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2005年12月

梅原猛 『最澄と空海』小学館文庫 最澄と空海

最近森の思想に凝っている梅原さんの著作です。彼自身が宗教者というわけではありませんので、ま、安心して読めます。それぞれの人生をざっと振り返り、それぞれの思想の要点を手際よくまとめています。司馬遼太郎とか陳舜臣といった強烈な小説家の著作を読む前に空海と、空海と切っても切れない縁のある最澄について一応の知識を取り入れておくのも悪くないでしょう。そうじゃないと圧倒的筆力に負けて司馬遼太郎とか陳舜臣の書いていることをそのまんま信じ込んじゃいますからね。

  司馬遼太郎 『空海の風景』上空海の風景(上巻)新装改版 空海の風景(下巻)新装改版 中央公論社

昭和五十年度芸術院恩賜賞受賞作品。司馬遼太郎さんの著作に特有の、小説ともエッセイとも歴史書ともつかない独特の文体で書かれています。日本最初の世界のどこに出しても通用する天才思想家空海の伝記です。

司馬さんも本書でたびたび書かれているとおり、密教とは師のもとで修行(三昧耶を行ずるというそうです)をしなければ体得できないもの、決して書面に書かれたものを勉強するだけでは会得できないものなのでしょう。変更履歴に書いたような、キンキラの装飾に喜んでいる場合ではないのでしょうね。ま、私の理解はそんなものなので、内容の批評は差し控えます。でも、司馬作品は読みやすくて面白いですよ。

ところで、密教で最も重要とされている経典は理趣経なのだそうです。もともとはサンスクリットだったものを中国語に翻訳し、それをさらに日本で訳の分からない読み下し方をしているのでピンと来ませんが、これ、結構エロティックなお経なのだそうです。で、密教のそっちの方面ばかりを深く信じてしまったのが異端の宗教、真言立川流です。時代小説など読んでいると、意外と名前が出てきます。興味が沸きましたか?でも、これが真言宗の主流ではありませんので誤解のなきよう。

陳舜臣   『曼陀羅の人 空海求法伝』上曼陀羅の人(上) 曼陀羅の人(下) たちばな出版

司馬さんとは異なり、陳舜臣さんは完全な小説として本書を書いています。点として残っている史実をフィクションでうまくつないで物語をまとめています。従って必ずしも史実とはいえないフィクションも多く含まれています。でも、その分話の進み方はスムーズで、より楽しめるといえるでしょう。何しろ1200年前の話ですから、厳密な考証をしたら無味乾燥な骨だけ(もしかすると骨どころか)の話になってしまいますからね。

本書の冒頭で采詩の官という役職の人物がフィクションでしょうが狂言回しのような役割で登場します。役回りは天子(あるいは偉い人)のために市井の声を届けることにあったそうです。もともとは周の時代の話ということですからそもそもフィクションかもしれませんが。でも、こういう役回りは現代日本でも必要とされているのではないでしょうか。

 手塚治虫 『ブッダ(全12巻セット)』  ブッダ(全12巻セット) 潮ビジュアル文庫

この本は空海とはまったく関係のないマンガですが、手塚さんの世界観が良く出ている作品だと思いますのでご紹介します。

この中に、ゴータマ・シータールダとして転生する前一人の仏僧としてこの世にあったとき、飢えたトラの母子に自らの体を食べさせるという話が出てきます。確か同じ話は手塚さんの『火の鳥』にも出てきたような気がします。なぜそんなことをするのか、このエピソードの意味が私には良く分かりません。答えはマンガの中には出てきません。多分手塚さんも分からなかったのではないでしょうか。分からないからだめなのでしょうか?そんなことはないと思います。手塚さんは一生をかけて生命とは何なのか、人生とは何なのかと問い続けたのではないでしょうか。

 手塚治虫の旧約聖書物語Vol.1   手塚治虫の旧約聖書物語Vol.2 

手塚さんはバチカンからの依頼を受けて旧約聖書の世界をアニメーション化した作品も作っています。DVD版もあるはずですが、絶版になってしまったのでしょうか。書籍化したものは手塚治虫『旧約聖書物語』集英社で手に入ります。

