大國 亨のプロフィール

 

私は現在カナダ系銀行東京支店の資金為替部門でチーフディーラーを勤める傍ら、2年後のDBA取得を目指して研究を重ねています。私がDBA取得を目指した経緯及び今後の研究テーマについてご説明しましょう。

 

大学時代

私は国際基督教大学(ICU)を1983年に卒業しました。ICUは小さな大学ですが、カリキュラムは非常にフレキシブルで、私の場合は教養学部社会科学科の経済学専攻となっておりますが、経済学のほかに西洋音楽史、コンピューターなどの科目も修めました。

肝心の経済学については、卒業論文のテーマに交易マトリックス(I/Oモデル(input output model、産業連関表)の変形)を使った環太平洋経済圏の時系列分析を仕上げました。経済学的にはI/Oモデルを使った実証分析ということで目新しさはありましたが、その分析結果は環太平洋経済圏の交易においては米国及び日本が圧倒的なシェアを持ち、この二カ国の交易条件の如何によって周辺諸国の経済情勢が大きく左右されるという、当たり前過ぎる結論になってしまい、がっかりした覚えがあります。

卒業論文はともかく、一般的には大学の勉強は実社会に出てからは役に立たないと見なされていますが、私の場合、むしろ非常に役立った印象があります。

まず、この文章そのものをコンピューターで書いていますが、大学時代にコンピューターのプログラミングを学んだことは、実社会に出てからも中年男性にありがちなコンピューターアレルギーも起こさずに済みました。実際に当時学んだプログラムはFOTRANなどというクラシックなもので、今時見たことも聞いたこともありませんが、基本的なコンピューターの機能と活用方法を学んだことは、その後の急速な電脳時代の進展に置いてきぼりを食わないで済ませてくれました。

また、経済学の一環として統計学・計量経済学を学んだことは、その後オプションの専門家になる上で大変役立ちました。統計学は経済学の授業の中でも最も退屈で詰まらないとされていますが、オプション理論の99%(100%?)が統計学に基づいているわけですから、基本的な知識と理解を大学時代に得ていたことは大きなアドバンテージとなりました。

ICUは英語教育で名高いものがあります。その後のキャリアを通しても、私自身は日本人としては英語が上手だと思いますが、英語についてICUで学んだ最も大事なことは、外人といえども人間であること、ぺらぺらと英語をしゃべることが偉いわけではないことを教えてくれたことです。最後の英語の授業で見せられたビデオが、海外で活躍する日本人のシリーズの一環として江崎 玲於奈博士のものでした。別にその内容を学生に紹介するためでなく、実は博士の英語を聞かせるためでした。江崎博士は当時既にノーベル賞も受賞しており滞米経験も10年以上だったと思いますが、その英語はお世辞にも上手とはいいかねるものでした。学生にとっては勇気づけられるものがありましたね。

銀行時代

以上のような学生生活を送った後、1983年に三菱銀行(現東京三菱銀行)に入行いたしました。1986年までの3年間は都内の支店で預金・外為・貸し付け業務までジョブローテーションで経験、銀行員としての基礎を学びました。

1986年に国際資金為替部に転勤、3ヶ月ほどスイスフラン資金調達を担当した後、スポットディーラーとしてUSD/CHF, USD/DEM, CHF/JPY, DEM/JPY, USD/JPY等を担当しました。ドル円を担当していたときにはスポットディーラーとして銀行全体の顧客へのレートクォートを一手に引き受けていましたので、毎日忙しい日々を送っておりました。また、当時公示仲値が邦銀7行の持ち回りで決まっておりましたが、私もその一員として仲値を決定しておりましたが、今にして思えば20代の若造がその日日本中で使う仲値を決めていたのですから、大したものといえばいえるのではないでしょうか。

