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交渉術 いかにしてベストの解決策を見出すか

Rushmore University

Global Distance Learning DBA

大國

 

ハーバード流交渉術自体は大変有名な本であるが、私自身の思いこみもあって、敬遠していた種類の本の1冊であった。

その思い込みとは、交渉術と米国の大学におけるディベートはおそらく同じようなものに違いないというものであった。ところが、ユーリーの本はそのような思い込みが誤ったものであることを知らせてくれたばかりではなく、実生活における交渉は決してディベートの延長線にあるものではなく、むしろ他人との協調、思いやり、自分の感情を押さえるといった、どちらかというと徳目に属するような項目に重点が置かれていることを教えてくれた。

私も実社会に出て20年近くになるので、交渉事も多く経験してきた。うまくいった交渉も失敗した交渉も経験したが、交渉術の本を読み終えた後に改めて振り返ってみると、それなりの原因があったことが分かる。自省を込めて私の経験を振り返りながら、交渉術の内容について検証してみる。

バルコニー作戦 近くのものを遠くから見る

議論が白熱してきたときなど、物理的に席を外してしまうのは冷静になるためには大変良い手段である。興奮してしまうと、物事を大所高所から見ることができなくなり、単純な言葉尻を捕まえる短絡的な議論に陥りがちである。そのとき、物理的に席をはずすと、物事を客観的に眺めることができるようになる。物理的に席を外さなくとも、何らかの形で自分を取り戻すための努力をすることが議論のための議論に巻き込まれない方法である。このことを、ユーリーは桟敷席から舞台を眺めている観客にたとえている。舞台の役者は絶対に舞台全体を眺めることはできないが,「会場の観客席からだと演技者全員の動きや心理的な葛藤を第三者的な視点から冷静に評価することができるのだ」( William Ury, GETTING PAST NO NEGOTIATING WITH DIFFICULT PEOPLE,( 斎藤 精一郎訳『ハーバード流NOと言わせない交渉術p54))。

これに付いてはこんな経験がある。あるとき、私は外資系の銀行から外国為替部門のチーフディーラーとしての誘いを受けた。その銀行では、外国為替の顧客部門が収益を上げることができず、大変なトラブルを抱えていた。また、収益を向上させるための改革の過程で3人いた部門員の内2人が辞めてしまうという危機的状態にあった。そのような為替部門を建て直すためにチーフディーラーとして勧誘を受けたのである。依頼事項は明快であったが、たやすい問題ではなかった。

実際には、大概の外銀は当時、同様な問題を抱えていたのである。ちょうど山一證券が破綻した直後で、日本に対する与信枠がいっせいに縮小された。従って、優良顧客には多くの銀行が取引を持ちかけ競争が厳しい一方で、信用度の低い顧客に対しては、取引すれば儲かると分かっていても取引できない状態であった。

そこで現状把握と将来の改革プラン作成のため会議を召集したが、部門員からは何も意見が出てこない。おそらく同じようなことはそれ以前にも行われていたのであろうが、同じような経過をたどったのであろう。何しろその過程で2人も辞職してしまったのだから。残った人間にとっては今までのやり方を簡単に放棄して新しいやり方に変えてしまうのは、単なる自己否定にしかならない。自分を弁護するためにも何も変えたくないに違いない。私としては全員をくびにして、ゼロから外国為替セクションを作ったほうが簡単だとさえ思われたが、私にゆだねられている経営資源は自分ともう1人のディーラーしかいないのである。また、実績の上がっていない状態で多くの人員をつぎ込む計画を経営陣が承認するはずもない。そこで、いったん身を引いて、現状の問題点の洗い出しに専念した。

現場を離れてトレーディング実績を検討したり、顧客との関係の見直しをしたりした。私は後から加入した人間であるから、バルコニーどころかドアから入ってきたようなものなのである。もともと、客観的に物事を見る条件はそろっていたのである。ほどなく、私自身の中で、改革プランはできあがった。あとはいかにして説得するかである。「正解を出すのは、それほど難しいことではありません。」「一番難しいことは、お客様に納得してもらうことです。」(中谷 彰宏『なぜあの人の話に納得してしまうのかp150)

