2018年度の書評はこちら

201712

二宮 敦人最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』新潮社

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常 [ 二宮 敦人 ]
価格:1512円(税込、送料無料) (2017/10/25時点)

二宮さん自身は藝大出身ではありませんが、奥様が藝大出身(と言うか、彫刻科に在学中)なのだそうです。で、その言動があまりにもぶっ飛んでいるので、藝大について調べてみる気になったそうです。二宮さんは小説家でジャーナリストではありません。ですから本書が初のノンフィクションなんですって。小説家にノンフィクションを書かせるほど藝大ってのは(奥様だけじゃなくて)ぶっ飛んでるみたいですよ。

ところで、藝大以外の美大は美術オンリー、音大は音楽オンリー、って感じなのですが、藝大って音楽と美術の両方の教育機関でもあります。結構珍しい。でも、学内に入ると芸術系の生徒と音楽系の生徒ってすぐに見分けがつくんだそうです。「音校に入っていく男性は爽やかな短髪にカジュアルなジャケット、たまにスーツ姿。女性はさらりとした黒髪をなびかせていたり、抜けるような白いワンピースにハイヒールだったりする。大きな楽器ケースを持って居る学生もちらほら。みな姿勢が良く表情が明るいため、芸能人のようなオーラをはなっている。バッハと同じ髪型の男性も見かけた。どうやら教授のようだが……。」

「対して美校の学生たちは……ポニーテールの、髪留め周りだけをピンクに染めている女性。真っ赤な唇、巨大な貝のイヤリング。モヒカン男。蛍光色のズボン。自己表現をびりびりと感じさせる学生がいる一方で、まるで外見に気を遣っていないいないように見える学生も多い。ぼさぼさ頭で上下ジャージだったり、変なプリントがされたTシャツだったりが通り過ぎる。数人に一人は、眉間に皺をよせて俯き、影を背負ったような顔をしている」なんて観察を書き留めています。私の娘も美大に行っていましたが、藝大の学生に関しては似たようなことを言っていました。姿かたちがきちんとしているのは音楽系で、ばっちいのは美術系だって。

二宮さんは奥様に紹介してもらい、様々な分野の藝大生にインタビューしています。唖然呆然、抱腹絶倒(と言っては藝大生に申し訳ないですが)なエピソードから、ちょっといい話とかほっこりする話や、ちょっとセンチメンタルになる話までてんこ盛りです。詳細は是非お買い求めの上お読みください。いやあ、面白かった。

 

 

ヨシムラヒロム美大生図鑑 [ ヨシムラヒロム ]』飛鳥新社

『最後の秘境 東京藝大』が売れすぎて、美大生ってだけで天才だと思われちゃうんで、ムサビ卒業生のヨシムラヒロムさんがカウンターとして書いた、という訳ではないのでしょうが、本書では藝大以外の美大も多く取り扱われています。

本書が想定している読者の中に「こどもが「美大に進学したい!」と言うが、美大のパンフレットには美辞麗句ばかり。本質を知りたいという親御さん!」って書いてありますが、遅いって。娘はもう美大を卒業しちゃったよ。いちおう就職できたから良しとするか。

ところで、ムサビって映画にもなった『ハチミツとクローバー』ってマンガの舞台になっているのだそうですが、「ハチクロで知る美大の情報は、『こち亀を読んで「警察官ってこんな仕事なんだぁ」と思うほど間違っている」んですって。まあ、そうでしょうねえ。

美大に関して、「医大で学べば医者になれるが、美大で学んでもアーティストにはなれない」と書かれています。これって、音大でも同じなのですが、厳しい世界ですねえ。この3学部(医大、音大、美大)って学費の高い学部のスリートップなんですって。してみると、高い金をかけても医大ならなんとかなるってことですか。

ヨシムラヒロムさんのイラストも楽しい一冊でした。

 

 

大内 孝夫「音大卒」の戦い方』ヤマハミュージックメディア

音大や美大を出ても、アーティストになれる人はほんの一握り、どころか、ほんのひとつまみいるかどうか、という世界なんだそうです。ですから、大学卒業後どのような進路を選ぶか、なんてことも重要になります。大内さんは現在武蔵野音楽大学の就職課の主任なのだそうですが、その経歴は音大とは全く無縁のようです。年齢は私と同年代なようですが、大学卒業後、富士銀行に入行、以来30年に亘り銀行マンだったそうです。

そのような大内さんが縁あって音大の就職課に就職し、今音大生に大きな声で言いたいことは、「君たちのやっていることは、こんなにすごいんだよ。音楽で培ったその力は音楽以外でも十分通用するよ!」ということのようです。

まあ、音楽をやっている人間、それも単に楽器が上手い、というのではなく、作曲編曲、あるいは指揮をやっているような、端的に言うと「音楽が分かっちゃう」人って、とんでもなく頭が良い人が多いですからね。だって、楽譜を見ただけで頭の中には音楽が合唱付きのフルオーケストラで鳴り響き、作曲家が何を考えていたかまで分かっちゃうんですよ。すげー。どんな仕事に就いたって、能力的に不足するってことはないでしょうね。

ま、それはともかく、大内さんは卒業後上手く行っている(音楽方面ではなくても上手くやっている)音大卒の方、上手く行っていない(たとえ音楽方面のキャリアに進めたとしても)音大卒の方の分析をしています。この分析がなかなか鋭い。私の就職活動以後の経験を振り返ってみても、今にして思えば、実はかなり行き当たりばったりのキャリア選択をしていましたね。今だって何とか着地しているようには見えますが……。ではありますが、今だからこそ大内さんの分析にそうなんだよなあ、と同意できる自分がいます。私の年齢では、今更気づいたところで何が変わるわけでもないんでしょうが。

これから就職を考える音大生のみならず学生一般におすすめできる一冊でした。お子さんが就職する、なんて親御さんも読んで損はないと思いますよ。

 

大内さんの『「「音大卒」は武器になる』もご紹介しておきましょう。

 

 

塩田 武士女神のタクト』講談社文庫

主人公は三十路女の矢吹明菜。失業と失恋のダブルパンチに見舞われて傷心旅行中。たまたま出会った老人に、或る人物を連れて来る、というアルバイトを頼まれます。その人物はどうやら隠遁中でMっ気のある指揮者。嫌がる指揮者さんをドSの明菜さんがしばき倒してしょっぴいて行った先は経営難の地方楽団、なんてところからお話は始まります。ま、この続きは本書をお読みください。

塩田さんの経歴を見ても特に音楽関係に携わった経験は見当たりませんが、恐らく熱心な音楽ファンなのでしょう。本書には中小オーケストラ、あるいは芸術関係の団体にも共通する苦境がよく描かれています。俺は芸術家だ、って威張っても、生活するにはお金が必要です。本書にも書かれていますが、「楽団の主な収入源は、自主公演のチケット代、依頼公演のギャラ、会員からの援助、国や地方自治体からの補助金」で成り立っています。ではありますが、どこも経営は厳しいみたいです。ですから、ごくごく一部の著名なオーケストラ、あるいは著名なアーティストを除いてはオーケストラの団員とかって意外と質素な生活をしているんですよ。もちろん音楽教育を受けて来られたわけですからそれなりの資産のあるお家に生まれたのでしょうが、いつまでも親のすねをかじってるってわけにも行かないでしょうからね。おまけに、日本では文化行政がプア。箱物は一所懸命作ってくれますが、運営費はケチるんです。どっかで聞いたような……。

という、いささかダークな背景の物語が展開されていくわけですが、作者の塩田さんってWikipediaによれば、生まれは関西で「幼い頃から「人を楽しませたい」という思いが強く、劇団に入ったり、高校時代は漫才コンビも組んでいた」方なんだそうです、ってことで物語は掛け合い漫才のノリで展開されます。でも、意外と涙腺に響きますよ。あっという間に読了してしまいました。皆様も是非ご一読を。

 

 

 

201711

加藤 紘一テロルの真犯人 日本を変えようとするものの正体』講談社+α文庫

2006年、加藤さんは雑誌の対談において小泉首相(当時)が靖国神社を参拝することを批判していました。そして、小泉首相が実際に靖国神社を参拝した同年815日に、「東京・新宿に本拠を置く右翼団体の幹部に山形県鶴岡市の自宅を焼き討ち」されました。その後、同年9月に第一次安倍晋三内閣が成立しました。本書はそのような時期に書かれたものです。

「時代の空気が、靖国参拝を是とする首相を選んだ」

「時代の空気が、テロで言論を封殺しようという卑劣な犯行を招いた」

「私はあえて、その時代の空気に異を唱えたいと思う」と加藤さんは書いています。

昨今“忖度”という言葉が流行しましたが、加藤さんがここで言っている“空気”と同じようなものでしょう。時代の空気はもしかすると現在の方が重たくなっているのかもしれません。

第一次安倍政権は1年ほどで崩壊しましたが、今現在第二次安倍内閣は一強時代と言われる強さを誇るようになりました。

焼き討ち事件の後、同年10月に加藤さんの地元である山形県鶴岡市で「鶴岡発『言論の自由』を考える!!」というシンポジウムが開かれ、大変な熱気を持って迎えられたところから本書は始まります。が、“言論の自由” に関していえば、それから10年が経過した現在の方がさらに危機的状況にあるように思えます。加藤さんはすでに10年前に懸念を示していますが、現在では発言なり言葉を断片的に捉えた極めて短絡的な非難合戦が繰り広げられ、まともな議論が行われることは極めて稀、という憂慮すべき状況になっています。

