」「日の没することのない」帝国も、第二次世界大戦を機に植民地が次々と独立を果たし、超大国の地位を滑り落ちた20世紀ごろに終わった、というのが定説のようです。

植民地の独立に際しては武力闘争も行われ、独立闘争を弾圧する側であり、しかも永年植民地を収奪してきた大英帝国側はどうしても悪者として描かれることが多かったようです。序章にも描かれている通り、ファーガソンさんのご先祖、係累には七つの海を股にかけて活躍された方も多かったようですので、ファーガソンさんもイギリス人として面白くなかったのでしょう。ということで書かれたのが本書です、多分。

歴史修正主義、とまでは言いませんが、イギリス人のイギリス人によるイギリス人のための歴史書、ということでしょう。長年に渡り諸外国の人々と切った張ったの大立ち回りを繰り広げてきたイギリス人ですから、外国人にそう簡単に本心を見せたりはしないのでしょうが、歴史書、学術書を装って本音を書いちゃった、ってのが本書の成り立ちなのではないでしょうか。穿ちすぎかな?

ですから、イギリスに関しては肯定的評価が下されている一方、イギリスに盾突いた側には厳しい評価が下されています。イギリスから独立したアメリカに対しては、「アメリカの植民地住民には、自由の名の下に独立を達成したにもかかわらず、南部の諸州では、奴隷制が永続することになった」と指摘しています。アメリカでは奴隷制が温存される間に、「アメリカ植民地を失ってから230年も経ない内に、帝国全体において、まず、奴隷貿易を廃止し、次いで、奴隷制そのものを廃止したのである」と指摘しています。

また、日本についても、アイリス・チャンの『ザ・レイプ・オブ・南京」を読む』を引き合いに出し、「人間の尊厳を重んずる帝国と、自分たち以外の民族をブタ同然の存在としてさげすむ帝国、その両帝国の衝突でもあったのだ」なんて書いてあります。どっちが大日本帝国でどっちが大英帝国かは分かりますよね。ま、大日本帝国の行いは言行不一致も甚だしかったですから(だって、同胞のはずのアジア人にも嫌われてたんですよ)、非難されてもしょうがないのかもしれませんが、大英帝国もどうだったんでしょうかね。

第二次世界大戦には勝利したものの、大英帝国は崩壊することになりました。「イギリスの勝利を、真に素晴らしく、真に気高いものにしているのは、その勝利のために払った犠牲である。結局のところ、イギリス人は、ドイツ帝国、日本帝国、イタリア帝国の存続を許すことを防ぐために、イギリス帝国を犠牲にしたのだ。これだけでも、イギリス帝国がこれまで冒したすべての罪の、罪滅ぼしとなるのではないだろうか?」

きっとファーガソンさんはこの一文を書くために本書を書いたのでしょう。ま、日本人にも同じようなことを大日本帝国の行状(植民地統治)に関して主張してらっしゃる方が多々いらっしゃいますよねえ。似たようなもんじゃないの?

 

 

ユヴァル・ノア・ハラリ 柴田裕之訳『ホモ・デウス 上 河出書房新社

以前ご紹介したハラリさんの『サピエンス全史が私たちはどこからやってきたのか、という疑問から出発したのに対し、今作では私たちはどこに向かっているのか、を問うた本です。

私たち現生人類のことをホモ・サピエンスといいます。ホモは人間、サピエンスは賢い、なんて意味だそうです。それに対して、本書の『ホモ・デウス』ってのは、ホモは同じですが、デウスってのは「神」を意味します。「ホモ・デウス」ってのは、アップデートした人間、ホモ・サピエンス2.0なんでしょうか、それともサイボーグ009

1914年に日本のエリート層が、貧しい人々に予防接種をしたり、貧民街に病院と下水設備を建設したりすることに熱心だったのは、日本を強力な軍隊と活発な経済を持つ大国にしたければ、何百万もの健康な兵士と労働者が必要だったからだ」、そうです。別に国民の幸福を願ってやったわけじゃない、ってことですね。でも、時代が変わり、ホモ・デウスの時代になると、「少なくとも一部のエリート層は次のように結論する可能性がある。無用な貧しい人々の健康水準を向上させること、あるいは標準的な健康水準を維持することさえ、意味がない、一握りの超人たちを通常の水準を超えるところまでアップデートすることに専心するほうが、はるかに賢明だ、と」

うーん、オーウェルの『1984年』かハクスレーの『素晴らしい新世界』の世界ですねえ。さあて、どうなるんでしょうか。私が生きてるうちにもその一端が見られるかもしれないですね。

 

 

メアリー・ビアード 宮崎真紀訳『SPQRローマ帝国史(1) 共和政の時代』亜紀書房

著者のビアードさんはケンブリッジ大学古典学の教授ですが、「イギリス一有名な古典学者」とも呼ばれている方だそうです。その売れっ子歴史学者(いや、古典学者か。どう違うんだ)がローマ帝国史の謎に挑みます。とはいえ、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』から、塩野七生さんの『ローマ人の物語まで書き尽くされた感もあります。ビアードさんはどんなスパイスを利かして料理しているのでしょうか。

ビアードさんは「二千年経った今なお、西洋の文化や政治、私たちが書く文章、世の中の見方、世界における西洋の立ち位置の基盤なのだ」と書いています。確かにテクノロジーは進歩しましたが、一人の人間としてやっていることは、千年、二千年といったスパンでは大して違いがないみたいです。裏を返すとちっとも進歩してない、ってことにもなるんですが。

 

メアリー・ビアード 宮崎真紀訳『SPQRローマ帝国史(2) 皇帝の時代』亜紀書房

でもってこちらがその続き。共和制から帝政に変わったローマ帝国の歴史です。この時代は資料が大量にあるそうですので、エピソードも豊富で私たちにもなじみのある時代でしょう。

