ヒューマン・リソース(HRE701)1クレジット

勉強法と読書法

Rushmore University

Global Distance Learning DBA

大國 亨

ここでは中谷彰宏著の『大人のスピード読書法』と『大人のスピード勉強法』を中心的な題材として取り上げます。この両書は学術的に勉強法を分析したものではありませんが、私がビジネスの経験を通じて、あるいは先輩たちに学んだことが平易に書かれており、自分としても大変納得の行くものでした。そこで、両書を中心に、読書法と勉強法について考察を加えていきます。

読書法

スピード読書法といっても、いわゆる速読の解説本ではありません。ただ、中谷さんは言うなれば“ヘビー”読書家のようです。その経験を通して読書についての心構えを解説しています。読書について両書の中で中谷さんが最も強調しているのは、スピードです。速読の解説書でもないのにスピードを強調するのはいささか奇異な感じもしますが、ここでは、著者はいわゆる速読法におけるものとは違った意味でのスピードを強調しています。

例えば、本の選び方です。本屋でパッと見て気に入った本を買ってしまえ(中谷 彰宏『大人のスピード読書法p44)、と書かれています。ああでもないこうでもないと迷っていては本との出会いに新鮮さがなくなってしまいます。

また、迷ったら薄い方の本を選びなさいといいます(中谷 彰宏『大人のスピード勉強法p23)。例えば辞書を選ぶ場合、普通ですとどうしても収容語彙の多いほうが得するような気がして分厚い辞書を選んでしまいます。しかし、分厚い辞書では引くのに時間がかかりますし、第一そんなにたくさんの語彙や異訳を本当に必要とするのでしょうか。大体、仕事で辞書を引いた場合など、どうせ一番最初に出てくる訳しか見ないのではないでしょうか。

私も仕事場と書斎には英語の辞書がおいてありますが、実はコンサイスの英和と和英が一緒になったものを使っています。コンサイスに出てこない英語の場合、いわゆる新語や学術用語ですので、どんな辞書にも載っていませんので、どうせ他の手段で探さなくてはいけないものが殆どです。和英辞典は実は英作文などには余り使いません。日本人が和英辞典に頼って英作文をすると、小学生が変に難しい単語を使って作文したような妙な文章になってしまいます。実は和英は、国語辞書の代わりに使っているのです。ワープロばかり使っているとどうしても漢字を忘れてしまいます。それでも肉筆で文章を書かなくてはならない場合がどうしても出てきます。そんなときにあんちょことして使うのに語彙などがちょうど具合良いのです。国語辞典ですとどうしても語彙が多く、何か単語を引いても、なぜか前後の言葉に目が行ってしまい、余計な時間がかかってしまいます。従ってコンサイス程度が私の用途には最適なのです。

難しいことが高級なのではない

また、別のところでは、スピードを違った形で強調しています。本を読むときに分からなかったり、意味が通じなくてどうしてもつかえたりしまうことがあります。そんなときは、迷わず飛ばしてしまいなさいといっています。数式、専門用語、外国語、脚注などは飛ばしてしまっても大体意味は通じるし速く読めるそうです(中谷 彰宏『大人のスピード勉強法』p47)。大体において、学問とは、そのままでは分かりにくい現象・事象に対して一般的で分かり易い法則を見出すことを目的としています。そうであれば、何かについて解説している本が難しいわけはありません。難しいとすれば、何かが間違っているのです。

むやみに難しい単語や漢字を使うのは、むしろ著者自身が分かっていない証拠だそうです。じつは、私も経験があります。以前ある外銀に在籍していたとき、海外支店でオプションのセミナーを海外支店勤務の同僚や海外支店のお客様向けに開催することになりました。お客様向けのセミナーは、こう言っては失礼かもしれませんが、こちらがオプションという何やら難しげな商品の専門家であることを印象付けることが目的ですから、カッコつけていれば良いわけです。

むしろ悩んだのは、同僚行員向けのセミナーでした。相手はオプションの素人とはいえ銀行員で、その道のプロです。おまけに同じ銀行に所属しているわけですから、変なことを言ったら後々当然こちらが困ることになります。

実はオプション理論には、いわゆるグリークス(Greeks、ギリシャ語、デルタとかガンマと言うやつです)が出てきます。なぜデルタという言葉を使うかというと、偏微分をしたときに……、とやたらと専門用語が出てきます。これをそのまま算数の授業さながらに展開しても良いのですが、それでは殆どの同僚には意味不明で、私一人が悦に入っていることになってしまいます。しかしながら、このデルタやガンマはオプションを理解する上で大変重要な概念ですので、説明を省略してしまうわけには行きません。