今の自民党に加藤さんのような保守政治家は一人でもいるのでしょうか。

ところで、本書で一番面白いと思ったのは、中国に関する経験を綴った部分です。加藤さん本人も二世議員ではありますが、実際に外務省のキャリアとして何年間かを過ごした経歴を持っていらっしゃいます。いわゆるチャイナ・スクールの一員だったわけですが、遠くから文献を通して研究した、というだけではなく、様々な実際の業務を通じて実際の中国とはどんなものであるか、を観察・研究していたようです。加藤さんが中国、中国人をどのように理解したのか、は本書をお読みいただきたいと思いますが、外務省時代から半世紀近く経っているにも関わらず、中国・中国人に対する加藤さんの分析は今でも色あせていないように思います。なるほど中国人のメンタリティーってのは、当時も現在もあまり変わっていないことがよく分かります。

また、東京裁判やA級戦犯、そして靖国神社に関しても、文献や資料、政府の公式見解などを基に、非常に明快に加藤さんなりの解説を加え、日本会議やその系譜に連なる言論人が主張する見解に対して異を唱えています。現在でも大変参考になるものと思います。

学者の論文とは一味違った政治家の書いた文章という意味で(もっとも、加藤さん自身ハーバード大学で東アジア地区の地域学研究で修士号を取得していらっしゃるようですが)大変興味深く拝読いたしました。政治家の書いた本は何だかんだ言って選挙向けの広告みたいなものが多いのですが、本書は間違いなく面白く読める一冊でした。皆様も是非ご一読を。

 

 

菅野 完日本会議の研究』扶桑社新書

前出加藤さんの本にも『日本会議の名は登場しました。ではありますが、日本会議とは何か、については今一つ詳らかではありませんでした。そんな中昨年出版されたのが菅野さんの『日本会議の研究』でした。が、「東京地裁より「一部記述を削除しない限り、販売してはならない」との販売禁止仮処分命令」を受けました。ということで修正版の本書では一部が黒塗りになっています。黒塗りなんかされると余計見たくなっちゃいますよねえ。なんて書いてあったんでしょうか。読みたいなあ。

日本会議が何をやっているかというと、「天皇陛下の行幸啓で降られる日の丸の小旗を配る」なんてことをやっているんだそうです。ま、小旗はともかく、日本会議やその母体でありほぼ同一団体である日本青年協議会というものがあるのだそうですが、大学生時代に勧誘されてすぐに脱退した方のインタビューが載っていました。勉強会などをやっているのだそうですが、「情念ばかりで論理性のない輪読会」みたいなのが特徴だったそうです。確かに、論理もへったくれもなく、あれはこうでなくてはいけない、なんて思い込みだけで主張する輩が沢山いますね。誰がとは言いませんが。

本書でも話題になっている改憲ですが、先ごろ安倍首相は自由民主党の党首として2020年の改正憲法施行を口にされました。でも、日本会議などの最終目的は「明治憲法復元」にあるとも書かれています。そうなっちゃうんでしょうか。

もし日本会議が天下を取るようなことがあれば焚書されてしまうであろう本書。皆様も是非ご一読を。

 

 

春名 幹夫仮面の日米同盟 米外交機密文書が明かす真実』文春新書

春名さんが本書で訴えていることは、在日米軍は「日本を防衛するために日本に駐留しているわけではなく、韓国、台湾、および東南アジアの戦略的防衛のために駐留している」ということです。それが良いか悪いかではなく、そういうものであると訴えているわけです。で、その上で日本国政府にどのような安全保障を求めるかは日本国民が決めることである、ということです。

その根拠として、2015427日に日米安全保障協議委員会で合意された「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」というものの中の条文が挙げられています。

The Self-Defense Forces will have primary responsibility for conducting...operations....to defend Japan.」というものです。日本語の訳として、「自衛隊は、日本を防衛するため…作戦を主体的に実施する」というものが当てられているそうですが、普通に訳せば、日本の防衛には自衛隊が一義的な責任を負う、というような文章になるかとは思います。ではありますが、現在の訳文だって意味が全く違う、というほどの誤訳ではありません。それにもかかわらず、未だに“片務的な日米安保条約で日本は守られている”といった誤解があるように思えます。先般の集団的自衛権をめぐる安倍首相の説明も(日本が攻撃され、アメリカ人の若者が血を流しているときに日本は何もしなくていいのかとかなんとかってやつ)、あるいは先般就任したトランプ大統領の演説(日本が攻撃されたらアメリカは日本を守りに行かなくちゃいけないのに、アメリカが攻撃されても日本は何の義務も負わないとかなんとかってやつ)も、このガイドラインからすると違うってことになりますよねえ。どうなっているんでしょうか。

ということではありますが、本書が出版されたのは2015年、オバマ政権時代です。オバマさんは弁護士出身ですから日本をあからさまに恫喝したりしませんでしたが、現在の米国はトランプ政権です。アメリカ・ファーストなんて臆面もなく言ってのける政権です。今までのアメリカの全政権だってアメリカ・ファーストではあったのですが、一応表立っては言いませんでした。裏でなんて言っていたかは想像がつきますが。歴代のアメリカ政府・大統領がどんな態度で日本との交渉に臨んでいたか、なんてことも本書には触れられています。

トランプ政権に限らず、歴代のアメリカの政権というのはアメリカ・ファーストであったのですが、日本国政府・国民は、そこら辺は知らなかったのか、無視してきたのか、あるいは都合よく解釈したのか、とにかくアメリカは日本を守ってくれると信じてきたわけです。が、日本の安全保障をめぐる周辺状況は大きく変わってきています。日本人として、そこら辺の事情は事情として理解したうえで日本の安全保障を考えなくてはいけない時期なのです。大いに考え、大いに議論しようではありませんか。

 

 

末浪 靖司機密解禁文書にみる日米同盟 アメリカ国立公文書館からの報告』高文研

本書評でもたびたび現在の日本とアメリカの異常な関係について言及してきました。本書は、なぜそのような状態、平たく言ってしまうと「日本はなぜアメリカの植民地のままなのか」をアメリカ政府が公開している文書をもとに読み解いていく、というものです。それにしても、アメリカって結構きわどいことがかかれている文書を外国人にまで公開しているんですねえ。日本国政府なんてついこの間まであったはずの文書だって保存期間が過ぎたから破棄しました、なんて平然と言ってますけどねえ。

昨今、忖度という言葉が流行っていますが、日米間でも忖度は働いているようです。「主権国として到底受け入れられない要求を米側からつきつけられると、それを日本の方から提案して、あたかも日本側の要求でそうなったかのように装うことは、その後の日米交渉でもしばしば出てきます」ですって。世界中の政府が自国ファーストを貫こうとしているのに、日本だけはアメリカ・ファーストなんですねえ。

歴史的にはアメリカ軍が主体となって日本を占領した訳ですが、どうもアメリカ軍の世界戦略にとって大変使い勝手が良かったようです。国際法上の占領は終了したことにはなっていますが、アメリカ軍は一度手に入れた利権を手放す気は全くなかったようです。同じように占領されたドイツでは、東側はソ連、西側はアメリカ軍とともにイギリスやフランスの軍隊も駐留しました。日本にもアメリカ以外の連合国の軍隊も居るには居たのですが、大変少数。ここら辺がドイツと日本でその後の展開が大きく異なる要因になったみたいです。

で、アメリカ軍はあれこれと日本国政府に法律を作らせてみたり、秘密協定を結んでみたりして、都合よく居座れるようにしたみたいです。そのひとつの現れがかの有名な最高裁砂川判決になるわけです。「駐留米軍は憲法が保持しないと定める戦力ではない」「日本政府は米軍に対する指揮権、管理権をもっていない」というものです。「米軍は憲法も法令もおかまいなしに何をやっても、日本政府は取り締まらず、野放しにしています。それどころか、日本国民の税金をつぎ込んで、アメリカの要求するままに、それを支えて」いるのです。これが現在の日本国政府の本当の姿だ、ということです。これ、ドイツでは大きく違っているみたいですよ、ご存知でした?日本は植民地、もしくは傀儡国家、ってことですか。

私には傀儡国家が美しいとは思えないのですが、皆さんどう思われますか。

 

 

201710

適菜 収安倍でもわかる政治思想入門KKベストセラーズ

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

安倍でもわかる政治思想入門 [ 適菜収 ]
価格:1404円(税込、送料無料) (2017/8/24時点)

とても安倍政権を支持しているとは思えない題名ですね。安倍政権とメディアとの関係を称して「飴と鞭というより、安倍と無知」ですって。全編こんな感じで安倍政権(というか安倍首相個人)をボロクソにこき下ろしています。こんな本、出版して大丈夫なのかなんて思ってしまいます。でも、こんな本ではありますがが出版はできたんですし、未だに発禁になってないってことは、日本はまだどっかの国みたいにはないってことでしょうかね。

本書を読んでどう思うかはあなた次第。適菜さんは言っています。「愚鈍は犯罪である」私たちも本書を読んで、少しはモノを考えるようにしたいものです。ま、読んで面白かったことは確かですよ。

 

 

堀之内 進之介感情で釣られる人々 なぜ理性は負け続けるのか 』集英社新書

堀之内さんは政治社会学者で、現代位相研究所の首席研究員だそうですが、この現代位相研究所って堀之内さんが副社長を務めているモダンフェイズ・システムズ株式会社(訳すと現代位相システムズってことですね)が作った研究所みたいです。

本書には、感情と理性の関係について、面白い例えが引用されていました。「彼は理性と感情を「象の乗り手」と「象」に例える。乗り手(=理性)は像(=感情)にアドバイスできても、引っ張っていくことはできない」というものです。なるほどねえ。分かったつもりでも、実際の行動には移さない(移せない)ですからねえ。