ローマ帝国がいつ始まり、いつ終わったかには諸説あるようです。そもそも、帝国だから帝政期だけなのか、共和政時代も含めるのなら神話的な建国をどうとらえるか、とか東ローマ帝国を含めるのか、など、捉え方によっても随分と変わるからです。

とは言え、共和政ローマからゲルマン民族により西ローマ帝国が滅びるまででも約千年。国の寿命としてはかなりのもんです。七つの海を支配した大英帝国だって3百年くらいですからね。

本書ではローマ帝国の有名な政治家とか皇帝たちばかりではなく、庶民の暮らし向きも取り上げられています。庶民に関した記録類の少なさ(記録に残されるのは皇帝とかお金持ちとかが主ですからね。「持たざる者は歴史的にも考古学的にほとんど痕跡を残さない」ですって)もあり、あまり歴史書には登場しませんでした。ローマ時代って、水道が整備されていたとか、帝国内のどこでもちゃんとしたローマ風呂が整備されていた、なんて聞かされていたせいか清潔そうな印象があったのですが、「組織的なごみ収集がなかったことと、公道を公衆便所として使っていたこと」から、清潔さからは程遠い状態で、そうとう不潔だったようです。あら、そうだったの。

ということで、なかなか面白く読めましたよ。

 

 

ケネス・ベイカー 松村昌家訳『風刺画で読み解く イギリス宰相列伝 ウォルポールからメイジャーまで』ミネルヴァ書房

本書の正式な日本語書名は『風刺画で読み解く イギリス宰相列伝 ウォルポールからメイジャーまで』というものです。本書の内容が一目瞭然ですね。時代としては、上にご紹介している『大英帝国の歴史』の時代と大きく被ります。でも、本書で面白いのは、著者のベイカーさんというのが、ポンチ絵の収集家として有名な方であるのはもちろん、実は保守党で長らく下院議員を務め、大臣職も歴任した方なのだそうです。政治家で、政治家をおちょくることを目的として書かれたポンチ絵を収集するなんてことは、よほど度量が広くなければできないですよね。本書にはベイカーさん本人がけちょんけちょんに批判されているポンチ絵も掲載されています。どっかのケツの穴の狭い政治家には無理だな。

私はポンチ絵という言葉を使いましたが、ベイカーさんによればこのような政治的風刺画、ポンチ絵にもさまざまな種類、歴史があるそうです。カートゥーン、カリカチュアといった言葉が本書では紹介されています。まあ、そのような絵画が生産された背景には印刷技術の発展、そしてそのような絵画を掲載する媒体としての新聞や雑誌の存在、発展が関わっていることは間違いないでしょう。

ポンチ絵はあまり芸術的絵画として捉えられることはないようですが、それでも面白い共通点があります。歴史的な絵画(宗教画とか)を描く場合、本人に会ったことがある訳ではありませんから、その容貌は分かりません。でも、その人が誰だかわからないと絵画として成立しませんので、例えば聖母マリアであればどこかにユリの花が書き加えられているとか、必ず赤と青を使った服を着ている、なんて約束事があります。アトリビュートってヤツですね。で、ポンチ絵も描かれているのが誰なのかパッとわかるように、何らかのしるしが強調されているのだそうです。ですから、マーガレット・サッチャーのポンチ絵にはよくハンドバッグが描かれているのだそうです。もっとも、本書に掲載されているサッチャーさんのポンチ絵には、ハンドバッグは描かれてません。大変有名で良くも悪くも人気もあったので、その必要が無くなってしまったのかもしれませんね。

イギリス風ユーモアを理解できるかどうかはともかく(特に古い時代のポンチ絵は解説付きでも分かりにくい)、結構楽しめましたよ。

 

20196

ルディー 和子経済の不都合な話』日本経済新聞社

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経済の不都合な話 (日経プレミアシリーズ) [ ルディー和子 ]
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ルディーさんの経歴を拝見いたしますと、実業の世界におけるマーケティングの専門家でいらっしゃるようです。そのような背景を持つルディーさんからすると、現在の経済学、特に数理経済学の現実離れした前提に基づく経済理論の欺瞞性には我慢ならないものがあるのでしょう。もし顧客が合理的経済人で、あらゆる情報が瞬時に共有されるのであれば、マーケティングなんて仕事はそもそも成り立たないはずですからねえ。

ルディーさん自身は大変エリートのようです。が、最後にこう書いています。「所詮、人間は、「ある程度の理性を持ったサル」なのだ。その事実を謙虚に自覚しなければならない」と。あなたも私も所詮はサルに毛が生えた程度の動物なんです。ご自覚あれ。

 

 

アレックス・ラインハート 西原史暁訳『ダメな統計学 悲惨なほど完全なる手引書』勁草書房

以前本書評でも西内啓さんの『統計学が最強の学問であるを取り上げたことがあります。数学のように純粋に理論だけで完結する学問もありますが、科学分野であっても医学や薬学などは必ずしも理論だけでは完結せず、統計学といった方法で補完しない限り「証明」ができない分野もあります。

が、問題は、論文などを作成する場合、必ずしも統計学の専門家が統計処理の補助や検証をしているわけではなく、本文を書いている充分な統計学の訓練を受けたわけではない学者が、意図的改竄とまでは言えないとしても、統計の乱用・誤用をしている例が数多くみられることです。本書では「データが吐くまで拷問する」なんて表現が使われています。