そこで、さまざまな言い換えを用意することになりました。ひとつの術後に対して英語で手変え品替え説明を用意するのはかなり骨が折れましたが、その経験を通して、私のオプションに対する理解が飛躍的に向上したのは間違いないところです。

ところで、これは余談になりますが、私はこのとき視覚に訴えるため、グラフも使いました。オプション理論を理解する上でグラフは非常に役に立つ道具だと思いますが、今一つ理解が得られませんでした。日本では学校教育の早い時期からグラフに親しんでいるせいか日本人相手のときは割合と成功しましたが、海外ではあまり上手く行きませんでした。実は、数学教育は商人が売上を計算するために必要とされただけで、それ以上の高等数学ははっきり言って軍人が戦争をするために学ぶものです。三角法や微分積分は砲弾をどういうふうに飛ばせばどこに着地するか研究するためのものです。統計学や確率論がもっとも発達したのは第二次世界大戦の前後です。このとき、いかに少ない資源で効果的な爆撃を行うかの研究をした結果発達したのです。従って一般人には必要なかったのです。独り善がりにならないためには、色々な知識が必要とされるようです。

さらに余談になりますが、海外ではあまり地図が読める人がいません。日本では日本国中の二万五千分の一だか五万分の一だかの詳細な地図が簡単に手に入りますが、こんなものは例えばアメリカでもありません。はっきり言って軍事機密に属するからです。従って、その方面の教育を受けたか、山歩きが趣味でもない限り地図を読める人はあまりいません。こんなことも知識として必要になるときが来るかもしれません。

手の抜き方を覚えよう

中谷さんの著書の中で、手の抜き方を覚えようといっています(中谷 彰宏『大人のスピード読書法p93)。これはなにも仕事で手抜きをしろと言っているわけではなく、なんでもかんでも一所懸命やってしまうと、肝心のところに手が回らず、全体として不充分な仕事になってしまうことをいさめているのです。

これについてはこんな経験があります。

以前日本の銀行に勤めていた頃、私は稟議方といって融資を希望するお客様の要望を聞いて支店長や本店の決済を得るための書類を整える仕事をしていました。日中はお客様と会っているわけですから、ペーパーワークはどうしても後回しになります。ところが、融資案件といっても、難しい案件から、ルーティンワークともいえる定期的にめぐってくる案件まであります。定期的な案件などを管理するために大体皆、期日管理表を作っていました。これをみて、こんな案件の期日が来るなとかこんな書類を用意しなくてはいけないなと今後のスケジュール調整をするわけです。ところが、中にはこの期日管理表をやけにきっちりと作る人がいます。期日管理は実行されてこそ意味があるわけですが、こういう人に限って表を作ると満足してしまい、期日管理漏れを引き起こします。いや、表には書いてあったんですが、と言われても、どうしようもありません。期日を管理するという目的を履き違えて、期日管理表を作ることが目的となってしまっています。表を作るという手の抜き方を教えてもらっても、これでは役に立っていません。

また、こういうタイプの人は、本店への稟議などと言うと構えてしまい、ルーティンワークと重要案件を区別できません。大体において銀行は月末になるとあれこれ忙しくなりますし、書類の期日も通常月末に集中して設定されています。私などは要領のよいほうでしたから、月末期日の継続案件などは大体月の初めには書類をしあげてしまい、それ以外の仕事に備えていました。単に書類上の期日を延長するだけの稟議書などに時間を費やすのは無駄です。

メモ

別のところではメモの効用について書かれています。中谷さんは何かあると、必ずメモを取るそうです。食事中で手近にある紙がナプキンしかないときはナプキンにメモを取るそうです。著者はどうしても紙がなくて困ったら、駅前に行きなさいといっています。駅前には大体銀行があり、絶対に紙と鉛筆(伝票とボールペン)が用意してありますし、伝票が用意してある台で何か書き物をしていても怒られないといっています(中谷 彰宏『大人のスピード勉強法p165)。多分経験談なのでしょう。

私は名刺をよく使っていました。自分の名刺をメモ代わりにするのはもちろん、相手からいただいた名刺にも書きこみをします。何か案件があった場合など相手の名刺に書いておくと、次にその名刺を見返したとき、驚くほど鮮明に思い出すことができますし、他の人と混同することもありません。但し、失礼にあたりますから、相手の目の前では書きこみをしない方がよいでしょう。私は相手と別れてすぐに書くようにしていました。