ですので、現代のマーケティング(商品販売に限らず政治とかでも)においては感情に訴えることが重視されるのです。

その結果としてアメリカにはトランプ政権が樹立され、西ヨーロッパでは極右勢力の伸長が話題になっています。お隣韓国では朴政権の問題が国民の怒りに火をつけてしまい弾劾されました。そして日本でも……。そんな現状を堀之内さんが分析していきます。

本書は「感情で釣られる人々」のことをバカだねーとかってバカにする本ではありません。そうではなく、人間とはとかく感情に釣られるものであるから、そうならないためにどうすれば良いのか、なんてことのヒントを考察したものです。もしかしたら、面白い発見があるかもしれませんよ。

 

 

浜 矩子『どアホノミクスへ 最後の通告』毎日新聞出版

本書は以前ご紹介した『さらばアホノミクス 危機の真相の続編です。

前書では視野狭窄に陥っているアベノミクスに対する警鐘を鳴らしていましたが、本書ではより大きなグローバル経済に忍び寄る「漸進死現象」に対して警鐘を発しているようです。経済現象としての恐慌であれば、その後の経済回復が見込めますが、現在の世界的な状況は、単にアホノミクスを採用している日本だけがどうのこうの、という訳ではなく、全世界的なグローバリズムの突然死みたいなものに突入しかかっているんではないか、という疑念を浜さんは持っているようです。

ところで、本書では「イギリスのEUへの惜別の辞」が書かれていますが、先ごろ、イギリスでは今一度EU離脱の方向性を巡って総選挙が行われることになりました。どうなるんでしょうか。大変注目されます。

 

 

高 信、浜 矩子大メディアの報道では絶対にわからない どアホノミクスの正体』講談社+α新書

「まず、感嘆したのは浜さんの言葉のセンスである。その正体を見抜いているから、「アベノミクス」をズバリ、「アホノミクス」と切り捨てる」

「アベノミクスは、およそ「政策」の体をなしていないもので、経済政策とすることすら問題があると、浜さんは指摘し、アホノミクスと名付けることさえ過大評価だったと考えざるを得ないと続ける。そして「どアホノミクス」だと断罪するのである」

本書は佐高さんと浜さんの対談をまとめたものですが、政権大批判一色。

本書をどう評価するかは読んだ方の自由です。私は大変面白く読了いたしました。

 

 

20179

 イモン・シン エツァート・エルンスト 青木薫訳『代替医療解剖』新潮文庫

本書における代替医療とは、「現代の科学によっては理解できないメカニズムで効果を現すと考えられる治療法で、科学者や多くの医師が受け入れていないもの」のことだそうです。私たちが良く知っており、本書でも取り上げられているのは鍼、ホメオパシー、カイロプラクティックなどがあります。本書はこれら(を含めて多く)の代替医療についてその医療効果を科学的に検証しています。

医療は昔からまじないとか呪術とのかかわりが深く、科学としてとらえられてのは意外と最近のようです。科学的根拠にもとづいた医療という考え方は18世紀ごろからあったにはあったらしいのですが、「《科学的根拠にもとづく医療》という言葉自体が生まれたのはようやく1992年のこと」だったんだそうです。思いっ切り最近ですよね。確かに、怪しげな優生学とかに基いた医療って、実はつい最近まで行われていたんです。大体、本書によれば1850年代の医療ってのは、「医療の歴史を調べている人たちは、当時、通常医療を受けるぐらいなら、いっそ何もしないほうが患者にとっては良かったのではないかと考えている」レベルだったんだそうです。

だからと言って、「科学的根拠にもとづく医療」が絶対だという訳ではありません。いつだって、より良い、今までとは異なる医療が生まれる、あるいはいったんは誤りであるとされた医療が再評価されることだってありえます。「もしも新しい根拠が得られれば、ただちにそれを考慮に入れ、以前の結論を見直すという点は指摘しておかなければならない」としています。オレは科学的でないものは信じないんだ、なんて言って科学的というおまじないを信じ込んでいる人って結構いますもんねえ。

また、これは個人的な印象ですが、お医者さんたちに限らず、統計学ってのは今ひとつきちんと理解していないような気がします。かなり大雑把、あるいは恣意的な統計の利用って結構行われているような気がします。ここら辺は以前『統計学が最強の学問であるでもご紹介したところです。本書ではかの有名なナイチンゲールが「イギリスの体制派から事実関係を疑問視されたとき、衛生状態の改善によって生存率が向上したという自らの主張を裏付けるために、数学で身に付けていた力を発揮して、社会統計学を利用した」ことが本書で挙げられています。やるもんですねえ。

ところで、本書では私も好きでよく治療してもらっている鍼についても、大々的なテストによって、プラセボ効果を上回る効果は証明されていないとバッサリと断罪されています。あらら。でも、日本では保険適用可能なんですよ。どうするんでしょうか。難しいもんですねえ。

本書には、「かつて医師がまとっていたマント――教師然として、家父長主義的で、神秘化して煙に巻く権威の象徴としての衣鉢――は、すでに代替療法セラピストの手に渡った」と書かれていますが、日本のお医者さんは未だにそんなマントをまとっているかに思えますが、どうなんでしょうか。

高額な代替療法を試してみる前にご一読を。

 

 

東田 勉親の介護をする前に読む本』講談社新書

「日本人の平均寿命は2015年に女性87.05歳、男性80.79歳となり、ともに過去最高を記録しました」しかし、「制限なく健康な日常生活を送ることができる期間を示す健康寿命は、女性74.21歳、男性71.19歳(2013年)」なんだそうです。平均寿命と健康寿命の差が何を意味するのかというと、ずばり“介護期間”になります。意外と長くはありませんか?

「本書は、介護が始まると遭遇するあらゆる問題を取り上げました」と書いてあります。私自身、介護に近いことを経験しましたが、これが最後ではないでしょう。それだけではなく、私自身が介護を受ける側になる時期も、そう遠くはないでしょう。皆様もぜひご一読を。

 

 

安藤 寿康『遺伝子の不都合な真実』ちくま新書

本書の冒頭に、「本書は、現代人がもつ「不都合な真実」のひとつ、「人間の能力や性格など、心のはたらきと行動のあらゆる側面が遺伝子の影響を受けている」という事実を明らかにします」と書かれています。

以前ご紹介した言ってはいけない』でも取り上げられていましたが、私たちの能力や才能が遺伝に左右されることは間違いありません。それが“不都合な真実”とされていたのは、やはり過去の優生学にまつわる不幸な歴史に原因があることは間違いないでしょう。

先日もアスリートの為末大さんが「アスリートもまずその体に生まれるのが99」と発信して物議をかもしました。私も努力さえすれば何でもできるってのはファンタジーだと思いますがいかがでしょうか。

ではありますが、安藤さんが問題視しているのは、優生学にまつわるタブーを避けようとするあまりイデオロギー的な議論に陥り、行動遺伝学などの研究の際に必要な論理的思考までもがゆがめられてしまっているのではないか、という点にあるようです。

本書の副題は「すべての能力は遺伝である」というものですが、これについて安藤さんは決して「能力はすべて遺伝である」という意味ではないと語っておられます。ここら辺をごっちゃにしてしまうと、元の木阿弥になってしまいます。

 

 

松崎 一葉クラッシャー上司 平気で部下を追い詰める人たちPHP新書

松崎さんの肩書は、筑波大学医学医療系産業精神医学・宇宙医学グループ教授だそうです。一般的なお医者さんというよりは、会社とか宇宙船の中といった閉鎖空間での人間のふるまいの適正化を医学しているお医者さんといった感じでしょうか。

のっけから、某“大手広告代理店”から、心を病む社員が続出しているので抜本的解決策を考えてほしいと招かれたところ、ある常務から「俺はね、五人潰して役員になったんだよ」、「先生方にメンタルヘルスがどうの、ワークライフバランスがどうのなんてやられると、うちの競争力が落ちるんだ」と言われたそうです。大手広告代理店って“あの会社”のことか?????

ま、典型的な「クラッシャー上司」なんでしょう。私の場合はコンプライアンスが専門でしたが、大筋似たようなことを言われた経験があります。コンプライアンスなんか守ってると、業績が落ちるって。

クラッシャー上司の定義とは、「部下を精神的に潰しながら、どんどん出世していく人」なんだそうです。いそうですよね、そういう人。本書「クラッシャー上司」の精神構造として「パーソナリティ障害」あるいは「発達障害」などが挙げられるとしていますが、本書評でも何度か採り上げている「サイコパス」なんて言葉も浮かんできますね。

ところで、松崎さんは「クラッシャー上司」は日本特有の現象であるとしていますが、どうなんでしょうか。私の経験からは日本人でなくてもいるような気がします。労働流動性が高ければ、部下は潰される前に辞めちゃうのでしょうからさほど問題にならないのかもしれませんが。

ただ、松崎さんは明るい展望も見せてくれています。「一部の企業は、すでにクラッシャー対策を立てようとしている」「本気でクラッシャー問題に取り組もうとしている企業には、ひとつの共通項がある。単なるキャッチフレーズで口にするのではなく、本当に「イノベーションを起こす」必要性にせまられている企業だ」としています。必要性に迫られないと何もしないのもどうかとは思いますが、今現在でも何も考えていない企業だってあるんですから、それよりはましでしょう。そんな企業に対して松崎さんはクラッシャー上司に対して部下たちはどのように対処したらよいのかを具体的に死増しています。さらには松崎さんが開発したクラッシャー上司に対する是正プログラム、その名も「クラッシャー対策プログラム」を紹介しています。これは企業側の(そして本人の)承認がないと使えませんが、相当強烈な、地獄の特訓みたいなやつらしいです。