昨今、各種統計ソフトが大変充実してきました。で、お望みの結果が得られるまで意図的に変数の組み合わせを選び、異常値は排除し、データを補充し、「データが吐くまで拷問」してお望みの結果が得られたところで実験を中止する、なんてことが簡単にできるようになりました。検定力だっていろんな指標がありますから、なるべく見場がよさそうなものを選ぶ、なんてことが行われているんです。私も学生時代、似たようなことをやってました。はい。

もちろん、そのような結果を排除する方法がないわけではありませんが、オールマイティーではないようです。ということで、ここから先は本書をお読みください。

本書の元になった英語版のサイトはこちら

 

 

伊神 満「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』日経BPマーケティング

本書の題名にもなっている「イノベーターのジレンマ」とは、本書評でもご紹介したクレイトン・クリステンセンさんが書いたThe Innovator’s Dilemma(邦題は『イノベーションのジレンマ)のことです。「2009年の夏に『イノベーターのジレンマ』を読んだ私は感銘を受けたが、同時に物足りなさも感じた」のだそうです。経営学としてアイデアは面白いのですが、経済学者にとっては「理論も実証もゆるゆる」だと感じたようです。

バリバリの経済学者である伊神さんにはそのゆるさが我慢できなかったのでしょう。でも、経営学なんて文学ですからねえ、あまり突き詰めると面白みがなくなっちゃいますよ。

伊神さんは「経済学の良いところは、1つの問題を深く掘り下げた結果、日々の生活から世界の歴史まで、あらゆる局面に応用可能な知見が得られることだ」って自信満々に書いています。だもんで、学生さんや学者さんはもちろん、「人生の岐路に立っておられる方にも、何かしら勇気みたいなものを提供できるかもしれない」んだそうです。ほんとかね。

ここから先は本書をお読みください。読み物としては結構面白かったですよ。

 

 

トーマス・セドラチェク、オリヴァー・タンツァー 森内薫・長谷川早苗訳『続・善と悪の経済学 資本主義の精神分析』東洋経済新報社

以前『善と悪の経済学をご紹介した異色の経歴を持つ異端の経済思想家セドラチェク氏とジャーナリストのタンツァーさんの共著です。

本書のアイデアは、「自分のことを理性的でまじめだと思っている(そしてそれを鼻にかけている)人に精神分析を受けさせるのは、なかなか愉快なものだ」、だから、経済学という学問にも精神分析を受けさせるのは面白いのではないか、というところから来ているようです。つまり、精神分析を受けさせることによって、経済学の本性を暴いてやろう、ってことみたいです。

お二人の分析によれば、現在の経済学(あるいは現在の経済システム)は「現実認識障害」、「不安障害」、「気分障害/情動障害」、「衝動制御障害」そして「人格障害」まで患っているんだそうです。こりゃかなり重症だな。

ということですので、本格的な経済学に関する著作を期待すると、あれ、なんだか違うな、って感じになると思います。でも、読んでみだら結構面白かったですよ。

 

20195

小山 昇数字は人格 できる人はどんな数字を見て、どこまで数字で判断しているか』ダイヤモンド社

著者の小山さんはダスキンのフランチャイズ事業を中核事業として行う株式会社武蔵野の代表取締役社長です。が、株式会社武蔵野の事業として中小企業のコンサルタント業務があります。コンサルタントとしての小山さんはあちこちのメディアにも取り上げられているので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。

日本の中小企業の社長ってのは「「粗利益って何?どうして利益にたくさんの種類があるの?」というレベルです。当然、会社は赤字です。それまでつぶれなかったのは運がよかったからとしか言いようがない」って感じなんだそうです。以前ご紹介したデービット・アトキンソンさんも『新・生産性立国論』で似たようなことを言っておられました。日本の経営者ってのは零細企業から大企業までバ〇ばっかりなのでしょうか。

本書は零細企業(家族経営とか)ではなく、また大企業でもない中小企業向けに書かれています。そのような企業を経営されている社長さんは一読しておくとよいかもしれません。

 

 

山本 昌作ディズニー、NASAが認めた 遊ぶ鉄工所ダイアモンド社

山本さんは「毎日同じ製品を大量生産していた町工場は「24時間無人加工の夢工場」へと変身」させました。大手の孫請けでしかなかった鉄工所も、今では「量産物はやらない」「ルーティン作業はやらない」「職人は、つくらない」という工場になったのだそうです。ふつう、そんな贅沢なことを言ったら倒産してしまいそうですが、「鉄工所の平均利益率38%を大きくしのぐ「利益率20%を超えるIT鉄工所」」なのだそうです。本書には本社の写真なども載っていますが、なるほど入社希望者が殺到しそうなカッコ良さです。

実際に何をどうしたのか、は是非本書をお読みいただきたいと思います。

大変申し訳ありませんが、私は上記株式会社武蔵野では働きたいと思いませんでした。でも、ヒルトップ株式会社だったら面白いかもしれないな、と思いました。今から実際に働くわけではありませんけどね。

 

 

丸山 俊一+NHK「欲望の資本主義」制作班『欲望の資本主義 ルールが変わる時 』東洋経済新報社

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欲望の資本主義 ルールが変わる時 [ 丸山 俊一 ]
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本書はNHKのドキュメンタリー番組を基に作られています。また、本書の著者とは別に、安田洋祐さんという大阪大学大学院経済学研究科の准教授がインタビュアー、ナビゲーターとして関わっています。

安田さんは現役の経済学者ではありますが、現在の経済学が現在私たちの直面している問題に対しては「「うまく答えられていない」、あるいは(問いによっては)「そもそも問題に向き合っていない」という印象を残念ながら感じる」としています。確かに。

で、現代の知性とも呼ばれる「不平等と戦う知の巨人スティグリッツ氏(『世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す』をご紹介しました)、異色の経歴を持つ異端の経済思想家セドラチェク氏(『善と悪の経済学』をご紹介しました)、テクノロジーの可能性を信じるベンチャー・キャピタリストのスタンフォード氏」(読んでないなあ)と対談しています。