三菱時代には業務としてはスポットディーリングのみを行っていたわけですが、当時はオプション等が日本にも紹介され始めたばかりのころで、三菱銀行でも為替ディーラーなども含めて大掛かりなセミナーを開催しました。講師としてMITの教授を2人招聘、オプション理論、スワップ理論、CAPM等のALM理論などを2週間のセミナーとそれに先立っての事前学習で学びました。このような理論を学ぶ上でも統計学の知識は大いに役立ちました。

実は当時からMBAを取得しようとしていましたが、銀行からの派遣リストには載ることができず、その後外銀に移ったこともあり、そのままになってしまったことは今でも心残りです。

時期的にはオプションのセミナーを終了後程なくオランダ銀行に移籍しました。今にして思えば大した考えもなく簡単に移籍を決意したような気がしますが、移籍の条件のひとつとして、いずれオプション担当にする、という条件があったことも魅力のひとつでした。

その言葉どおり1年ほどスポットディーラーを勤めた後オプション部門に移籍しました。移籍、といっても、それ以前はオランダ人が一人でお遊びのようにやっていたわけですから、実際には私が立ち上げから担当いたしました。当初は実績も何もない状態でしたので、オプション取引を行っている会社を訪問しては取引をお願いすることから始めました。当時はまだオプションを取り扱っている銀行も少なく、顧客も同様に少ない時代でしたが、何とか少しずつ取引を増やすことができました。実績を積むと共にバックオフィスシステムの導入など管理部門の強化を図り、同時にリスク管理部門も導入いたしました。

日本国内でのオプションのセールスと並行して、オランダ銀行のアジア地区でのオプションのプロモーションも手がけました。当時オランダ銀行では本店とニューヨーク支店が個別にオプションを手がけているだけで銀行としてワールドワイドにプロモートしていくといった戦略はありませんでした。そこで東京支店としては日本国内における顧客へのオプションの販売と並んでアジア地区のオプションの拠点となるべく尽力、預金とオプションを組み合わせた商品を開発(業界でも先発)するなどいたしました。

また、商品競争力維持のためいわゆるエキゾチックオプションの導入にも力を注ぎました。当時は本店においても一部の専門家がお遊びとしてエキゾチックオプションのプライシングを行っている程度で、実際の顧客への販売は殆どありませんでした。そのような時期に東京から顧客向けにエキゾチックオプションの販売を手がけたい旨の申し出をしたわけですから、なかなか許可が下りず苦労した覚えがあります。数年してやっと許可が下りましたが、程なく価格競争が激化、余り儲からなくなってしまいました。

オランダ銀行時代オプション部門は好業績を挙げましたので、御褒美として数回セミナー業者の開催するオプションセミナーに出席することができました。1週間程度のセミナーですが、出席者は基本的にいずれかの銀行でオプションを担当している者ばかりですので、かなり高度な講義内容でした。特に、エキゾチックオプションのコースは当時最先端の第二世代、第三世代のオプションを学ぶことができ、大変有意義なものでした。

オランダ銀行時代には業務とは別に、CFP資格の取得もいたしました。これは自己啓発を兼ねて将来のために取得いたしましたが、その後意外な形で役立ってきました。この件については後述いたします。

1997年にオランダ銀行からドレスナー銀行に移籍、10ヶ月ほど在籍した後1998年にトロントドミニオン銀行にチーフディーラーとして移籍しました。オランダ銀行時代はオプション部門を主に担当したわけですが、今回はオプションのみならず為替全般を担当することになりました。トロントドミニオン銀行は東京進出が1980年代と遅く、顧客獲得のために銀行にとってかなり不利な条件で取引をしており、対顧客部門は収益をもたらすことよりもディ−ルフローをもたらすことに重点を置いているようでした。1990年代の後半には日本経済の不振に伴い為替ディ−ルの量も全体として減少、山一證券の破綻をきっかけに対日本企業の与信枠が激減すると、さっぱり収益が上がらなくなってしまいました。

その建て直しのために招かれたわけですが、収益拡大のために以下のようなポイントを重点的に推進しました。

対顧客マージンの見直しは、前述の通り、トロントドミニオン銀行はかなり無理・不利な条件で顧客と取引していましたので、口銭をいただく条件で取引条件の見直しをさせていただきました。その過程で結局取引関係が無くなってしまう場合もありましたが、その次に挙げた顧客サービスの向上を約束、かなりの取引先の了解を得ました。