クラッシャー上司に出会ったら、そしてあなた自身がクラッシャー上司になりそうだと思ったら、是非ご一読を。

 

 

20178

古荘 純一発達障害とはなにか 誤解をとく』朝日新聞出版

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

発達障害とはなにか 誤解をとく (朝日選書) [ 古荘純一 ]
価格:1620円(税込、送料無料) (2017/6/24時点)

古庄さんは青山学院大学教育人間科学部の教授ですが、れっきとした小児科、小児精神科のお医者さんでもあるようです。「臨床現場で一貫して、神経発達に問題のある子ども、不適応を抱えた子供の診察をおこって」きた方だそうです。

最近は多くの著名人が自らが発達障害であると公表するようになりました。発達障害が一般人にも知られるようになったことはそれはそれで意味のあることでしょうが、古荘さんによればそれらの方々が典型的な発達障害という訳ではなく、一般的には誤解を招きかねないと古荘さんは懸念しているようです。また、ネットなどで検索すると、あまりにも多くの自称専門家がトンデモ説を唱えていたり、自分でネット情報を調べただけの自称当事者がカウンセリングを行っていたり、という例が見受けられると懸念しています。で、本書を書いた、と。

ということで、「発達障害とは何か」は本書をお読みいただきたいと思います。

本書で強調していることのひとつに、「発達障害はスペクトラム(連続体)である」ということがあります。以前ですと、正常な人間と発達障害のある人間の間には深ーい谷があって、完全に区別がつけられると思っている方が多かったと思いますが、実は正常な人間と発達障害のある人間の間には白っぽいグレーから黒っぽいグレーまでの幅広いグレーゾーンがあると認識されるようになった、ということです。大なり小なりグレー。きっぱりと区別なんてできませんよ、ということです。グレーゾーンというと一次元的な広がりと捉えてしまうかもしれませんが、本書では三次元的なスペクトラムとしてとらえる方法も紹介されています。

あと、発達障害の一つであるADHD(注意欠陥多動性障害)などに関しては親のしつけが悪かったんだとか、愛情が足りなかったんだ、なんてアホな批判を声高に主張する向きもいらっしゃいますが、古荘さんは(というか精神医学界は)明確に否定しています。ただし、精神医学というものは現在でも確定したガチガチの学問体系というよりはダイナミックに進歩している学問のようですので、「今のところ」と付けておいた方が無難かもしれません。本書でも最後の方で発達障害に関連した用語(英語でも日本語でも)の変遷がつづられています。

発達障害という言葉はマスコミなどでもよく目にするようになりましたが、必ずしも深く理解して使っているわけでもないと思います。本書はそんな発達障害を理解するための一助になるものと思います。

 

 

中野 信子サイコパス 』文春新書

羊たちの沈黙』のレクター博士の登場によりサイコパスなんて単語もよく目にするようになりましたが、「今日の精神医学において世界標準とされている『精神障害の診断と統計マニュアル』の最新版(DSM5)には、サイコパスという記述がありません」、なんだそうです。精神医学界では「反社会性パーソナリティ障害」というんだそうです。

最近の環境汚染によりサイコパスが増えた、なんてことは全くないようですので、昔からサイコパスはいたんでしょう。ただ、中野さんはサイコパスにも二種類いるんではないのか、としています。それは、「「捕まりにくいサイコパス」(成功したサイコパス、勝ち組サイコパス)と「捕まりやすいサイコパス」(成功していないサイコパス、負け組サイコパス)」がいるのではないか、としています。

本書では「勝ち組サイコパス」として、ジョン・F・ケネディやビル・クリントンらの歴代アメリカ大統領や、何とマザー・テレサなどもそうだったんじゃないの、と紹介しています。マザー・テレサとは意外ですね。

ところで、レクター博士などのイメージからサイコパスの知能は高いのではないか、なんて思ってしまいますが、中野さんによれば、特にそのような傾向はなく、頭の良いサイコパスも頭の悪いサイコパスもいるんだそうです。でも、「捕まりにくいサイコパス」の知能は高そうですよね。ただし、サイコパスの持つプレゼンテーション能力の高さ(必ずしも中身が伴っているとは限りません)、あるいは相手の心理を巧みに操る能力などはビジネスの場における出世競争には大いに役に立ちそうです。その結果として「出世した人間にはサイコパスが多い」ということになるようです。

それだけではなく、現代の資本主義における企業(法人)の目的とは利益(株主価値)の最大化にあります。で、企業は経済的合理性に基いて行動します。良心もへったくれもありませんので、あらゆる手段を使って利益の最大化を図ります。従業員をこき使おうが、顧客を騙そうが、バレて叩かれなきゃ良いんです。これって、「捕まりにくいサイコパス」の特徴と重なります。そのような企業においてサイコパス的な人間が出世するってのは、ある意味うなづけるものがありますよね。

サイコパスには男性が多いと言われていますが、女性がいない訳ではないようです。「現代に生きるサイコパス」という章で女性のサイコパスの詳しい分析をしています。なるほど、私のようなオタク気質の男性がコロッと騙されそうな「オタサーの姫、サークルクラッシャー」が紹介されています。あと、後妻業の女なんかもサイコパスじゃないかって書いてありました。怖っ。

本書の最後の方に気になることがかかれていました。ある人物の嘘が明らかになり、サイコパスじゃないかなんて言われても信じ続ける人間がいます。「実は、人間の脳は「信じる方が気持ちいい」」のだそうです。「人間の脳は、自分で判断をおこなうことが負担で、それを苦痛に感じるという特徴を持っています。これは認知負荷と呼ばれるものです」なのだそうです。自分で判断せず、他人の判断を鵜呑みにして従っている方が簡単だし楽だ、ということです。それが人間の特性だ、と言われてしまっては言い返しようがありませんが、私は是非自分の頭で考える生き方をしたいと思います。エッ、それってサイコパスってこと?

 

 

栗原 類発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由 KADOKAWA

現在モデルやタレントとして活躍している栗原さんは、自身が発達障害のひとつであるADD(注意欠陥障害)であることを告白し話題になりました。確かに栗原さんはモデルとして活躍できる容姿に恵まれていたことは事実ですが、「ADDの特徴である、衝動性やコミュニケーション障害を克服」してこれた裏には、「早期の診断や、母の教育方針、主治医との出会い、葛藤を通じて僕自身が学んだこと」など、様々な要因があったようです。そんな栗原さんが自身のこれまでの歩みを振り返った本です。

なんで栗原さんが「輝ける場所を見つけられた」のかは本書をお読みいただきたいと思いますが、栗原さんが本書を書いた最大の理由は、日本ではまだまだ発達障害であることを告白し、それを受け入れてくれる社会にはなっていないからでしょう。栗原さんもADDであると告白した後、多くの方から「告白してありがとう」というメッセージをいただいた、と書いています。日本は同調圧力の強い社会ですので、他とちょっとでも違うとのけ者にしてしまう雰囲気があります。最近一段と雰囲気が悪くなってきている気がします。

栗原さんは自分自身の経験を振り返りながら、ADDの自分でもどのようにすれば「できること」の範囲を広げていけるかを示しています。発達障害の症状や程度は千差万別ですから、栗原さんの方法が万人に使える、という訳ではないでしょうが、少なくとも発達障害の人間は何をやっても変わらないのだから努力するだけ無駄だということはないのだ、ということは分かると思います。そして、栗原さんの場合には本人がそのように考えるように周囲が上手に導いていった結果のようです。

「現在日本では、小中学生の約6.5%が発達障害であるとわかって」いるそうです。自分は発達障害ではないから関係ない、と思っておられるかもしれませんが、発達障害の個別的な障害のひとつひとつは程度の差こそあれ誰でも持っているような問題なのです。栗原さんは興味があることは覚えられるけど、勉強とかになると全く覚えられなくなるとか、字が汚いのでPCとかタブレットを使うようにしていると書いていますが、それって私と同じじゃあありませんか。発達障害だけではなく、どのように自分のできること、できないことと向き合って人生を過ごしていくか考えさせてくれる一冊でした。

 

 

天咲 心良COCORA 自閉症を生きた少女 1 小学校 篇』講談社

本書は天咲さんの個人的経験を基にした自伝的小説だそうです。天咲さんの本名その他は明らかにされていませんが、本書の作者略歴には昭和の生まれとなっていますので、上にご紹介した栗原さんよりだいぶ年上で、しかも発達障害に対する理解も深くなかった(というか、知らなかった)日本で育ちましたので、『壮絶な体験』を強いられたようです。

本書の主人公の心良(本書は一応小説です)は大人になってから「高機能広汎性発達障害」(現在では自閉症スペクトラム障害(ASD)と呼ぶようです)と診断されました。それにまつわるエピソードは本書をお読みいただきたいと思いますが、本書の最初の方、ここらが生まれたあたりのエピソードとして、二人続けて女の子だったことから父親が出生を全く喜んでくれなかったとか、父方の祖母が自分の息子に似た姉だけをかわいがり、母親似の主人公は「汚らしい顔」だと言って全くかわいがらなかった、なんて心が冷え冷えとするエピソードが出てきます。発達障害云々とは全く関係がありませんが、これ、今でも実際によく見聞きするエピソードです。こんなことで差別される世の中ですから、発達障害を抱えた成長後の心良の苦労がしのばれます。