2005年11月

トール・ノーレットランダーシュ著、山下丈訳、『気前の良い人類「良い人」だけが生きのびることをめぐる科学』角川書店気前の良い人類

著者の名前は私と同じトール。親近感を覚えます。ま、北欧ではポピュラーな名前ですけど。トールとは、北欧の神話に出てくる雷の神様の名前だそうです。日本だと別雷(わけいかづち)神ですかね。私は大国主命と別雷神から名前をもらった、、、、、、、、うそです。

本書は、気前の良い、利他的な行動も、実は利己的な利益を実現するためのものである意ことを生物学的に解き明かしていきます。

そう言えば今年のノーベル経済学賞はヘブライ大教授のロバート・オーマン氏と米メリーランド大教授のトーマス・シェリング氏に与えられました。両氏は「ゲーム理論」を確立した代表的な経済学者で、貿易やビジネス上での紛争を回避して、協調につなげるためのゲーム理論を構築したことが受賞理由として挙げられています。

いずれにしても、世間の皆さんが利他的に行動していただけるのであれば、コンプライアンスの実現など簡単なのですが、実際には人のためには舌も出したくないって奴が多いんですよ。利己的な人類に如何に利他的にふるまってもらうか、が今後の私の研究テーマとなりそうです。

最後に、本書の最後のフレーズ(日本語版ですもちろん)を紹介しておきましょう。

「世界を救え、そして性器を得よ。」

なお、本書は弁護士にして弁理士という山下丈さんが翻訳されています。生物学などは必ずしも専門ではないのでしょうか、翻訳の粗さが目に付くのが欠点です。

 

アーネ・リングウィスト、ヤン・ウェステル著、川上邦夫訳『あなた自身の社会 スウェーデンの中学教科書』新評論あなた自身の社会

スウェーデンにおける、日本で言えば倫理社会に相当するような科目の教科書です。本書が出版されたのは1997年ですので、1994年版の教科書を基準として書かれています。この教科書で勉強した中学生も今は大学を出て実社会に巣立つ年齢に達していることでしょう。

一読して良く出来た教科書だなという印象を持ちました。しかし、それは教科書の出来が良いからだけではありません。スウェーデンは(他の北欧諸国も)おしなべて政治の透明性が高いと言われています。Transparency Internationalという非営利団体の汚職指数(Corruption Perception Index)調査で1位アイスランド、2位フィンランド(ニュージーランドと共に)、4位デンマーク、6位にスウェーデン、8位にノルウェーが入っています(2005年)。寒い国だから汚職がないんだ、とは言えないでしょう。ちなみに日本はチリと並んで21位、米国は17位です(世界146カ国中)。

そのような真に豊かな社会が実現されているからこそこのような教科書が書かれたのでしょう。決してこのような教科書があったから汚職のない社会が築かれたわけではありません。

スウェーデンでは選挙は公営の比例代表制で、個人ではお金がかからないそうです。地方議員などは特に専任でない場合は時給制、他に職業を持っているそうです。おまけに汚職には厳しく、ウィスキー1本もらってもクビ、だそうです。

1億円もらっても忘れちゃったと言えば許されるどこかの国とは大違いです。問題は教科書ではないような気がしますがいかがでしょうか。

中学生になる私の子供に読ませることにしましょう。

 

2005年8月

孫引きで申し訳ありませんが、あの讀賣新聞社の渡邉恒雄さんが、田原総一朗氏責任編集の雑誌「オフレコ!」創刊号で以下のように発言していることを田中康夫さんが日刊ゲンダイ紙上で紹介していました。

「安倍晋三に会った時、こう言った。『貴方と僕とでは全く相容れない問題が有る。靖国参拝がそれだ』と。みんな軍隊の事を知らないからさ。それに勝つ見込み無しに開戦し、敗戦必至となっても本土決戦を決定し、無数の国民を死に至らしめた軍と政治家の責任は否めない。あの軍というそのもののね、野蛮さ、暴虐さを許せない」

「僕は軍隊に入ってから、毎朝毎晩ぶん殴られ、蹴飛ばされ。理由なんて何も無くて、皮のスリッパでダーン、バーンと頬をひっぱたいた。連隊長が連隊全員を集めて立たせて、そこで、私的制裁は軍は禁止しておる。しかし、公的制裁はいいのだ、どんどん公的制裁をしろ、と演説する。公的制裁の名の下にボコボコやる」