見切り

中谷さんは、質問癖はやめなさいと言っています。たしかに、本を読んでいるときに疑問点が出てきたらそれについて考えるのはもちろん無駄ではありません。しかし、考えるあまりそこから一歩も前へ進まなくなることが問題なのです。ある程度分からなくても、読み進める、そうすると分かることもあります。ある本について100%の理解を前提に読み進めるとしたら、どんな本でも読み進められません。

ここではなかやさんは見切りという言葉は使っていませんが、まさに見切りが必要だということでしょう。

見切りに関してはこんな話があります。

何年か前、ディープブルーというコンピューターがチェスの世界チャンピオンに勝ったと話題になりました。実はチェス以前にもオセロ(コンピューターゲームでは著作権の関係かリバーシなどと呼ばれています)など人間がコンピューターに勝てなくなったゲームはいくつもあります。これらのゲームに共通するのは、指し手の数が有限なことです。従って、強力なコンピューターですべての指し手を読みきってしまえば人間に負けなくなります。

これに対して、将棋は駒の使いまわしができることから指し手が無限にあり、どんなコンピューターでも読みきることはできません。従ってコンピューターが将棋の名人に勝つにはまだまだ時間がかかるそうです。

ところで、将棋の名人はどれくらい手を読むのでしょうか。名人クラスになると何百手先でも読めるそうです。もし、先ほどあげたチェスの例のように指し手を読みきってしまえるのであればそうするのでしょうが、実戦ではそんなことはしないそうです。むしろこれが良い手だと思えば、それを優先して指すそうです。つまり見切ってしまうわけです。逆に見切りができずに先へ先へと読んでしまう場合は迷っているだけで、結果もよくないそうです。

銀行における貸し出し案件の稟議書も同様です。まともな銀行員であれば、貸し出すべきか否か、結論が先にわかるものです。結論が決まらないうちに、だらだらと長い稟議書を考えをまとめるために書くのは、書く人間にとっても、読む人間にとっても時間の無駄です。

ビジネスの場面でも、プロジェクトの成否について、かんかんがくがくの議論が終わらないことがあります。しかし、いくら議論しても結果はわかりません。必要なことは、いかに見切りをつけるかです。議論のための議論は無駄です。

インプットとアウトプット

読書と言えば知識のインプットの代表例ですが、著者はインプットと同時にアウトプットの重要性を説いています。ここでもスピードが強調されています。例えば、講義を聴きながらノートを取ります。別に速記をしているわけではありませんから、講義全部を書き写すわけではありません。当然ポイントを抜き出すわけですが、ポイントを聞き分けるには、当然講義の内容を把握しなくてはいけませんし、ポイントに絞って速く書かなくては次を聞き落としてしまいます。先生が言ったことを一言一句間違えないように書き写すのは、単に書き移しているだけで、何も理解したことにはなりません。一度頭のフィルターを通して、自分なりのメモを書かなくてはいけません。ノートを取ることは、講義を理解する上でも大変有効な手段になるのです(中谷 彰宏『大人のスピード勉強法p142)。

また著者は別のところで、話しているスピードで書くと大変分かり易いと書いています。書き言葉は話し言葉に比べると圧倒的に理論的です。ですから、よほど意識して書かないと読者にとって理解するのに時間のかかる文章になってしまいます。

話すスピードというのは実は意外に早いものです。ゆっくりしゃべっても1分間で400文字と言われています。10ページの原稿を書いてくれと言われたらずいぶんと思うかもしれませんが、10分間のスピーチ、と言ったら、それほどの分量には感じないでしょう。

実は、この文章の一部は口述筆記で書かれています。口述筆記、といっても、別に秘書を雇っているわけではなく、コンピューターの音声入力システムを使っています。まだ使いはじめで変換がうまくいかなかったり、言葉を理解してくれなかったりとむしろ手で書いたほうが早いぐらいですが、慣れと共にうまくなっていくでしょう。10ページの原稿が10分で書けるとしたら、たいしたものです。コンピューターの発達によって、日本口語文の理想としていた、話すように書くということが実現されたわけです。

文章の書き方

中谷さんの説く勉強方法や読書法は、必ずしも一般的な評価を受けているわけではないでしょう。例えば、文章の書き方などには、参考文献に挙げたほかの著作とは相当の差があります。中谷氏は「考えている順番とスピードで書くと、読む人には分かりやすい」「読む人も、普通の人間ですから、ウロウロしないで理路整然と書かれると、逆に分からなくなります」(中谷 彰宏『大人のスピード勉強法p153)と書いています。