実は私、今月の書評の順番の通りに読み進めてきましたので、本書の心良が嫌がっている意味がなんとなく分かりましたが(本書には丁寧な解説も付いています)、知らないまま心良と出会っていたら、単なるわがままな子だと思ったのではないでしょうか。本書にも、知恵遅れ(知的障害)を疑われ、テストを受けさせられた場面が出てきます。知的障害はないと判定されたようなのですが、恐らくそれなりの専門機関に受診したにもかかわらず、その他の障害があるとの診断はなさ れなかったようです。私たちの人生には自分ではどうすることも出来ない運不運があるようです。その当時の理解はそんなものだったんだ、ということかもしれませんが、やはりやりきれなさを感じます。

 

 

天咲 心良COCORA 自閉症を生きた少女 2 思春期 篇』講談社

小学校の間も『壮絶な体験』を強いられた心良ですが、なぜか中学校から留学することになってしまいました。

心良の両親としては、発達障害といった診断があったわけでもなく、教室ではじっとしてはいられなかったものの本は大好きで様々なことを知っている心良を単に日本の環境にはなじめない子、と判断していたのかもしれません。でも、言葉も分からない国に送り出すには相当の覚悟が必要だと思うんですがねえ。英語の家庭教師にも、厄介払いしたいんじゃないのか、なんて言われたみたいです。英語の家庭教師の国では「問題ばかり起こし家族から爪はじきにされた挙句、お金だけはあるからと自国ほど好き勝手にはできない、異国の地という監獄へ送り込まれる留学生が、後を絶たなかった」のだそうです。んー、波乱の予感がします。

ではありますが、意外にも暖かいホストファミリーに恵まれ、幸せな生活が始まったかに思えましたが、心良は思春期。それまでとは違った葛藤に出会うことになります。実は私も短期留学の女の子を家で預かったことがあるのですが、ここまでちゃんと心を込めてお世話できたのかなあ、と今更ながらに反省させられました。

前書と本書で小学校から思春期をカバーしたのですが、実は本書は三部作の予定で、この後青年期編が続くことになっています。読んでいて、決して楽しいとかハッピーになれる、というものではない本書ではありますが、実に魅力的で引きこまれるものがあります。早く青年期篇を読んでみたいものです。

 

 

20177

李 東雷 監修笹川陽平、解説牧野田亨『中日対話か?対抗か?』日本僑報社

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

中日対話か?対抗か? [ 李東雷 ]
価格:1620円(税込、送料無料) (2017/5/25時点)

著者の李さんは中国国防省で「アジア太平洋安全保障の実務と研究」に携わってきた元中佐なんだそうです。米国や英国にも留学経験があり、訪日経験もあるのだそうです。そんな李さんが「老兵東雷」というハンドルネームでアップしたブログ「現代社会を妖魔化した対日外交は失敗」の翻訳だそうです。李さんは「本書に収めた文章はすべて中国のネット上で発表し、大きな反響を呼んだ」、「日本に関する私の文章が中国のネット上で制限されたり、遮断されたり、削除されたことはない」と書いています。

李さんは「経済の相互依存が緊密化したグローバル時代は、ともに小舎となり、ともに反映することこそが国際関係の目標であり、中日関係の根本的な利益に合致する」と書いています。教条的、イデオロギー的な考え方はやめて、現実的に考えよう、ということでしょう。

昨今、中国はもちろんのことですが、日本やアメリカ、そしてヨーロッパでもむき出しの自国中心主義がまかり通るようになってきました。世の中には自分とは異なる見解を持つ人々がいることにもう少し寛容になりたいものです。日本でも中国を「妖魔化」するがごとき議論も聞かれます。相手に求めるなら、隗より始めよ、でしょうか。

 

 

熊谷 奈緒子慰安婦問題』ちくま新書

先ごろ、いわゆる慰安婦問題を一つの契機として駐韓大使の一時帰国という措置が取られた日韓関係ですが、一時帰国のはずが大使は日本に留まったままで、日韓関係は一向に改善する気配を見せていません。というか、一昔前より悪化しているのではないでしょうか。

そんな現状に対し、熊谷さんは「真の和解を目指して、日本がなすべきこと、責任を果たしていくべきことを提示する。慰安婦問題を、主観的かつ表層的、一面的に捉えることなく、客観的かつ多面的に理解することを目指していきたい」ということで本書が書かれたようです。

ただし、本書は文部科学省の科学研究費の助成を受けた研究の成果だそうですので、日本国政府の公式見解とは大幅に異なった見方をしているわけではないことは当然でしょう。とは言え、ネットを検索してみると、熊谷さんは右派からも左派からも叩かれています。ってことは結構中道的だってことなんでしょうか。熊谷さんは政治学で博士号を取得した方ですので、学術的には問題のない書き方をしていらっしゃると私は思います。

こうした学術的態度が良くも悪くも本書の特徴となっています。熊谷さんはある特定の立場に立って明快にああすれば良い、ここが悪い、と一刀両断にしているわけではありません。ですから、左右両派から受けが悪いのでしょう。ではありますが、様々な立場の意見がコンパクトにまとめられていますので、オレの意見はこうだ、と主張する前に一読してみるのはいかがでしょうか。あ、こんなこともしてたんだ、なんて情報が見つかるかもしれませんよ。

 

 

有馬 哲夫歴史問題の正解』新潮新書

有馬さんは早稲田大学社会科学部・大学院社会科学研究科の教授です。以前日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』でご紹介したように、戦中戦後日本の歴史をアメリカ国立公文書記録管理局などから発掘した資料を基に再検討するような研究を続けている方です。

「日本は無条件降伏をしていない」

「真珠湾攻撃は騙し討ちではない」

「ヤルタ会議は戦後秩序を作らなかった」

などの主張をしていますので、ゴリゴリの右翼なのかと思いましたが、そうではないようです。

「中国や韓国やロシアの反日プロパガンダは根拠を示さない。言いっぱなしだ。それを示せば、嘘であるか、論理が破綻していることが露見するからだ。これらのプロパガンダに対抗するためにするべきことは、歴史的資料に基づき根拠を示すことだ。決して、相手をとりあえず欺いておくために、でっち上げをしたり、都合の悪いことを隠したりすることではない」ということを示すために本書が書かれたようです。巻末にはそれを示す参考文献がずらっと並んでいます。議論ってのはこうでなくてはいけませんよね。どうも最近は偏狭なイデオロギーに基いた罵り合いばっかりで辟易としていますからね。

史料がずらりと並べてあるからといって、有馬さんの解釈だけが正しいという訳でもないでしょう。私も國體護持に関する有馬さんの解釈には素直に頷けないものがあります。ではありますが、それは私たちが個人として判断すべきことでしょう。判断をするためにはまず基本的な知識を得てから。皆様も是非ご一読を。

 

 

清水 潔「南京事件」を調査せよ』文藝春秋

清水さんは日本テレビの報道記者・解説委員です。「雑誌記者時代から事件。事故を中心に調査報道を展開。著書に『桶川ストーカー殺人事件 遺言』、『殺人犯はそこにいるー隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件ー』などがある」方です。紹介された著作は事件の真相が明るみに出るとともに大きな話題となりましたので、ご存じの方も多く居られるかもしれません。

そんな清水さんがギャラクシー賞などを数々の賞を受賞したテレビ・ドキュメンタリー番組『南京事件 兵士たちの遺言』を制作するにあたって調査した内容を基に改めて著作にしたものです。

南京事件については前出の有馬さんも取り上げています。清水さんの結論は有馬さんのものとはいささか異なっているように思います。本書にも述べられているように、本書は「“一部の人たち”から拒絶」されているようです。どちらを信じるかはあなた次第。是非読み比べてみてください。

 

 

20176

國重 惇史住友銀行秘史』講談社

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

住友銀行秘史 [ 國重 惇史 ]
価格:1944円(税込、送料無料) (2017/4/25時点)

國重さんは1968年住友銀行に入行後、長らくMOF担を務め、1994年には同期トップで取締役になられた方です。銀行に勤めるサラリーマンの中ではエリートの中のエリートですね。國重さん、思いっ切り自慢しています。國重さんは戦後最大の経済事件とも言われるイトマン事件のころ住友銀行の中枢にあって事件を深く知り、大蔵省とマスコミに告発状を送った当事者なんだそうです。

実は私はこの事件発覚の少し前まで、ある邦銀(住友銀行ではありません)に勤めておりましたので、銀行の内部事情を全く知らない訳ではありません。ま、本書にもクドクドと書いてありますが、銀行員にとっては出世(というか席次)がすべて。時あたかもバブル真っ盛りの時代でしたし。本書に出てくるエピソードに似ていますが、住友銀行の行員は業務日誌を自転車をこぎながら書いている、なんて話が、肯定的なニュアンスで語られていました。今の私だったら、「そんなことやってられっか」って言えますけど、当時は感心して聞いていたような気がします。いやあ、すごい時代でしたね。私は邦銀をたった6年で辞めちゃいましたからそれ以上は知りませんけど。

基本的には半沢直樹風なお話なわけですが、現実の世界を描いた本書ではイイモンとワルモンの区別がうまくつきません。どちらかというとワルモンばっか。本書を読んでの私の感想は、こんな修羅場に居合わせなくて良かった、の一言に尽きます。まあ、私はここに名前が出てくる方々ほどの偉くはなれそうにありませんから関係ないかもしれませんがね。

 

 

永野 健二バブル』新潮社

戦後の日本経済の大きな転換点がバブルとその崩壊にありました。それ以前は高度成長期でしたが、バブル崩壊後は永らくデフレに苦しむ、「失われた20年」になりました。バブル崩壊後20年以上経っている今現在でもまだ終わってないような気もしますが。そんなバブルの時代を、永野さんは1970年代の三光汽船によるジャパンライン買収事件から時代を追って解き明かして行きます。