「この間、僕は政治家達に話したけど、NHKラジオで特攻隊の番組をやった。兵士は明日、行くぞと。その前の晩に録音したもので、みんな号泣ですよ。うわーっと泣いて。戦時中、よくこんな録音を放送出来たと思う。勇んでいって、靖国で会いましょうなんか信じられているけれど、殆(ほとん)どウソです。だから、僕はそういう焦土作戦や玉砕を強制した戦争責任者が祀られている所へ行って頭を下げる義理は全く無いと考えている。犠牲になった兵士は別だ。これは社の会議でも絶えず言ってます。君達は判らんかも知れんが、オレはそういう体験をしたので許せないんだ」

 戦後生まれの私には直接的な戦争体験はありません。しかし、戦争について知ることは戦争の抑止にもなるのではないでしょうか。戦争を一握りの軍人や政治家の専権事項にしてはなりません。

以下最近読んだ何冊かの本をご紹介します。

  高橋哲哉『靖国問題』ちくま新書 靖国問題

東京大学大学院総合文化研究科教授の高橋哲哉さんが靖国神社にかかわる様々な問題を客観的に論じています。読んでいると頭の良い人だってことは分かるんですが、何をどうしたいかは最後にちょこっと書かれているだけです。結構ベストセラーになっていますので、靖国神社参拝賛成派は神経質になっているみたいですが。

靖国神社とは、天皇が天皇のために死んでいった殉じた者たちを祀るために作られた施設です。なぜこのような施設が必要であったかというと、ナポレオン戦争以来の歴史が背景にあります。まず、戦争の性質がそれまでのプロが戦う戦争から市民(国民)同士が戦う戦争へと変貌してきました。そして徴兵という国民誰もが兵士となる制度が一般化していきました。そうなると、次の戦争のときに国民に戦ってもらうためには、戦死したものを英雄であるとたたえる必要が出てきたのです。どこの国においても国家的意思として似たような施設が作られています。従って、「天皇の施設」といっても、個人的な天皇ではなく、抽象的な天皇、国家のための施設であると言えるでしょう。

ところで、様々な理由が背景にあるようであるが、天皇は1975年以来靖国参拝を行なっていません。また、最近のサイパン島訪問では、韓国人犠牲者慰霊の「韓国平和記念塔」を訪問しました。らに、昨今の日の丸・君が代問題については、「強制でないことが望ましい」と発言しています。皆さんどのようにお感じになりますか。

 高橋哲哉戦後責任論』講談社学術文庫 戦後責任論

上記と同じ著者による戦後生まれの我々がなぜどのように戦争責任を負うべきかを追求した著作です。

人間は心に大きな傷を負ったとき、忘れることによって自分を傷つけることを防ぐといいます。しかし、単に忘れようとするだけでは本当に心は癒されません。つらい過去と対決する必要があるのです。日本人にとってつらい過去である太平洋戦争の思い出は、先送りと忘却、そして開き直りだけでは克服できないのではないでしょうか。

端で見ているのとは異なり、アメリカでは保守派の論客が幅を効かせていると、先月の中岡さんの著作の書評で書きましたが、同じことが日本でも言えるのではないでしょうか。高橋哲哉さんの著作を読むと、西尾幹二さんらの「新しい歴史教科書をつくる会」の主張は完膚なきまでに論破されているように思えます。しかし、現実にマスコミを大いににぎわせているのは西尾幹二さんらの主張であり、高橋哲哉さんではありません。

リベラル派の論客って誰かいるんでしょうか。

 保坂正康あの戦争は何だったのか』新潮社 あの戦争は何だったのか

太平洋戦争がいかに行きあたりばっかりであったか、戦略が欠けていたのかが描かれています。あるのはHowばかりでWhyがなかったのです。誰も戦争をする意味など考えてませんでしたので、後になってあの戦争は何だったのか、と問われても答えが出ないのです。

しかし、911以後のアメリカ、昨今のテロ事件以後のイギリスなど、Whyを問わない時代になっている危機を感じます。日本も反日運動にどう立ち向かうかは話題になりますが、Whyは誰も語りません。

世界がWhyを問うことなく定められた目標に突き進むことを求めてます。大変危険だと思います。ひとりひとりが自分の頭で、自分の言葉で考えることが求められています。この本を読んで、歴史を振り返るのも良い練習になるのではないでしょうか。