相手を乗せる

私の提案を上司からの命令として下賜するのでは、うまくいくはずはない。そこで、私はなるべく相手をしゃべらせるように、色々な質問をした。顧客のこと、口銭のこと、銀行への要望などすでに調査済みのことも、相手に認識させるためにしゃべらせた。とにかく相手にしゃべらせることでこちらの情報量も増えるし、相手にも色々考えさせることができる。何しろ、私自身が新参者である。知ったかぶりをして決め付けてしまえば、相手の共感を得られないことは明白である。「知ったかぶりより知らないふり」(McCormack, Mark H., ON COMMUNICATING(柳平 彬訳『OK!を必ずもらう説得術』p97))である。また、こういった機会は集中的に時間を取るのではなく、短時間のものを、日時をおいて数多く設け、その間私はメモなどを取りながら疑問点や私の要望事項などを後日のために整理しておいた。そして適宜、疑問点などを正していった。相手も自分の言ったことですから良く覚えているし、色々と話しているうちに自分自身の中で考えがまとまってくる。そして私は、私のプランを相手の口から言わせることに成功したのであった。

その内容は、顧客との取引条件の見直しと、ナイトディール・セクション(夜番)の創設であった。顧客担当のディーラーはその時点では1人しかいなかったので、顧客との折衝は彼1人で行うことになる。実は交渉事は彼の苦手とする分野であり、私もそのことには気がついていた。しかし、本人が言い出したことであるから、自ら充分に準備してお客との折衝に臨んでいった。もちろん私も、帯同訪問等の手伝いを申し出たが、基本的にはあまり口出しせずに、顧客との折衝は彼に任せた。また、夜番を創設するには、当然夜番を努める人間が必要になる。これも、彼が提案者であるので、彼が率先して引き受けてくれた。

「説得力のある人は説得するのでなく、納得するお手伝いをする」(中谷 彰宏『なぜあの人の話に納得してしまうのかp2)のである。こうして相手の協力を取りつけ、顧客部門の立て直しに成功した。この年、この銀行はある金融雑誌の人気投票において、外国為替部門で最もサービスを向上させた銀行の3行中の1行に選ばれた。私の成功談といえるであろう。

権威主義人間との交渉

自意識過剰で権威主義の人間がいる。こういった人間に何か提案すると、自分の権威や能力を否定されたかのように感情的に反撃してくる。ここでこちらも感情的な反論に出てしまっては、交渉はまとまらない。こういった人間に対してはまず充分に自尊心をくすぐってやる必要がある。

これには、むしろ失敗談に属するが、こんな経験がある。

自宅に知人を集めてささやかなパーティーを開いたときのことである。自慢のオーディオシステムで色々な音楽をかけていた。そこで、その時気に入っていたCDを内容は説明せずにかけて、どう思うかたずねてみた。このときの相手の反応は私にとってはいささか予想外であった。つまり、「俺はもっと色々な音楽を聴いてきた。俺はマリア・カラスの歌うカスタ・ディーバを聞いたことがあるが、あれが最高で、こんなのはカスだ」とくってかかってきたのである。確かに、この時かけたのはイタリアのポピュラー歌手がオペラ・アリアを歌った、クラシックともポピュラーともつかないもので、だからこそ面白いと思ってかけたのであった。従って、私としては別にかまをかけるために質問したのではなく、純粋に感想が聞きたくて問いかけたのであるが、相手にはあたかも私が彼を試しているように感じられたのであろう。つまり私のアプローチが間違っていたのである。

一般的にこういうタイプの人間はおだてに弱いそうである。従ってこの場合は、「このCDはポピュラー歌手がオペラのアリアを歌って、イタリアやアメリカで大評判になりましたけれど、クラシックやオペラに詳しい方はどう思われますか」などと聞くことによって、相手の自尊心をくすぐる必要があったのである。