これがどのような事件であったかは本書をお読みいただきたいと思いますが、簡単に言ってしまえば戦後の復興期を支えた官庁を中心とした護送船団方式に異を唱えた企業があった、ということです。なぜそんなことができたのでしょうか。細かい問題はいくつもあったのでしょうが、煎じ詰めると護送船団方式が通用しない時代になった、ということでしょう。が、日本はその後も後生大事に護送船団方式を護って行きます。で、破綻した、と。

本書評でも何度も取り上げてきた「失敗の本質というか、「日本的な空気」が第二の敗戦をもたらしたんだなあ、ということが今更ながらに分かりました。その時の日本のトップが情けなかったのか、日本人的なものがいけなかったのか、それとも失敗ってのはいつでもこんなもんなのか、色々考えさせられました。

永野さんが本書を出版した理由の一つに、またもやバブルが起き、はじけそうだ、という危機感があるのだと思います。はてさて、今回はどのような経緯をたどるのでしょうか。皆様も是非ご一読を。

 

 

ミカ・ゼンコ 関美和訳『レッドチーム思考』文藝春秋

自分自身で自分自身が作った計画や予測を第三者的な視点から検証するにはかなりの困難が付きまといます。何しろインサイダーの自分が、手間も暇もかけてこれがベストだと思って作ったんですからね。これは組織として何かを決断しなくてはならない場合にも当てはまります。これは「追認バイアス」と呼ばれるそうです。その他、偉い人の言うことにはとりあえず賛成しておく、なんていう「組織バイアス」もあります。

このようなバイアスを相殺するために考案されたのがレッドチームです。もともとはカトリック教会内に設けられた「列聖調査審査官」(別名「悪魔の代弁者」)に由来するそうです。昔々の聖人認定なんてのはかなりいい加減で、仏陀(ゴータマ・シッタルダ)の事績を適当に編纂してキリスト教の聖人にしちゃった、なんて例まであったと読んだことがあります。聖人のインフレ状態になるとありがたみも無くなってしまいますので、聖列に際してはその事績を「悪魔の代弁者」に徹底的に反論させ、それを論破した後でなくては聖人認定をしない、ってことにしたみたいです。

これに倣って冷戦時代のアメリカ軍でレッドチームの考え方が形成されていったのだそうです。最近の活用例として本書に挙げられているのがブッシュ(子)政権時代、イスラエルからシリア空爆への参加を求められた際のレッドチームです。なんでこんなものを使う気になったのか、というと、やはり「大量破壊兵器がある」なんて言ってイラクに侵攻したものの、大量兵器の痕跡も見つからなくって、思いっ切り恥をかいたから、みたいです。誰かが何か言うと「そーだそーだ」なんて言うだけの幇間ばかりではダメだ、ということでしょう。でも、ブッシュ元大統領がそんなものを作らせたのだとしたら、意外とヤルじゃないですか。

というような経緯ですので、「レッドチーム」を設置するというアイデアは古いようで新しく、現在のアメリカでも決して根付いている、という訳ではないようです。

そんなレッドチームですが、レッドチームさえ作れば上手く行くのか、というとそんなことはありません。「レッドチームの成功はリーダーに懸かっている」なんて表題の章があります。レッドチームはケチを付ける役目ではありますが、トップリーダーが「俺の見立てにケチを付けるのか」なんて言ったらレッドチームの存在意義がなくなってしまいます。まあ、この本を読んで「ウチにもレッドチームを作ろう」なんて言っている社長は今一つ怪しいですねえ。本書評でも何度か書いたことがありますが、「ブレイン・ストーミング」をやろう、なんて言う上司に限って下の者の意見なんて聞かないですからね。だから皆何も言わなくなるんです。そこを分かってくれないと……。

形だけ真似したって上手く行きっこない「レッドチーム」ではありますが、日本の「失敗の本質を鑑みるに、本書を一読する価値はあると思います。皆様も是非ご一読、ご一考を。

 

 

新井 信昭レシピ公開「伊右衛門」と絶対秘密「コカ・コーラ」、どっちが賢い?』新潮社

本書に書かれた新井さんの経歴を見るだけで、「あー、この人はいろいろな経験を積んできた方なんだなあ」ってことが分かります。知財戦略の本を書かれていることからも分かるように、弁理士でもありますが、工学の博士号をお持ちであったり、知財戦略論を大学で講義しているなど、様々な活躍をされている方のようです。

本書の初っ端に書かれているのは、特許を取ったからといって「アイデアの海外への流出」が防げるわけではない、というショッキングなフレーズです。

サントリーのヒット商品「伊右衛門」のレシピはサントリーの特許公報を調べると簡単に分かるそうです。それに対してコカ・コーラのレシピは本社でも二人の人間しか知らないとか、同時に事故に遭うと困るのでその二人は絶対に同じ飛行機には乗らない、なんて話もあります。特許に頼らずレシピを守っているコカ・コーラの方が偉い、なんて思いそうですが、知財戦略を大学で講義している新井さんがその程度のことを言うはずはありません。じゃ、なんなのか、は本書をお読みいただきたいと思います。

ところで、この「知財戦略」の重要性を物語るあるエピソードが本書の最初の方に書かれています。それは、ノーベル賞を受賞した山中伸弥教授と所属する京都大学iPS細胞研究所の知財戦略です。有望分野だ、ということでiPS細胞の開発競争が世界中で起きたのですが、じつは京都大学iPS細胞研究所では高須直子さんという「知財のスペシャリスト」を雇い入れて基本特許を抑え、万全の体制で世界各国からのイチャモンを受けて立ったのだそうです。受けて立った、というとあちこちで裁判を起こして、なんて思われますが、後々の悪影響を考えて速やかに和解する、などという事例もあったのだそうです。それにしても、山中先生ってお医者さんらしくないとは思っていましたが、ものすごいビジネス・センス(とスキル)をお持ちなんですねえ。

本書では、特許に関連して、裁判のルールとして「弁論主義」を理解することの重要性を指摘しています。「弁論主義」とは、「判決の基礎となる事実の収集は、当時所の権能であり責任である」というものです。オレが正しい、というのであれば、その証拠を持ってきて、裁判官を納得させろ、ということです。ですから、いくらオレが正しいんだって威張っても、証拠がなければ泣きを見ることになります。お天道様は裁判所にはいません。どうもここら辺を分かっていただけない方が日本人には多いような気がします。繰り返しますが、お天道様は裁判所にはいないのです。

本書は新井さんが一般の方にも「知財」の重要性に気づき、より良く活用していただきたい、という使命感を以って書かれたようです。充分にその目的は果たされていると思います。きっとお仕事のお役に立ちますよ。是非ご一読を。

 

 

20175

 阿刀田 高楽しい古事記』角川文庫

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

楽しい古事記 [ 阿刀田高 ]
価格:604円(税込、送料無料) (2017/3/25時点)

日本史の授業に絶対に登場する『古事記』ですが、まともに読んだことがある方というのは、国文学だか日本古代史だかなんだかを専攻された方以外、ほとんどいないのではないでしょうか。なんせ原文は変体の漢文で書かれています。普通は読めないですよね。

本書の最初の方で、イザナギとイザナミの物語の中の冥府へ行くお話とギリシア神話のオルフェウスとエウリディーチェのお話が大変類似しているとの指摘がされています。阿刀田さんは「古事記がギリシア神話の影響を受けているわけではない。それはありえない」と断ってはいますが、似てますよねー。正倉院の御物の中にもオリエント伝来の瑠璃があるとか言われていますし、そもそも人類ってアフリカ発祥の後、オリエント地方だとかあちこちを通って日本までやって来たわけですから、交流がなかったって思う方がおかしいんじゃないですかねえ。まあ阿刀田さんが断言しちゃうとそれが歴史上の真実として流通してしまうだけの影響力がありますから、慎重におっしゃってるのかもしれないですけど。阿刀田さんは「伝説として楽しんでください」ということみたいです。

ところで、古事記ってのは「まぐわって」「歌って」「殺す」物語なんだそうです。ハードボイルド仕立てのエロいミュージカルってことなんでしょうか。インド映画みたい。ま、ここから先は阿刀田さんの解説でお楽しみください。

 

 

阿刀田 高シェイクスピアを楽しむために』新潮文庫

シェイクスピアも有名ではありますが、実際に本を読んだ日本人はあまり多くないのではないかと思います。とは言え、映画になっている作品も多くありますし、その筋書きを生かして時代設定を変えた舞台や映画も数多く作られていますので、本書を読んでいると、「あれ、どっかで見たことがある」なんてお話も多く出てくるのではないでしょうか。

私も御多分に漏れず、シェイクスピアの作品をあまりまともに読んだことはないのですが、英国のクルマ雑誌なんぞを読んでいるといきなりシェイクスピアの名セリフかなんかが出てくることがあります。それがシェイクスピアであると分かれば良いのですが、下手をすると「なんでこんなへんてこりんな言い回しが出て来るんだ」「意味分かんなーい」なんて思っちゃうんです。英国ではこの手の人間は「教養がない」と思われるのでしょうが、こちとら日本人ですからねえ。

ところで、シェイクスピアには歴史上の事件を扱った物語が多いのですが、シェイクスピアにおいて歴史劇(あるいは史劇)と呼んでよろしいのは13世紀から16世紀のイギリス国家を取り扱った作品群だけで、いかに歴史を題材にした物語とは言え「ジュリアス・シーザー」などの外国物はシェイクスピアの歴史劇と呼んではいけないんだそうです。何でかって言うと、この歴史劇に描かれている歴史の結果として当時のエリザベス女王が誕生したからなのです。つまり別格。ですから、その物語も歴史的正確さよりは大分現政権に阿った内容になっている……みたいです。ここら辺は上にご紹介した古事記と変わりませんねえ。