 

加東大介南の島に雪が降る』光文社

第二次世界大戦末期、米国は制海・制空権を掌握していた。人的損失を少しでも避けるため、軍事的拠点のみを制圧し、重要でない日本軍基地は無視して通りすぎる飛び石作戦を取っていました。加藤大介さんが派遣されたのは跳び越されたニューギニア西部のマノワクリという場所です。加藤大介さんらは昭和18年から終戦後の昭和21年までマノワクリで演劇を上演、大好評を博した、その記録です。

戦争中に演劇?とも思われますが、軍隊といっても人数的に多いのは職業軍人ではなくついこの間まで普通の日常生活を送っていた兵隊たちなのです。マノワクリでは本格的な戦闘こそありませんでしたが、マラリアが猛威振るい、食料も装備もないない尽くしの劣悪な環境の中のことです。敵に撃たれなくても毎日人が死んでいくのです。望郷の念はいかばかりかと思います。舞台に日本を見てから死んでいく兵隊も多かったといいます。

加東大介さんの軽妙な筆力もあり、一気に読了してしまいましたが、読み終わった後に心にずしんと響くものがあります。ご一読をお勧めします。

 『さとうきび畑の唄』TBS DVD  さとうきび畑の唄 完全版

本ではありません。これはDVD作品です

数年前TBSで放送されました。大阪から駆け落ちしてきたおしゃべりな写真屋さんという、明石家さんまさんを最初から意識して書いたとしか思えない主人公を中心とする沖縄戦の物語です。

沖縄では未だに日本軍、そしてそのイメージを引きずる自衛隊が嫌われているそうです。なぜそうなったのかが良く分かります。あれじゃね。

とんでもなく重いテーマですが、放送時にも高い視聴率を記録したと記憶しています。視聴者だってばかばかしいバラエティーやくだらないドラマだけを期待してテレビを見ているのではありません。テレビ局の方もお分かりでしょ?

 『火垂るの墓』スタジオジブリ DVD 【DVD】 火垂るの墓

野坂昭如『火垂るの墓』「アメリカひじき改版」に収録 新潮社

野坂昭如さん原作の短編小説をスタジオジブリが映像化したもの。決してお子様向けアニメではありません。ビデオやDVDが発売される前はフィルムを借りてきて各地で自主上映会を開いていたというニュースを見た記憶があります。今ではDVDが安く買えます。買っておいて損はないですよ。何回も見るかっていうと、疑問もありますが。何しろ悲しすぎるんです。見るたびに泣けてしまいます。野坂昭如さんに「アニメ恐るべし」と言わせた作品です。

『火垂るの墓』は野坂昭如さん初期の代表作で、永らく自伝的作品であると言われていました。実は彼自身も妹を失うなど重なり合う経験をしているのですが、必ずしも作品の中のような悲惨な生活ではなかったようです。たいいち戦後も生きていましたしね。ところが自伝的作品であると評判になってしまい、野坂昭如さんも若かったので否定できなくなってしまったのだそうです。ただ、野坂昭如さんは間違いなく同時代を生き抜いたひとりです。フィクションではありますが、とても印象深い作品に仕上がっています。DVDのついでに原作もどうぞ。教科書にも取り上げられているそうです。

 山崎豊子大地の子NHK DVD  大地の子 全集 DVD-BOX ◆20%OFF!

山崎豊子原作の中国残留孤児の人生を追った大作を映像化したものです。仲代達矢、上川隆也といった主演の演技も見事ですが、それ以外の日本人出演者も迫力のある演技をしています。実際に満州などで生まれた出演者が多くいらっしゃったそうです。また、中国側の出演者の演技も見事です。何かというと中国の悪口しか言わない方々にも見ていただきたいものです。

文化革命当時の混乱も映像化されていますが、よくもあんなものの中国ロケを中国政府が承知したものだと思います。それとも実際にはあれでも相当ソフトに作りかえられているのでしょうか。上川隆也の撮影後日談で、ロケをしていると実際はああだったこうだったと話し掛けられて参った(中国で育った残留孤児役を演じていますが、当然中国語はネイティブではないですから)と話していた記憶があります。