野口悠紀夫先生もわかりやすく書くことをまず強調しています。ただ違うのは、先生は「書くのは「技術」である」(野口 悠紀夫『「超」勉強法p123)ことを強調している点です。ミントの著書においては、書く技術がさらに前面に押し出されています(Minto, Barbara, THE MINTO PYRAMID PRINCIPLE,(山崎 康司訳『考える技術・書く技術』)。コンサルタントとして分かりやすい報告書を書く技術として、自分の考え方をピラミッド型に再構成、報告書にも反映させます。ピラミッド・プリンシプルという原則を守ることにより、分かりやすい報告書が書けるようになるのだそうです。

ただ、一口に文章の書き方といっても、今挙げた3人の本は、その対象がかなり異なっているようです。野口先生の著作は高校生や大学生などを対象としてか書かれているように思われます。想定している文章は、小論文や学術的なレポートといったところでしょう。つまり、自分の考えの正当性を伝えることを目的とした文章です。

ミントの著作はMBAレベルの人間がコンサルタントとして報告書を書くことを想定して書かれています。コンサルタントが文章を書くのは、顧客に自分達コンサルタントの出したアイデアを採用させるためです。決して顧客を感動させるためでも、感心させるためでもありません。ミントは簡潔なレポートを書くことを重要視しています。このことは、自身が成功したビジネスマンである(プロ・スポーツ選手などのマネジメントを手がけるIMG社社長)マコーマックも、報告書については、「理想は一行だけのメモ」、「感銘を与えるのではなく、意味を伝える」(McCormack, Mark H., ON COMMUNICATING, (柳平 彬訳『OK!を必ずもらう説得術』pp158-160)と、大変実利的な面を強調しています。大体、顧客に何十ページもある報告書を読んでもらうことを期待するのはナンセンスです。えらい人ほど結論だけを聞きたがるものです。

論文や報告書に感銘を求めても仕方ありません。とはいえ野口先生も、「私の講演はわかりやすいといわれる」と書きながらも、「残念なことに、私は、講演が終わって「感銘を受けた」といわれたことがない。これは、ノウハウの問題ではなく、人間性と学識の深さの問題のようだ」(野口 悠紀夫『「超」勉強法p117)と残念そうに書いています。

逆に、中谷さんの著作はいわゆる人生のハウツーものです。ミントと同じくビジネスマンを対象とはしてはいますが、高度な教育を受けた人間を想定しているわけではないでしょう。内容的には他人の気づかないちょっとしたことを指摘することによって、感動や感銘を与えることに主眼が置かれています。

同じ文章の書き方によっても、書く文章の種類によって、相当異なった書き方が要求されることが分かります。また、その文章がどのような読者を想定しているかを考えながら読むことも、自分が文章を書く上で大いに参考になるものと思われます。

読書法と勉強法のまとめ

私の経験も一部交えながら述べてきましたが、無用な試行錯誤を避けるために、先人のノウハウを取り入れることは、大いに役立つことだといえるでしょう。しかし、あまり小手先のテクニックにこだわると、自分を殺してしまうことになります。文章表現では、隠そうとしても、誰が書いたものかはおのずと見えてくるものです。「優れた文書は署名を見なくても誰が書いたかわかるものである。文章に書き手が表れているからだ」(McCormack, Mark H., ON COMMUNICATING, (柳平 彬訳『OK!を必ずもらう説得術』p161))。逆に、決り文句を並べただけの誰が書いたかわからない文章は最悪です。

物事に馬鹿正直に正面から挑んでいくのは大変要領の悪いやり方です。かといって、手の抜き方のノウハウだけを知識として身に付けることもお勧めできません。また、あるテクニックが万人に受け入れられるものであるかどうかは試してみなくては分かりません。結論的には、勉強法も読書法も、実践を通じて自分で自分のやり方を確立していくしかないといえるでしょう。

 

参考文献

中谷 彰宏(1999)『大人のスピード勉強法』ダイヤモンド社

中谷 彰宏(2000)『大人のスピード読書法』ダイヤモンド社

野口 悠紀夫(1995)『「超」勉強法』講談社

Minto, Barbara, (1996) THE MINTO PYRAMID PRINCIPLE, Minto International Onc.,(山崎 康司訳(1999)『考える技術・書く技術』ダイヤモンド社)

McCormack, Mark H., (1996), ON COMMUNICATING, Mark H. McCormack Enterprises, Inc.(柳平 彬訳(2000)『OK!を必ずもらう説得術』大和出版)