 

 

丸山 俊一+NHK「欲望の資本主義」制作班『欲望の資本主義2 闇の力が目覚める時』東洋経済新報社

で、こちらが2018年版。作成側の面々は変わりがありません。本書ではまず、「フランスを代表する知性ダニエル・コーエン」に前回と同じく安田さんがインタビューしています。そして、「前回に引き続いての登場、奇才トーマス・セドラチェクと、若き天才哲学者とも称されるマルクス・ガブリエルが対話」しています。

現代の経済は成長しているはずです。そして、テクノロジーも大いに発展しています。にもかかわらず、私たちの生活が実に豊かになった、働かなくても良くなった、なんて話はあまり聞きません。なぜなのでしょうか。こんな問いかけに対して、現代の哲人たちはどのように応えているのでしょうか。

世界有数の知識人が大変高度な議論を繰り広げています。分かったのか、と言われると大変心もとないものがあります。ではありますが、私たちは現実に資本主義社会の中で生活しています。これからどうなんの、なんて思っているあなた、読んでみると何かしら気づくことがあるかもしれませんよ。

 

20194

松島 斉ゲーム理論はアート 社会のしくみを思いつくための繊細な哲学』日本評論社

「ゲーム理論の真骨頂は、日常と空想のはざまで仮想的モデルを思いつこうとする、その創造的、芸術的行為にある」「ゲーム理論の仮想的モデルは、数学であるがゆえに、相互に、自在に、比較検討することができる」のだそうです。したがって、このゲーム理論を活用することによって、「バブルはなぜ起こるのか」とか「どうしてハラスメントは起きるのか」なんて現代の諸問題も説明できるのだそうです。ちなみに、「金融市場のバブルと、職場のハラスメントは、まったく異なる次元の問題であるにもかかわらず、まったく同じ仮説的モデルによって説明される」のだそうです。へー、そうなの。

まあですね、頭脳明晰な松島さんが本書の題名で述べられている通り、ゲーム理論はアートなんです。芸術作品の価値(値段だけではなく、個人のし好なども)が理論的に決まるわけではありません。ゲーム理論の仮想的モデルにしても、残念ながら万人に適応可能なのか、といえばそんなことはないでしょう。社会全体として何らかのモデルを作り、こういった方向性の選択をすることがベストだと思います、といったことは可能なのかもしれません。しかし、個人が何らかの選択をする場合、例えば、この人と結婚するべきかどうか、なんて選択の場合、その決定は個人のアートに属するものでしょう。松島さんも仰っている通り、ここら辺は文系の諸君の方が理系の諸君より得意なのかもしれません。

ただし、本書は経済学会誌に応募した論文に適宜加筆したものがベースになっているようです。従って、ゲーム理論はアートであると仰っている張本人の松島さんですが、その説明はかなり論理的で固い表現になっています。専門書と紙一重であることを覚悟のうえで読んだ方が良いみたいですよ。

 

 

ジャレド・ダイアモンド、ジェイムズ・A・ロビンソン 小坂恵理訳『歴史は実験できるのか ーー自然実験が解き明かす人類史』慶應義塾大学出版会

物理学、化学、生理学といった分野では研究室における厳密にコントロールされた実験を行うことができ、大きな成果を上げてきました。ところが、いわゆる人文科学系の学問、例えば経済学や経営学、あるいは歴史学といった分野では実験を行うことはできません。あっちの国では資本主義、こっちの国では共産主義を採用して100年ほど実験をしてみよう、なんてことはできないのです。

ではありますが、昨今計量・統計学的手法が洗練されてきたことにより、様々なことが可能になってきました。医学・疫学における大きな発展も計量・統計学の進歩によるところ大でしょう。本書では、歴史学、考古学、経済学、経済史、地理学、政治学といった分野における自然実験の例を紹介しています。

本書に取り上げられた論文は、大変興味深い結論を導き出した例がある一方で、読んでいても、だから何なんだ、と思うような例もあります。自然実験というアイデアは、方法論としては大変興味深いことは間違いありませんが、実世界における分析への適用ということに関しては、さらなる洗練が必要とされているようです。

 

 

新井 紀子AI vs.教科書が読めない子どもたち』東洋経済新報社

新井さんは国立情報学研究所教授、同社会共有知研究センター長という肩書の方ですが、「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトのディレクターとして「東ロボくん」と名付けた人工知能の育ての親、といった方が、何をやっている方なのかイメージしやすいでしょうが。

新井さんは断言しています。「「AIが神になる?」―――なりません。「AIが人類を滅ぼす?」―――滅ぼしません。「シンギュラリティが到来する?」―――到来しません」あ、そうなの。

とは言え、「人間の仕事の多くがAIに代替される社会はすぐそこに迫っている」のだそうです。そして、現在まで東大には合格できなかった「東ロボくん」ですが、なんと、「MARCHレベルの有名私大には合格できる偏差値に達している」のだそうです。

新井さんは「東ロボくん」の開発と並行して、「日本人の読解力についての大掛かりな調査と分析を実施」したのだそうです。で、分かったのが、「日本の中高生の多くは」「中学校の歴史や理科の教科書程度の文章を正確に理解できない」という恐るべき事態です。多くの中高生は少なくとも表層的な知識は有していますので、多肢選択式の試験程度は何とかなるのですが、論理的思考を必要とする問題は解けない、というところでしょうか。大学に入ったって、コピペでレポートを作成する時代ですからねえ。これ、実は現在のAIの思考(というか処理能力)の質と似ているのだそうです。