顧客サービスの向上策として、各種レポートによる情報提供の拡充、ナイトデスク設置により夜11時までディ−ルできるようにするなどの施策をうち出しました。

また、当時日本企業に対する与信枠は非常に厳しい状態でしたが、ごく短期の外為与信枠を提供できるように本店と交渉、いくつかの条件は付きましたが基本的な了解を得て新規顧客獲得の武器としました。当事は外資系銀行が殆ど外為与信枠を閉じてしまったことが逆にトロントドミニオンにとっては幸いして、数社の新規取引を獲得いたしました。

また、山一ショックと共にラインを閉じてしまった顧客に対しても、以前よりは顧客に不利な条件ですが、ラインを開設、取引再開にこぎ着けた企業もいくつかありました。

以上を通じて顧客の支持を取り付けた結果、1998年度のユーロマネー誌において、トロントドミニオン銀行は1年間で最もサービスが向上した銀行の1行に選ばれました。また私自身も前年度に続いて為替短期予測の分野でベストディーラーの一人に選ばれました。

 

TS21

 

為替分野においては以上のような業績を積んできたわけですが、前述のようにオランダ銀行時代にCFP資格を取ったことが思わぬ方面で私のキャリアと係ってくることになりました。

まず、1997年に私自身が祖父の相続人となり相続問題に係ることになりました。その際、私が金融機関に勤めていることもあり相続人代表として各種金融機関、税理士、弁護士との折衝をまかされることになりました。この際気づいたことは相続問題を一括して取り扱える専門家は存在しないことです。確かに弁護士や税理士は専門分野については深い知識を持っていますが、例えばある不動産について、どのように分割をすれば相続人に間の不満を最小に押さえられるかといった目的に対して適切なアドバイスができるかについては些か疑問があります。更に、実際の相続問題においては、その相続財産(その中には不動産や金銭に換算できる財産、そして金銭に換算できない財産も含まれるでしょう)を如何に複数の相続人に分割すれば全ての相続人に最大の満足を与える(あるいは不満足を最小に押さえる)ことが目的となるはずですが、一般論はともかく、実際に相続人の中に入って調停をしてくれる機関、専門家は意外に少ないことに気づきました。当時既に信託銀行は遺産相続コンサルを業務の一環に据えておりましたが、相続コンサルと銘打っているものの結局は預金獲得の手段に過ぎずいやな思いをした経験があります。このとき初めてFPビジネスの可能性に気づいたわけですが、残念ながらビジネスとして展開するには至りませんでした。

何年かして、トロントドミニオン銀行に移籍した後、時代は所謂eビジネスへと大きく方向転換を始めました。企業としての銀行にとっては大きなビジネスチャンス到来ですが、個々の従業員にとっては必ずしも歓迎すべき変化をもたらすわけではありません。例えば、個人的には最初はメインストリームにはなり得ないと思っていたeトレードも急速に市民権を得て、東京証券取引所の立会いも廃止されましたし、外国為替における銀行間市場においては従来の短資会社経由の取引を押さえて現在では総取引量の7−8割を占めるまでに至りました。同様の現象はそのほかの金融分野においても必然と思われ、銀行を含めた金融機関の業務体系を大きく変化させていくことでしょう。私のような対顧客為替ディーラーも単純なコスト競争ではeトレードにかなうはずもありません。私もキャリアの見直しを迫られることになりました。

そのようなときに同じ銀行に勤める税理士資格を持つ友人が独立、その際TS21という弁護士、公認会計士、税理士、司法書士、不動産鑑定士、土地家屋調査士といった専門家集団のネットワークを作ってオンラインコンサルをビジネスとして展開させようという誘いを受けました。当初の目論見より些か遅れ気味ではありますが、TS21のホームページ(http://www2.odn.ne.jp/ts21)もは8月ころには完成の予定です。私もCFPとして資産運用や相続問題の専門家として名を連ねているわけですが、すぐに独立は難しいようですので、取り敢えず1−2年は現職にとどまったままでFP関連の経験を積むと共に徐々に比重を移していくことを計画しております。