ではありますが、いずれ何かの時に役立つかもしれませんので、ここはひとつ阿刀田さんの解説でシェイクスピアのサワリだけでも楽しむことにいたしましょう。

 

シェイクスピアの代表的作品として『ロミオとジュリエット』の映画をご紹介しておきましょう。

 

『ロミオとジュリエット』を翻案した作品として『ウェストサイド物語』もご紹介しておきましょう。

 

 

星 新一つぎはぎプラネット』新潮文庫

 

ショートショートの名人として知られる星さんが同人誌やPR誌に書かれ、文庫化などされぬままに忘れられようとしていた作品を再収録した作品集です。星さんの作品はほとんど読んだと思っていた私も初めて目にする作品ばかりでした。中には子供向けの「四年の学習」なんて雑誌に掲載された、学習ネタを織り込んだ作品まで掲載されています。昔の学習雑誌ってのは豪華な執筆陣だったんですね。

その中でも思わずニヤリとしたのは冒頭に収められたSF川柳・都々逸です。七五調で書かれているのですが、その内容はSFチック、しかも諧謔が利いてます(雅号は「笑兎」(ショート)ですって)。

「タイム・マシン 未来も遠く なりにけり」

「ブラック・ホール 白いペンキを 流しこみ」

星さんはこんな着想を短編に仕上げていったんだな、と思わせるような川柳・都々逸がずらりと並んでいます。面白そうでしょ。

星新一ファンなら何が何でも読まなくてはいけない一冊でした。

 

 

千船 翔子文豪失格』実業之日本社

1ページの登場するのは天国でも執筆活動をして暮らしている夏目漱石。そしてそこを訪ねてくる芥川龍之介。訪ねた目的は「ラノベ」の書き方を教えてほしい……。ムリだろ。ま、ギャグマンガですから。

話筋はギャグマンガらしくハチャメチャですが、文豪たちが話している内容は相当本人を研究して、その中から思いっ切り妙なところを抽出してしゃべらせているみたいです。横浜国立大学教授の一柳廣孝さんという方がちょっと真面目な人物の解説を付け加えていますが、確かにマンガに描かれているような人物であったことを物語っています。

本書に登場するのは「破滅型ナルシスト」、「乙女チックな酒乱」、「天然ボケの貴公子」、「気苦労の多い常識人」の皆さん。どれが誰だか分かりますか?

それにしても、文豪たちってのは相当屈折していて、その曲がり方も一ひねりではなく、右に左に、上に下に、前に後ろにと思いっ切り変な方向にこじらせていたみたいですねえ。

 

 

千船 翔子文豪失格(文豪の恥ずかしい手紙編)』実業之日本社

で、こちらが続編。

本書はいくつかのエピソードから成っていますので、全部が手紙編ではありませんが、手紙に関するエピソードも挟まっています。

普通手紙というのは個人から個人に宛てたものですし、他人が読むことを想定していません。じゃなきゃ、ラブレターなんて書けませんからね。恥ずかしい手紙を出版物に公開されてしまった文豪たち、天国(地獄か?)でどう思っているんでしょうか。死んでしまったとは言え、プライバシーを暴露してしまうのはかわいそうな気もしますが、笑えますねえ。

前書のハチャメチャ文豪たちに加え、「こじらせメルヘン童貞」、「リア充アイドル」、「堕落の申し子」の皆さんが登場します。皆さん漫画風イケメンとして登場しますよ。

  

 

関根 尚教科書では教えてくれない日本文学のススメ 』学研

 

こちらも文豪たちのエピソードをマンガにしたものです。千船さんの作品と併せてお読みください。千船作品には具体的なエピソードが登場しなかった女性文豪たちも登場しますよ。本書の中で「作品の素晴らしさと作家の人間性は別さ」というセリフが出てきますが、それを地で行くエピソードが満載です。

 

 

歴史系倉庫 世界史の問題児たちPHP

 

題名の「問題児」には「クズ」とルビがふってあります。確かに歴史上の有名人物ばかりではありますが、その実態は結構なクズばっかり。歴史上の人物として知る分にはかまわないのですが、実際には友達どころか仕事の上でのお付き合いさえ遠慮したいような面々ばっかり。まあ、だから歴史に名を残せたのかもしれませんがね。

著者の亀さんは「歴史系倉庫というサイトを運営されている方です。本書には収録しきれなかった人物が満載ですよ。

 

 

20174

Carl Johan Caellman 『The Nine Waves of Creation: Quantum Physics, Holographic Evolution, and the Destiny of HumanityBear & Company

以前ご紹介したコールマンさんのThe Global Mind and the Rise of Civilization』の続編です。出版社が違いますが、何かあったんですかねえ。

ま、それはともかく、前作では私たち人類が自分の心とか意識を持つようになったBC3115年頃から始まる時代に重点が置かれていましたが、今作は私たちが生きている現在周辺に重点が置かれて書かれています。

現在はちょうど第9の波の時代にあたるそうです。で、この波と波の間隔は短くなっているらしく、その前の第7の波(始まったのは1755年)は産業革命に、第8の波(始まったのは199915日)はデジタル革命に当たるのだそうです。そしてこの期間には経済分配の不平等が拡大するとしています。さらに、20111028日に第9の波が始まったのだそうですが、この時代には社会の平等化が進む、としています。

ま、確かにアラブの春なんて運動がこのころ起こっていました。このような運動はイスラム圏に特有のものなのかな、とも思っていましたが、その後のBREXITとかトランプ大統領の当選なんてのも第9の波に呼応しているのかもしれません。確かに、これらの動きの背後にあるのは、持たざる者の持つ者に対する反感と言えるかもしれません。ただ、現在も続く中東の動乱などに鑑みると、これらの動きによって持たざる者の生活が改善されたのか、というといささかならず疑問を感じます。本当に平等化が進むんですかね。

本書で強調されているのは波動、というか周波数の重要性です。波動(バイブレーション)を感じる、なんてのはいわゆるスピリチュアル系の決まり文句なわけですが、良く考えてみれば、テレビだってスマホだってこの波動を使っているんですよ。ですから、波動には情報が乗っかる、情報を伝達する力があるんです。言われてみればその通りですね。で、コールマンさんはいわゆる生命の樹(Tree of Life)ってのも実際の樹ではなく、この波動(コールマンさんは波動によって伝えられるホログラムであると表現しています)ではないの、としています。他の作家のイメージで言えば、『2001年宇宙の旅』に出てくるもモノリスでしょうか。なかなか面白いですねえ。

ただ、コールマンさんは波の周期がどんどん短くなっており、さらに第9の波が最後である、としていました。そして、2012年には第9の波が終わり、世界も……、なんて話が広がっていました。ところが何事もなく2012年が終わり、コールマンさんの評判はがた落ちになった、なんて経緯もあります。

世の中終わらなかったわけですが、なぜそうなったのか、なんて話は本書に詳しく書かれています。そうじゃないと出版できないですもんね。ただ、第8や第9の波の周期は著しく短くなっていますので、例えば私は第7の波の時代に生まれ、第9の波の時代を生きていることになります。そう長くはない生涯のうちに、時代を規定する周波数が変わっちゃいますので、新しい高周波の波に乗れない人間も多数出てくるわけです。今までは、新しい波の時代になると全地球的な人類の新たな覚醒があると思われていたのですが、どうもそうではないようです。コールマンさんは我々個人々々が新しい波を受け入れるには、我々自身の努力も必要だろうとしています。何もしないでいると、正に時代の波に乗れない、なんてことが起きるわけです。特に第9の波の現在、未だに第7の波の時代に生まれた人間が社会を牛耳っています。だもんで、随分と大時代的な主張をする人間(個人だけでなく集団としても)もいることになるみたいです。

正しいと思うかどうかはあなた次第。ま、なかなか面白かったですよ。

 

 

ィーパック・チョプラ 渡邊愛子訳・解説『宇宙のパワーと自由にアクセスする方法』フォレスト出版

チョプラさんは「レディー・ガガ、マイケル・ジャクソン、ゴルバチョフ元ソ連大統領、クリントン元大統領らが大絶賛」した世界的メンターなんだそうです。最近、瞑想なんぞが流行っていますので、私も、ということで読んでみました。

実は、私は以前から瞑想などということに興味があり、CDだなんだって買ってはいたんですが、どうもうまくいかない。雑念の塊ですからねえ、私は。瞑想をしようと思っても、あーだこーだっていろいろなことが頭に浮かんできちゃうんですよねえ。さてさて本書を読んでうまく宇宙と繋がれるでしょうか。楽しみ。

チョプラさんの文章は医学や物理学、さらには哲学など様々な分野の話題をボンボン放り込んできますので、なじみがない方には分かりにくいかもしてません。昔の瞑想法だと神の恩寵がどうのこうのとか、ちょっと前だと怨念がどうのこうのとか言っていたわけですが、最近では量子論とか多元宇宙論とかなんとかを使った箔付けが所謂スピリチュアル系の世界では一般的みたいです。ま、そこら辺は流行り廃りの世界ですのでどうでもいいわけです。でも、瞑想法ってそれこそ人類が文字の世界を持ち始めていたころにはすでに存在していたみたいです。そう考えるとそうそう捨てたもんでもないですよね。

本書の著者はチョプラさんですが、翻訳者でもある渡邊さんが解説を付け加えています。渡邊さんは日本におけるチョプラさんの日本における窓口を務めている方ですので、日本の読者にも分かりやすい解説を付け加えています。