ところで、新井さんは本書の印税は受け取らず、全額「教育のための科学研究所」に寄付するそうです。この研究所は基礎的独海力を調査するために新井さんらに開発したリーディングスキルテスト(RST)を実際に提供するための社団法人なのだそうです。まだお読みになっていないあなた、日本人の将来のためにもぜひご購入の上ご一読ください。大変理知的で興味深い議論が展開されていましたよ。

 

 

須田 桃子合成生物学の衝撃』文芸春秋

合成生物学とは「コンピュータ上で「生命の設計図」であるゲノム設計し、その情報に基づいて合成したDNAや、改変したDNAを持つ新たな生物を作る。作ることによって生命の仕組みを解き明かす。あるいは得られた知識と技術を駆使して人類にとって有用な生物を作る」試みのことです。で、実際にそのような「合成生物」あるいは「人工生命体」はすでに誕生しているのです。

現在作られた人工生命体はまだまだ原始的なものです。が、突破口が開かれた今、これから飛躍的に大きな、様々な機能を持った生命体が作られていくのでしょう。私たちは生命の謎を解き明かすことができるのでしょうか。そしてそれは人類に明るい未来をもたらすのでしょうか、それとも?

でも読んで面白かったことは保証いたします。

 

 

20193

トーマス・ラッポルト 赤坂桃子訳『ピーター・ティール 世界を手にした「反逆の起業家」の野望』飛鳥新社

本書の主人公ピーター・ティールとは、西ドイツ生まれのドイツ人ですが、生まれてすぐにアメリカに移住したようです。スタンフォード大学で哲学のB.A.、スタンフォード・ロー・スクールで法務博士を取得しているそうです。その後は合衆国控訴裁判所で法務事務官、ニューヨークの法律事務所で弁護士、などを務め、さらにはクレディ・スイス銀行で通貨オプションのトレーダーとしても働いた経験があるのだそうです。その後は自身のティール・キャピタル・マネジメントを設立、さらには後にPayPalとなるコンフィニティの共同設立者となり、これをeBayに売却、巨万の富を築いたようです。現在も多くのスタートアップ企業のエンジェルとなっているようです。その経歴はなんだかバラバラな気がしますが、後から見るとその経験が後の投資家としての判断に生かされているようです。

「「シリコンバレー」がドイツやフランス、英国や日本にはないのは偶然でもなんでもない。こうした国々では、人々はあえて定められた軌道を外れようとはしないからだ」ですって。そうかもしれないですね。私は軌道を外れようとしない人間、のはずなんですが、脱線しちゃった。

本書は「今日のビジネス界でピーター・ティールの名を聞いたことがないという人間がいたら、そいつは間違いなく三流だ」という書き出しで始まります。あら、私は三流だわ。どちらかというと、ひたすらピーター・ティールってすげえな、と思いながら読む小説みたいでした。私ごとき一般人の参考にはならないもんね。

 

 

ロバート・I・サットン 坂田雪子訳『スタンフォードの教授が教える 職場のアホと戦わない技術SBクリエイティブ

サットンさんは「スタンフォード大学で、組織行動学や組織管理論を研究している」教授ですが、「同時にこれらをベースとした『アホ』の研究も行っている」方です。本書評においても以前田村耕太郎さんの『頭に来てもアホとは戦うな!をご紹介したことがあります。世の東西を問わずアホはいるようです。

本書ではいかに「アホ」に立ち向かうか、というノウハウも教えてくれています。私の専門分野でもあるコンプライアンス問題が起こった時の対処などにも言えることですが、とにかく冷静に自分の置かれている状況を判断していただきたいと思います。たとえあなたが正しくても、告発の結果は必ずしもあなたの思い通りにはなりません。思い通りにならないどころか、非難した相手方に有利なように捻じ曲げられてしまう可能性が多分にあるのです。本書でも「「戦うリスク」と「逃げるメリット」を考えよ」って書かれてますよ。

「アホなヤツというのは他人の悪口は言いまくるくせに、自分が非難されるとすぐにキレる」とも書かれています。私も昔、上司の外人に面と向かって「バカ」(もう少し穏便な言い方であったとは思いますが、先方には十分伝わってたんじゃないかと思います)って言ったらクビになっちゃいました。キレちゃいけませんよ。もっと戦略的にならなきゃ、って、今さら遅いか。

 

 

デービット・アトキンソンデービッド・アトキンソン 新・生産性立国論 人口減少で「経済の常識」が根本から変わった東洋経済新報社

アトキンソンさんはアンダーセン・コンサルティング、ソロモン・ブラザースを経てゴールドマン・サックスに入社、アナリストとしてバブル崩壊後の日本の金融界の不良債権の存在をいち早く指摘し、一躍有名人になりました。2006年にはゴールドマン・サックス社のパートナーに昇進したのですが、2007年には退社してしまいます。その後日本の国宝や重要文化財などを補修している小西美術工藝社に2009年入社、2011年に同社会長兼社長に就任、経営の建て直しに当たりました。その後は日本の文化財の専門家として、あるいは経済経営の専門家として様々な提言を行っていることは皆さんもご存知のことでしょう。

アトキンソンさんは生産性の向上がカギだとしています。生産性といってもピンとこない方もおられると思います。アトキンソンさんは「生産性=一人当たりのGDP」であるのは世界の常識だ、としています。

それでは、日本とアメリカの一人当たりGDPがどんなもんだったのか比べてみましょう。表にするとこんな感じです。

GDP per capita, PPP (constant 2011 international $)

 

1990

2016

日本

$30,447.245

$38,282.505

アメリカ

$37,062.13

$53,445.371

https://data.worldbank.orgより作成

1990年といえば、ジャパン・アズ・ナンバーワンなんて言って浮かれていたころです。なるほどアメリカに肉薄しています。が、現在では随分と差が開いています。アベノミクスがどーのこーのというより、もっと根深い問題があった、ということなんです。日本は生産性がちっとも向上してこなかった、というのが失われた25年の正体だったんですね。