 

ラシュモア大学

 

更なるキャリアアップを目指している最中にラシュモア大学のホームページを見つけました。何よりも気に入ったことは在宅で資格が取れるオンライン大学であること、そしてその授業方法が自分自身のウェブ・サイトを完成させるパブリッシング・アプローチを取っていることの2点でした。

私は既に不惑の年齢に達しており、家庭もキャリアも持っていることから年単位で仕事を離れることは大きなリスクになります。今後のキャリアアップのためとはいえできれば避けたいところです。

また、前述のようにTS21でもホームページを作成中です。その際色々なページを探索して気づいたのは、ビジネス用のホームページですら肝心の中身が不足しているサイトが多いこと、そして満足なアップデートがなされていないサイトが大変多いことです。TS21のサイトを充実させるためにも、DBAコースを完了することによって大変に内容の深い自分のサイトを完成させられるプログラムは私のニーズにも合致しており、早速入学手続きに入りました。

 

研究テーマ

 

以上が私のキャリアとラシュモア大学を選んだ経緯です。今後の事業展開を勘案、IT革命のもたらした新しい経済環境の中での投資・運用理論を中心に研究したいと思います。

私はTS21のメンバーの中では不動産及び相続問題を中心として扱って行くつもりですが、これは日本人の資産全体に占める不動産の割合が例えば米国などに比べると大変高いためです。従って、不動産をはずした金融資産中心の資産運用理論、運用コンサルは単なる机上の空論に陥ってしまう可能性があります。運用理論の一環として不動産についても研究したいと思います。その一助として、現在宅建主任資格取得を目指しています。

資産というと運用面ばかりが強調されますが、保険やローンも金融資産としての側面を持っています。通常は見過ごされてしまうその他資産の活用についても研究を深めたいと思います。

また、日本においては一般的に投資教育というものが行われていません。いわゆる学校教育においても、幼稚園でお金を持ってお買い物に行こう、という授業(?)があるほかは、殆ど行われていないといって過言ではありません。従って投資家教育もお寒い限りで、ビッグバンの結果投資家の個人責任が急にクローズアップされてきましたが、本当に大丈夫なのでしょうか、といった観点から、投資家教育や最近成立した日本版“金融サービス法”についても研究してみたいと思います。

近年デリバティブを活用した金融商品が巷にはあふれております。そのリスク、仕組みが充分に投資家に理解されないまま販売され、問題になっている事例も散見されます。商品説明に留まらず、オプション理論の紹介から始まって、より具体的な商品設計などを取り上げてみたいと思います。

投資にはリスクが付き物です。リスクマネージメント理論も最近頓に取り上げられる機会が増えてきました。投資運用理論の専門家としては外せない項目でしょう。リスクマネージメント手段も最近はより高度に、より精緻になってきました。但し理論的な高度化を求める余りLTCMに代表されるように机上の空論と化してしまう場合もあるようです。個人投資家にとって最適なリスクマネージメント理論の確立を目指したいと思います。

私のキャリアレコードでも触れましたが、eトレードは確実にひとつのトレンドになります。従って、今後の投資、運用を考える上でeトレードの評価、利用方法、今後の展開について思索を巡らせることは大いに必要なことでしょう。また、マーケティング手法としての活用もTS21で実際に必要となる知識といえるでしょう。実際ラシュモア・ライブラリーにも多くの書籍がが紹介されているようです。また、eトレード、eコンサルをビジネスとして展開する場合には独特の法律上の問題が出てくるようです。ビジネスを考える上では避けて通れない問題だと思いますので、研究を深めたいと思います。

 

以上によりTS21をひとつのビジネスモデルとして成功させるeコンサル理論の確立を目指しています。