第三の力

当事者だけでは事態を打開できない場合がある。このような場合には、紛争当事者でない第三者に登場してもらうと、事態が好転する場合がある。高飛車にこちらの要求を否定してくる相手に対しては、弁護士を交渉の席に同席させるだけで無言の圧力がかかるという。また、あまり良い例ではないかもしれないが、先日大評判になった某電機会社の“クレーマー事件”などは、インターネットを使って不特定多数の第三者を巻き込んで圧力をかけた事件であった。不特定多数を第三の力として利用したのである。

これについては、面白い経験がある。私自身が関わった相続案件であるが、被相続人がある証券会社に借名(架空)口座(他人の名義を使い、あるいは架空の名義を使って口座を開くこと)を開いていた。被相続人の死亡時にはすでに借名名義は通達で禁止されていたが、それ以前は、あまりおおっぴらにはできないものの、借名名義口座そのものはめずらしくなかった。借名口座を整理しないまま被相続人が死亡したので、相続人は正直に金融機関にその旨を届けたのである。金融機関としては、借名口座とはいえ法的には名義人が存在するわけであるから(完全な架空口座ではなく、運悪く名義人が存在する借名口座であった)、簡単に相続財産に含めるわけにも行かず、口座に入っている証券類を凍結してしまった。相続人は、その証券類の帰属をめぐって金融機関と交渉していたのであるが、どうしようもなくなってしまっていた。後になって考えてみると、何も言わずに印章と通帳を持って証券会社に行き、引き出してしまえば良かったのであるが(違法ではある)、証券会社に善後策を相談してしまった後ではどうしようもない。証券会社としては、もちろん借名口座であることを承知の上で口座を開設したはずである。ところが、相続問題が起きると、とにかく名義人の承諾を得てほしいとの一点張りであった。弁護士にもご出馬いただいたが、弁護士でも役不足でうまくいかなかった。証券広報センターや日本証券業組合苦情相談室といった業界団体にも問い合わせてみたが、業界団体であるので、全く第三の力にはなりえなかった。裁判で決着をつけるしかないかと思っていたのであるが、最後の手段として所轄官庁に直接掛け合ってみた。借名口座の契約時点においては、証券会社が、必ずしも違法なことをしているわけではないので、所轄官庁が直接アクションを取ることはありえないと思われた。ただ、何がしかのプラスになるかもしれないと思い、所轄官庁に直接電話をかけてみたのである。かくかくしかじかと事情を説明してみると、意外とあっさりと「わかりました、問い合わせてみます」、との返答があった。

あまり期待しないで待っていたところ、程なく証券会社から慌てて連絡が入った。所轄官庁から直接支店に連絡が行くはずはないので、当然本店に照会が入ったのだろう。本店も所轄官庁の照会なので捨て置くわけにもいかず、支店に問い合わせてきたのであろう。支店担当者は慌てて私に本当に所轄官庁に調査を依頼したのか聞いてきたので、私は簡単にイエスとだけ答えておいた。私がそれこそ代議士にでも頼んで裏から手を回したとでも思ったのであろう。実際は電話しただけなのであるが。

こちらでも、架空名義に関わる証券はすべて被相続人の所有に係るもので、証券会社が払い出した後で万一口座名義人を名乗るものからの請求を受けた場合でも証券会社には一切迷惑はかけないという趣旨の念書を弁護士に作成してもらって再交渉に臨んだ。前回は同様の念書を用意してもけんもほろろの扱いを受けた。ところが、今回は証券会社も払い戻しにあっさりと応じてくれた。念書まで用意したわけであるから、証券会社側のリスクはゼロでないにしてもミニマムである。所轄官庁という第三の力を用いたことと、相手に念書という安全な退路を用意したことで、かたくなな相手の態度を変えさせることができたのである。