日本軍の暴虐振りなども映像化されていますが、必ずしも原作に忠実というわけではありません。あまりにも残虐な部分や映像化が難しい箇所はカットされてしまっています。詳しくは原作をご覧下さい。映像と合わせることによってより感動が深まるものと思います。

山崎豊子『大地の子』1 文藝春秋  全集収録のものほこちら山崎豊子全集(19) 山崎豊子全集(20)

 田久保忠衛・古森義久 『文化人の通信簿』 扶桑社文化人の通信簿

滞米経験の長い二人のジャーナリストが生半可な知識で知ったかぶりをしている右翼から左翼までの反米知識人をぶった切っています。イラク戦争以来の反米、嫌米姿勢に対して鉄槌を下しています。

本書でも多くの場面で取り上げられているイラク問題に対するお二人の立場は、

·     イラクとアルカイダにはつながりがあったことは証明されている。

·      イラク攻撃は予防攻撃であり、米国歴代政権も歴史的に容認してきた。

·      極悪非道なフセイン政権を排除することは世界平和の上からも大変意義のあることであり、フセインの圧政から解放されたイラク人は民主化を大歓迎している。そのことは多くのイラク人がテロをものともせず投票した国民議会選挙で証明されている。

というところでしょうか。

アメリカのイラク占領統治に関する歴史的評価が定まるにはまだまだ時間がかかりそうですので、ここでは歴史的な事例を取り上げてみたいと思います。米国は占領政策を考える上で大成功を収めた日本の占領政策を参考にしているといわれています。ついこの間まで戦争をしていたのに、マッカーサーが厚木に降り立つとあっという間に米国化することに成功しましたから。

日本人がそれだけ戦後のアメリカ統治を喜んで受け入れたということは戦前の日本政府の統治が極悪非道であったことを証明しているように思えます。田久保さんと古森さんは、太平洋戦争は自衛のための戦争であったと位置付けています。少なくとも戦後の日本では米国の占領統治にイラクほどにも反対していなかったように思いますがいかがでしょうか。

 

2005年7月

鹿島茂 怪帝ナポレオンIII世』 講談社怪帝ナポレオン3世

ローマ人の物語をアップしたついでに最近読んですごく面白かった歴史書をご紹介しましょう。

世界史を学んでいても、ナポレオン3世というのはあまり印象に残っていないのではないではないでしょうか。あのナポレオンの甥であるというだけで皇帝になっただけのような印象があります。

あのフランス革命はベルサイユのバラ(薔薇だっけ)やパリ祭として日本でも(日本だけか?)大人気ですし、叔父のナポレオンも歴史上の人物としては日本でも超有名です。ところがそれからわずか数十年しか経っていないのに、ナポレオン3世などは、誰だそいつ、という扱いを受けています。

ところが、このナポレオン3世という人物はなかなかの傑物であったようなのです。その政治姿勢は皇帝民主主義。誤植ではありません。自分が皇帝になるための方便ではないのか、とも思いますが、上下水道の整備や低廉な住宅の提供などを本当に行なっています。

また、今に残るあのパリの風景は、実はナポレオン3世時代に整備されたのだそうです。それまでのパリは狭い路地の周りに住宅が密集、下水道など無いから朝には汚物が窓から路地へ放出される。ばっちいので傘やハイヒールがファッションとして普及した、というのは本当の話なんです。汚いパリを地上げして今のパリを作ったのが、ナポレオン3世だったのだそうです。知らなかった。

ナポレオン3世が歴史の表舞台で活躍したのは1848年の大統領就任、1852年の皇帝就任から1870年普仏戦争の最中に敵の捕虜となり廃位されるまでの期間です。時は日本の幕末から明治維新と重なるではありませんか。知らなかった。

最後にエピソードをひとつ。希代の女たらしでもあったナポレオン3世の奥さん(皇妃)になるウージェニーの家庭教師はあのスタンダールとプロスペル・メリメだったのだそうです。そりゃ女たらしの皇帝もメロメロになる、さぞかしものすごいラブレターが書けたでしょうね。

 