生産性と聞くと、なんとなくわかるような気がしますが、アトキンソンさんは生産性と効率性を誤解している人が多いと指摘しています。例えば、現在一人当たり10個生産しているものを、20個生産できるように工夫すれば、生産性が上がるようにも思えます。しかし、10個しか売れなければ、効率性は上がったのかもしれませんが、生産性の増加はゼロです。ところが、同じ10個でも、製品の値段を上げられれば、値上げの分生産性はアップしとことになります。今の日本に必要なのは、良い製品を安く、たくさん作ることではなく、良い製品をなるべく高い値段で売ることなのではないでしょうか。で、賃金も上げる、と。そうすれば日本のお家芸、サービス残業・長時間労働・過労死だって改善されるんじゃないですかね。

「国連などのさまざまな調査で、日本の労働者の質は世界最高レベルと太鼓判が押されています。しかし、日本の生産性は先進国最低レベルです。これは、日本の経営者が奇跡的に無能であるということを意味しています」ですって。最近も働かせ放題法なんてぞが可決されたな。そういえば、日本が負けた先の大戦での評価も似たようなもんでしたねえ。兵隊は優秀だけと、将校は無能だって。敗戦以来70年以上が経過していますが、日本は社会として全く改善されていない、のでしょうか。

ネットで検索するとアトキンソンさんって結構な確率で、外人が何言ってんだ、みたいに書かれています。しかしながら、私には大変しっくり来ました。日本には痛いところを突かれると怒っちゃって、議論ができない方がたくさんいますからねえ。残念。

 

 

羽根田 治ドキュメント道迷い遭難』ヤマケイ文庫

昨今中高年の趣味として登山が取り上げられることもあり、多くの方が登山を楽しむようになりました。ところが、いわゆる登山のイロハもろくに覚えないまま、さらに体力を過信して登山するので、当然のこととして事故も増えるわけです。そんなことへの警鐘として書かれたのが本書の背景のようです。

登山においては、「おかしいなと思ったら引き返せ」「道に迷ったら沢を下るな」というのが鉄則なのだそうです。ある時点までは正しい道を歩いていたわけですから、元に戻れば正しい道に戻れるはずです。ですから、戻れ、と。また、道に迷ったとき、やみくもに下っていくと、沢に出てしまいます。沢の脇というのは歩きやすそうにも思えますが、実は沢の先には必ずと言ってよいほど滝があるのだそうです。滝を下るというのは沢を下るのとはけた違いに危険を伴います。だから沢を下るな、と。

なぜそのような、たとえ知っていても誤った決断をしてしまうのかというと、どうも人間には自分の誤りを認めたくない、という欲求があるからだそうです。で、何かちょっとでも良い(と自分が思った)兆候があるとそれを過大評価し、今までやってきたことは間違っていなかった、と思い込み、同じことを繰り返してゆくのです。で、気が付いた時にはにっちもさっちも行かない状況になってしまうのです。あれ、これって『失敗の本質などでイヤッていうほど取り上げてきたことではありませんか。

取り上げられているケースでは遭難の経緯を説明するだけでなく、道に迷った本人とのインタビューも取り上げられており、その内容に極めて興味深いものがありました。本書の意図とは外れるのかもしれませんが、登山をなさらない方にも大いに参考になるのではないか、と思いご紹介することにしました。これから登山をする方はもちろん、そんな面倒臭いことしないよ、なんて思っている方も読んで損はないと思います。

 

 

20192

村上 誠一郎、古賀 茂明断罪 政権の強権支配と霞が関の堕落を撃つ』ビジネス社

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断罪 政権の強権支配と霞が関の堕落を撃つ [ 村上誠一郎 ]
価格:1512円(税込、送料無料) (2018/12/25時点)

本書冒頭に「一国のトップに人を得ないと、いかにその国の政治が毀損していくか。それを鮮やかに示したのが、現政権の五年間でした」と書かれています。私もその通りだと思います。

著者の一人はあのI am not ABEの古賀さんです。もう一人の村上さんは最近テレビでの露出も多くなっていますのでご覧になった方も多いと思いますが、数少ないリベラル派の自民党国会議員で、現政権に対して反対意見を表明しているほとんど絶滅危惧種の議員です。だからですかね、「最近料亭なんか呼ばれたこともないんだから」なんて言ってます。著書に『自民党ひとり良識派』その他があります。

村上さんと古賀さんの議論には大変参考になるものが多いのですが、その中でもそうだよな、と思ったのは公務員法の改正(内閣人事局とか)に関するものです。ここで思い出すのが、私も本書評で何度も取り上げているPDCA理論です。日本では制度の改革(大学の入試改革とか公務員法とか)などに関しては大変議論され、制度を変えるのですが、一度できてしまうと、「あれだけ議論したんだから」とか、「先輩方が苦労したんだから」ということで、変更が利かなくなってしまいます。つまり、PDには時間をかけるのですが、CAはお座なりにされているということです。

さらに、安倍政権の強引な政治手法を見て、内閣人事局をつぶさなくてはいけない、なんて議論がありますが、古賀さんは「今の最大の問題は、繰り返しますが、安倍政権がおかしなことばかりやっていること」だと一刀両断しています。私も賛成しますね。現在の改正された公務員法だって以前の弊害を是正するために実施されたわけです。その結果不都合が起きているのであれば、手直しをすることは決して悪いことではありません。うまくいっていないから止めちゃう、のではなく、より良い方向へ制度を持っていく議論があってしかるべきではないでしょうか。それが本当のPDCAだと思います。