IT時代のコミュニケーション

世はIT時代である。今後コミュニケーション・ツールとしてE-mailなどは今後いっそう多用されることであろう。交渉の場でもE-mailなどが頻繁に使われることが、予想される。E-mailに代表されるIT技術は手軽で便利である一方、コミュニケーションをブラック・ボックス化する弊害がある。電話であれば、相手の声を直接耳にすることができるので、まだ相手との交流が期待できる。ところが、活字で情報を伝えるメールでは、要件しか伝わらない。要件の裏に隠された相手の感情を観察するには適さないツールである。E-mailにきめ細かい感情のやり取りは期待できない。従って、発信者の一方的な思い込みに基づくメッセージの送達に陥ってしまいやすい。E-mailでの何気ないやり取りを悪意に解釈され、一方的な反論の返信が届き、友情にひびが入ったなどというケースもあると聞く。プロバイダーの提供する掲示板などを見ても、延々と罵詈雑言のやり取りが続いている場合がある。コミュニケーションの方法としては、最悪であろう。

「トルーマン大統領は、腹立ちまぎれに書いた手紙は24時間しまっておいて、それでも気が変わらなければ発送した」(Mark H. McCormack, ON COMMUNICATING(柳平 彬訳『OK!を必ずもらう説得術』大和出版p164))そうである。IT時代にも通用する話のように思われるが、いかがであろうか。

結論

以上のように、アメリカ・ビジネス・スクール流の交渉術も、意外ではあるが日本的なビジネスの進めかたと大きな差はないことに気づく。むしろ、アメリカ流のネゴシエーションのあり方がハーバード流交渉術に示されているとしたら、以心伝心といった、日本人同士ですら誤解を生ずるもとになる人間関係に頼ってきた日本人がいかにナイーブであったか、国際交渉の場でいかに不利な立場に置かれていたかを思い知らされる。ビジネスの場においても、感情的な反発を押さえて常に冷静に相手の反応を観察するなどは、日本人がグローバルな展開をしていく上で欠かせないヒントであろう。

それだけではなく、私自身の失敗を反省すると、自分自身が、いわゆる自尊心が強いタイプで、文句を言われるとオートマチックに反論してしまうタイプの人間であったことがわかる。もちろんそれ自身、反省すべき点なのではあろうが、自分を変革することは簡単ではない。しかし重要なことは、テクニカルにハーバード流の交渉術を実践することではない。もし自分が感情的な反論をしやすいタイプであるとしたら、自分自身をそのような立場に置かないように、交渉に臨んで自分の欠点をさらけ出さないようにあらかじめセッティングしておくことはできるであろう。例えば、議論が感情的になった場合に間合いを取れるように、あらかじめ仲間内に連絡を入れるように頼んでおくなど、保険をかけておくのである。自分自身が感情的になっているその場で冷静さを取り戻せといっても、無理である。しかし、事前にちょっとしたアレンジをしておくだけで、自分自身を取り戻すきっかけとして使えるのである。

ハーバード流交渉術は、単なるコミュニケーション技術の向上ばかりではなく、自分自身とのコミュニケーションを図ることによって、いっそう役に立つ技術となるのである。

 

 

参考文献

Roger Fisher, William Ury and Bruce Patton(1991), GETTING TO YES Negotiating Agreement Without Giving In., 2nd Ed., Houghton Mifflin Company(金山 宣夫 浅井 和子訳(1998)『ハーバード流交渉術』TBSブリタニカ)

Mark H. McCormack , (1996), ON COMMUNICATING, Mark H. McCormack Enterprises, Inc.(柳平 彬訳(2000)『OK!を必ずもらう説得術』大和出版)

中谷 彰宏(1999)『なぜあの人の話に納得してしまうのか』ダイヤモンド社

William Ury (1991), GETTING PAST NO NEGOTIATING WITH DIFFICULT PEOPLE, Raphael Sagalyn, Inc.,(斎藤 精一郎訳(2000)『ハーバード流NOと言わせない交渉術』三笠書房)