2005年6月

リー・ストロベル著、峯岸麻子訳(2004『ナザレのイエスは神の子か?「キリスト」を調べたジャーナリストの記録』いのちのことば社

ナザレのイエスが歴史的実在であるかをジャーナリストが検証した著作です。著者もジョージ・W・ブッシュ大統領と同じく大人になってから宗教に目覚めたそうです。このような宗教者の特徴は、信仰が強固、堅固、頑固、固陋であることでしょうか。
最新のギャラップ社の世論調査によれば、
45%の米国人が「人類はおよそ1万年前に神によって創造された」と回答し、「聖書に書かれた言葉は神が実際に言われたことで、一言一句そのまま解釈すべき」と回答したアメリカ人がアメリカ全体の1/3を占めていたそうです。
日本人の感覚からすると信じがたいことですが、いわゆる再洗礼派など、宗教的保守主義が主流を占めるに至った米国の現状を良く捉えている著作だと思います。
しかし、キリスト教は堅固な歴史的事実に基づいているから、イスラム教や仏教などいい加減な歴史しか持たない宗教とは違って、正しい信仰心が持てるのだ、などと言われてしまうとどうも着いて行けないものを感じます。

 

ジェームズ・M.ヴァーダマン、村田薫編(2005)『アメリカの小学生が学ぶ歴史教科書』株式会社ジャパンブックアメリカの小学生が学ぶ歴史教科書

アメリカは国定教科書を定めていません。この本はバージニア大学のE. D. ハーシュ教授が編纂した6冊の小学生用歴史教科書を1冊にまとめたものです。
ハーシュ教授が歴史教科書を書いた理由は、大学生の文化的基礎知識が乏しいことに危機感を持ったからだそうです。ま、どこの国でも大学生の学力低下が問題になっているわけです。
アメリカの歴史は必ずしも公明正大なものではなく、建国以来の歴史を客観的に記述しようとすると、どうしても西洋人による新大陸征服、その後のネイティブ・アメリカン弾圧、人種差別などに触れなくてはなりません。この本はそのあたりも教科書として模範的、中立的な記述をしています。自虐史観でも自慢史観でもないようです。
ただ、現代史を教えるのはどこでも難しいらしく、アメリカでもベトナム戦争などは教育現場では出来れば避けたい話題のようです。
http://www.post-gazette.com/pg/pp/05119/496477.stm
大変分かりやすい、模範的な英文で書かれていますので、英語の勉強(英語がある程度できるようになっても、歴史的な普段余り使わない語彙の確認になります)にもなります。また、対訳が付いていますので、日本語だけでも参考になると思います。

 中岡望2004)『アメリカ保守革命』中公新書ラクレ、中央公論新社アメリカ保守革命

実はこの本はまだ読んでいませんが、この本を題材にした中岡さんの講演を聞く機会がありましたので上記2冊と共に紹介したいと思います。
よく日本人は自分たちがユニークであると主張します。アメリカかぶれの知識人はそれを世界の非常識などと言いますが、中岡さんによれば、アメリカ人も自分たちは特別なんだ、特別な使命を持ってアメリカという国を建国したのだと信じているそうです。
Manifest Destiny(マニフェスト・デスティニー)という奴でしょうか。
上記教科書で、第一次世界大戦後、米国人が国際連盟への加盟を拒否した理由として、
”Many Americans felt that the United States should always be able to do what it wished without asking permission of other nations”「多くのアメリカ人は自分たちが望むことは、他国の許可を求めたりしないですることができると思っていたのです」ということがあげられています。現在に通じるアメリカ人気質なのでしょうか。
現在のアメリカ合衆国の政治的行動は、上記観点から見れば、驚くほどぶれが少ないことに驚かされます。外国人にとっては(日本人ばかりではなく、西欧人にとってさえ)、そんな行動を本気でとることは良く言って驚き、悪く言えば狂気の沙汰としか思えないわけですが、アメリカ人は信念に基づいていますので、何の疑念も持たないわけです。
日本ではマイケル・ムーアとかポール・クルーグマンといったブッシュ政権に批判的な論説が結構紹介されていますが(読んでいるのは私だけでしょうか)、中岡さんによればアメリカ国内では圧倒的に保守的な論説が多く、リベラル派の論説はクルーグマンが孤軍奮闘している程度で、勢いに欠けることおびただしいそうです。
現在の迫力ある(ありすぎ?)アメリカの実像を知る上で、大いに参考になると思います。

これ以前の書評はこちら