本書で議論されているような改革が全く行われないようでは、日本の将来は暗い、と思います。皆様も是非ご一読を。

 

 

ダグ・デッター、ステファン・フォルスター 小坂恵理訳『政府の隠れ資産』東洋経済新報社

アベノミクスは破綻し、人口も減少して行くといわれている日本。八方ふさがりではありませんか。何かで方策はあるんでしょうか、ということで読んでみたのが本書。

本書によれば、日本に限らずどこの国でも、きちんと評価されていないパブリック・ウェルス(公共資産、公園などの公共財とは異なります)を所有しているのだと指摘しています。そして、それらの資産がきちんと活用されていない、と。「ここで肝心なのは、これらの資産の運営を専門家の手に委ねるだけでなく、政治家や政策立案者の干渉されない場所にとどめ、短期的な政治的思惑に左右されない環境を整え」れば、バラ色の未来が開けるよ、というものです。ホンマかいな、世の中そんなエエコトばっかの話なんかありますかいな(なんで関西弁?)、なんて思いますがいかがでしょうか。

パブリック・ウェルスの活用、なんていうと、どこぞの国でも盛んにやっていた国営企業の民営化を思い浮かべますが、私は民営化に関してはあまり良い印象は持っていません。だって、民営化されてサービスが劇的に改善された、なんて実感はあんまりないからなあ。それよりも、天下りとか、大企業のトップが横滑りしたなんて話ばかりで、魅力的企業に生まれ変わった、なんて思えない会社が多いですもんね。

どこぞの国で何がいけなかったのか、というと、どうもガバナンスがうまく働いていなかったからのようです。「パブリック・ウェルスのガバナンスがおそまつだと国全体が破滅的な被害をうけ、民主主義が弱体化しかねない」ですって。そういえば、どこぞの国でも国有地払い下げで……。

良きガバナンスの例として、中央銀行の例が取り上げられています。政府から独立した中央銀行というのは、現代型民主主義国家でのあるべき姿であると考えられています。パブリック・ウェルスの運営も、同様の機関、ガバナンスが期待されるのですが、例えば日本銀行って本当に政府から独立しているのか、という疑念にとらわれます。なるほど、ここら辺がキモなのか、とも思いますが、現状に鑑みると日本では実現が難しそうだなあ……。

 

 

セス・スティーヴンズ=ダヴィドウィッツ 酒井泰介訳『誰もが嘘をついている ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性』光文社

著者のスティーヴンズ=ダヴィドウィッツさんはスタンフォードで哲学の学士号を、ハーバードで経済学の博士号を取得、グーグルではデータ・サイエンティストを務めていたという経歴の方です。なんだかすごそうだな。

本書にはこんなエピソードが紹介されています。2008年の米国大統領選挙。ご存知の通り、バラク・オバマはアフリカ系アメリカ人として初めて大統領に選出されました。で、この時行われていた各種世論調査では「米国の選挙において人種はさほど障害にならないことを示していた」「ギャラップ社はオバマの初当選の前後に世論調査を山ほど実施し、アメリカ人はバラク・オバマが黒人であることをおおむね気にしていない、と総括していた」のだそうです。選挙結果からすれば、妥当な分析でしょう。で、2016年の大統領選挙でも同様の調査を行い、「世論調査の専門家は、ドナルド・トランプ候補の勝利など夢想だにしていなかった」のです。で、結果は大間違い。

ですが、著者はこのような兆候はネット上に見つけることができた、としています。「私はインターネット・データの専門家、人々がウェブ上に残す痕跡を負うのが仕事だ。キーボードやタッチスクリーン、の操作を手掛かりに、人々の本当の欲求、実際の行動、そして真実の姿を探っている」のだそうです。まあね、ネット調査で匿名は守られます、なんて言われても、心配だったり、あるいはちょっと気取ってみたりして、正直に答えないことも良くありますよね。あと、これは秘密ですが、私の場合、あまりにも設問が長くて面倒くさくなると、一番右とか、左とか、あるいは斜めに、なんて何も読まずに選んだりしちゃいます。こんな回答者が多くいたら、まともな調査結果は得られませんよねえ。すいませんね。

で、著者が注目したのがグーグルなどの検索データ。いわゆるビッグデータですね。問題はどうやって膨大なデータから洞察を得るのか、です。本書評でも何度か言及したことがあると思いますが、あるデータと別のデータの間に相関関係があるからと言って、それが必ずしも因果関係を示しているのではない場合があるからです。本書では「証券市場の動きを予想できるか?」という章でこの問題を取り扱っています。で、スティーヴンズ=ダヴィドウィッツさんの結論はムリ。ま、そんなところかなと思いますよ。

本書の最後の方でスティーヴンズ=ダヴィドウィッツさんは「社会科学はビッグデータで真の科学になる」って言ってますが、そうなんでしょうかね。ビッグデータを用いて作曲したり、小説を書いたり、なんて世界で人間は幸せに暮らせるんでしょうか。私としてはそんな世界は願い下げだな。

 

 

ジョージ・A・アカロフ/ロバート・J・シラー 山形浩生訳『不道徳な見えざる手』東洋経済新報社

著者のアカロフさんとシラーさんはともにノーベル経済学賞の受賞者です。こりゃまた豪華な執筆陣ですな。本書もさぞかし専門的な経済学の論文なのかな、なんて思いますが、どちらかというと経済エッセイって感じです。

本書の原題は『Phishing For Phools』です。Phishingって単語は最近日本でもフィッシング詐欺、なんて使われ方をしているので目にした方も多いと思います。で、Phoolって方はどうも造語のようです。意味はFool同じようです。アホなカモが釣られてるぞ、ってとこでしょうか。

「自由市場システムは私たちの弱みに自動的に付け込む」のだそうです。決して自由市場経済がオートマチックに私たちを幸福にするわけではなく、「相手を犠牲にして自分が儲かるものも作り出す」のです。ノーベル経済学賞を受賞したお二人としては、我々パンピーがあんまりカモられないよう、経済リテラシーを持ちましょうね、と警鐘を鳴らす意図が本書には込められているようです。

 

20191

幸福についてショーペンハウアー原作 Teamバンミカス・伊佐義勇まんが  講談社まんが学術文庫

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幸福について (まんが学術文庫) [ ショーペンハウアー ]
価格:648円(税込、送料無料) (2018/11/23時点)

ショーペンハウアー(ショーペンハウエル)は有名な哲学者ではありますが、もちろん私は彼の著書を読んだことはありません。ま、そんなもんでしょう。ということで、「まんがでちゃちゃっと4000!!」という講談社まんが学術文庫で読んでみました。

老年期に至るまで社会的に認められなかったショーペンハウアーは、一般的基準から言うと幸福ではなかったように思えます。が、「孤独でいる時のみ人間は自由なのだから」なんてうそぶいて、意外と楽しく生きていたらしいです。

裕福な家庭に生まれたので、若いことから半隠遁生活を送れたのでしょうが、むやみやたらと他人と比べたりしない生き方は、そうなのかもしれないなあ、なんて思います。でも、イギリスでは孤独は健康に良くないって孤独担当相を任命したんですって。どうしましょ。

 

 

歎異抄唯円原作(親鸞 述)Teamバンミカスまんが 講談社まんが学術文庫

親鸞は浄土真宗の開祖。晩年の弟子である唯円が親鸞の言葉をまとめたものが歎異抄であるといわれています。その中身は、って言われると、知ってるのは「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」ぐらい。ま、ここら辺は日本史の試験でも頻出、暗記必須、です。で、この意味を説明できて、あとちょっと大乗仏教とか小乗仏教なんて付け加えれば、記述式問題も何とかなるんじゃないですか。

で、そこから先を知りたくなったあなた、にぴったりなのが本書。難しい本なんか読んじゃいられないでしょ、だって大乗仏教、私たちのような凡夫を救う宗教なんだから……。

 

 

恋愛と贅沢と資本主義ゾンバルト原作 Teamバンミカス・名波雄太まんが 講談社まんが学術文庫

本書の冒頭で、ゾンバルトは「資本主義は「恋愛と贅沢」から生まれた」と喝破しています。人間は皆、女に(男に)もてたい、とか、贅沢は素敵だ、なんて行動原理に基づいて行動しているんです。もっとはっきり言っちゃうと、エロとカネ(ミエかもしれませんが)ですね。近現代の経済学に登場する合理的経済人なんてどこ探してもいやしませんよ。

まあ、それはそうなんでしょうが、それだけが正しいってわけでもないような気もします。

 

 

資本論マルクス原作 岩下博美まんが 講談社まんが学術文庫

相対的剰余価値とか絶対的剰余価値なんてマルクス経済学に出てくるテクニカル・タームが物語とともに説明されていきます。

でも、私が印象に残っとのは、庶民が永遠に搾取されていく構造。上に立つ人間の呼び名は変われど、庶民の暮らしは変わらない。じっとわが手を見る……。

 

 

政談荻生徂徠原作 近藤たけしまんが 講談社まんが学術文庫

荻生徂徠は江戸時代中期の儒学者だそうです。彼の思想信条は、かの赤穂浪士の討ち入り事件の処理を巡り、討ち入りを賛美し除名嘆願が幕府内からも出る中、法に基づいた処分(ただし名誉ある切腹)を主張したことによく表れているように思います。

ここから見えるのは武士の論理(てか情)の支配する世界ではなく、法とか制度とかといった理性が支配する世界を求める姿勢、でしょうか。

ですが、本書はSORAIという人工知能(AI)が統治する近未来を舞台にしたSFチックなお話として展開していきます。AIが提唱するドライで合理的な世界はどんなもんでしょうか。ここから先は是非本書をお読みください。

 

 

罪と罰ドストエフスキー原作 岩下博美まんが 講談社まんが学術文庫

ご存知ドストエフスキーの名作。私も読みかけたことはあるのですが、延々とあーでもないこーでもないとウジウジ考え続けるインテリゲンチャにゲンナリして、読み続けられなかった経験があります。まんがで読めるとは有り難いですね。

『罪と罰』は「哲学書であり、ミステリーであり、恋愛小説」でもあるんだそうです。どうです、読みたくなりました?

 

 

ツァラトゥストラはかく語りきニーチェ原作 堀江一郎著 十常アキまんが 講談社まんが学術文庫

「ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか、ニ、ニ、ニーチェかサルトルか」のニーチェです。若い人には分からないか。

戦前の旧制高校の生徒ならともかく、戦後生まれの私たちにとってニーチェなんて、名前は知っていても、その著作を読んだ、なんて方は少ないのではないでしょうか。それがマンガで読めるとは、良い時代になったもんですね。

「神は死んだ」ので、私たちは「超人たれ」ってことらしいです。ムリだな。

 

 

カラマーゾフの兄弟ドストエフスキー原作 岩下博美まんが 講談社まんが学術文庫

講談社まんが学術文庫に二度目の登場のドストエフスキー。人気ありますね。

どうやら『カラマーゾフの兄弟』も「哲学書であり、ミステリーであり、恋愛小説」の要素を多分に持っているようです。幾重にも物語が交錯しており、しかもそれが収斂することなく物語が終わってしまうのです。読了できない読者がたくさんいるわけだ。

 

 

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