瞑想入門の第一歩としてお読みください。

 

ディーパック・チョプラ 渡邊愛子訳・解説『宇宙のパワーと自由にアクセスする方法(実践編)』フォレスト出版

でもってこちらが瞑想の実践方法を書いた本です。CD付ではありませんが、音声ファイルのダウンロードサービスが付録しています。私もそれを使って瞑想に励んでおります。でも、聴きながらリラックス、なんて言われると、ぐっすりと眠っちゃうんだよなあ。それじゃダメじゃん。

 

 

竹内 久美子、佐藤 優『佐佐藤優さん、神は本当に存在するのですか?』文藝春秋

ご存じのように佐藤さんは外務省の主任分析官という、世が世ならスパイ?の経歴をお持ちの方です。ではありますが、同志社大学で神学の修士号を持っておられる方です。一方の竹内さんは動物行動学で博士号を取った方だそうです。

佐藤さんがクリスチャンであることは前から知っていたのですが、プロテスタント(カルヴァン派)のクリスチャンであるのは初めて知りました。佐藤さんの言によれば、カトリックとプロテスタントでは、その神学の内容も随分と異なるのだそうです。

どうしてそうなったのか、なんて経緯は本書をお読みいただきたいと思いますが、本書の最初の方で、本書評でもご紹介したリチャード・ドーキンスの『神は妄想である』(が取り上げられています。、佐藤さんは「ドーキンスの扱っている問題は、二百年前にキリスト教神学がすでに問題にしていますよ。そして、百年前にはほぼ解決がついている」とこき下ろしています。はー、そうだったんすか。

本書の狙いは別なところにあるのかもしれませんが、本書に出てくる佐藤さんのアメリカ人の評価は、私が普段思っていることを見事に説明してくれていて、思わず笑ってしまいました。アメリカ人は歴史的に「ロマン主義を経ていないから、単純な白黒のキリスト教なんですね。物事を二分法でしか理解できない、複雑なことが理解できない」のだとしています。従って、アフガンやイラクでの失敗も、「なぜ失敗するのか、おそらく彼らには理解不能でしょう。なんで正しいことが通用しないんだって憤ってるかもしれない」ですって。アメリカ人と付き合うと、こういうすげー単純で押しつけがましい人がいっぱいいるもんね。

佐藤さんは博覧強記の人ですので、竹内さんの質問に実に的確な返答をしていることが伺えます。が、それで私がキリスト教に強く惹かれたか、というと、どうもそうではありません。なにしろ佐藤さんの奥さんだってクリスチャンになっていないそうですから。

本書は一応、キリスト教信者でありキリスト教学の専門家である佐藤さんにキリスト教信者ではない竹内さんがあれこれ聞く、という体裁をとってはいますが、対談のテーマは多岐にわたっています。キリスト教を学びたいとか、キリスト教の入門書としてはよろしくないと思いますが、学際的な対談として大変面白く読めました。

 

 

アトゥール・ガワンデ 原井宏明訳『死すべき定め』みすず書房


ガワンデさんはブリガムアンドウィメンズ病院勤務、ハーバード大学医学部・ハーバード大学公衆衛生大学院教授という、れっきとしたお医者さんであります。が、医学部の教育を通じて「死」について教えられたことはほとんどなかった、と記しています。これ、本当だと思います。私の父も医者でしたが、死について、恐らくほとんど考えたことはなかったのだろうと思います、自分自身がそういう立場になるまでは。

日本より老年期医学が進んでいると言われているアメリカにおいても、現在の日本の状態と大きな差があるわけではないようです。その原因の一つは、私が思うには、医学の進歩があると思います。何しろ、多くの病気が治るようになったわけですから、人類としてはやはり進歩したんだと思います。が、そのことが人間とは死ぬものだという当然の節理を忘れさせてしまっているようです。で、死ぬことは悪いことだとか、人生の敗北だと思われちゃってるんです。

私ぐらいの年齢になると、検査をすれば異常の一つや二つ、私の場合はもっと見つかります。で、医者はそれが当然と言わんばかりの態度で「これとこれのお薬を出します」なんて言い始めるんですね。で、あれをやれ、これをやれ、あれはやっちゃダメ、これもやっちゃダメ、なんて命令します。で、「私と一緒に病気に立ち向かいましょう」なんて恩着せがましく言うんです。誰もそんなこと頼んじゃいないって。

こういっては何ですが、老人の病気なんて治らないんです。が、生活におけるQOLは高めることが可能です。これはガワンデさんも本書で主張していらっしゃいます。内臓疾患をどうこうするより、歩けることの方が自立生活にははるかに大事だって。

本書にはハリー・トルーマン(元大統領じゃありません)という方が紹介されています。この方はセント・ヘレンズ山の近くでロッジを経営されていたそうですが、セント・ヘレンズ山に噴火の危機が迫り、一帯に避難勧告が出されたのですが、かたくなに避難を拒否、結局噴火で亡くなったのだそうです。「俺は80歳だ、80歳だから自分で決めてやりたいようにする権利があるんだ」避難しない馬鹿者だから亡くなったのでしょうか?私には自分らしく生きたように思えますがいかがでしょうか。

ガワンデさんは現職のお医者さんです。が、医者にありがちな家父長的な発想をする方ではないようです。私自身、最近父を看取りました。私もそろそろ準備をしておかなくてはならない年齢になってきました。娘も医学部に入りましたので、最後をどのようにしたいか、なんてことを言い置いておけばやってくれるでしょう。

そんな時に備えて是非読んでおきたい一冊でした。是非ご一読を。

 

 

20173

安田 寛バイエルの謎』新潮文庫

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

バイエルの謎 [ 安田寛 ]
価格:594円(税込、送料無料) (2017/1/24時点)

バイエルのピアノ教則本は大変に有名で、わが国でも子供がピアノを習うときまず使うのがバイエルでした。これは諸外国でもかつてはそうであったようなのですが、最近ではバイエルなんて古式蒼然たる教科書を使っているのは日本だけだ、なんて言われるようになってしまったそうです。

ところが、このバイエル教則本の著者フェルディナンド・バイエルってどんな人なのか、はよく分かっていなかったそうです。ドイツ人だとか生没年は一応分かっているのですが、知られている自作曲はバイエル・ピアノ教則本だけで、しかもその初版本も行方不明、と分からないことだらけなのだそうです。

なんで忘れられちゃったのか、というと、存命の当時からバイエルは「この時代に日々開花するダンスやオペラの旋律に基いた、独創性も価値もないピアノ音楽を最も精力的に描いた作曲家の一人」だと思われていたようなんです。つまり、流行りの曲を客の要望でピアノで弾いて見せる飲み屋の芸人、って思われていたらしいんです。芸術家じゃない、って。でも、結構お金持ちだった(楽譜がガンガン売れたんだそうです。古手の楽譜出版社のカタログでは、同時代のワーグナーを抑えて堂々のナンバーワン収録数を誇っていたそうです)みたいですから、それはそれで良かったんじゃないですかね。

ところで、バイエルが日本で広く使われている理由の一つに、羽仁もと子さんが、主宰した自由学園で使うための音楽教材として著名な音楽教育者である園田清秀さんに編纂を依頼した、といういきさつがあるんだそうです。羽仁もと子さんの自由学園って、私も幼稚園に通いましたよ。親の意向で。何しろ、「音楽のおけいこは、「三才半が適期で、お稽古を始めると自然に絶対音感のついたお子様は、修学してから音楽はもちろん、他の学科、(算数・国語・絵等)に大変良い成績を上げて居り話題になりました」」って言われてたんですって。でも、私みたいにそうならないお子様も居たんですよ、フン。

ですから、私も多分バイエルをやったんでしょう。忘れたけど。小学校に上がるころにはピアノなんて嫌いになっちゃって止めちゃいましたからねえ。ま、今ではバッハからエリック・サティまで弾ける(弾けるのはバッハの平均律のCのプレリュードとサティのジムノペディだけってのは秘密です)私としては、黒歴史ですねえ。

本書はバイエルという作曲家の由来を探すノンフィクションではあるのですが、安田さんが実際にバイエル探しのために行った探索行の記録でもあり、バイエルの教則本のその他の謎を解明していくミステリー作品でもあります。バイエルなんて悪い思い出しかない作曲家だと思っていましたが、個人として豊かなバックグラウンドを受け継いだ音楽家だったということが分かりました。意外なほど面白く読了しました。ぜひご一読を。

 

 

原田 マハ暗幕のゲルニカ』新潮社

以前『楽園のキャンバスをご紹介したことがある原田さんの新作です。今作のテーマはピカソのゲルニカ。本書は史実を基にしたフィクションなのだそうです。ですから、ネタバレになりそうな内容の紹介は控えておきましょう。

「ゲルニカ」はピカソがドイツ空軍によるゲルニカ爆撃に衝撃を受けて描かれたとされています。ピカソはフランコ政権樹立に怒り、「スペインが真の民主主義国家となるまで」スペインに返還されることはありませんでした。

本書ではそんなピカソをめぐって史実かどうかは知りませんが、こんなエピソードが紹介されています。

パリ万国博覧会の開会後しばらくたって公開された「ゲルニカ」をナチスの将校が眺めていました。そのとき、

「将校は、軍靴の音を響かせてピカソに近づくと、言った。

「この画を描いたのは、貴様か」

ピカソは黒々と輝く目で将校を見据えた。この世の闇と光、すべての真実を見抜く智の結晶のような瞳で。そして、言った。

「いいや、この絵の作者は―――あんたたちだ」」

また、ピカソはこうも言っていたそうです。「芸術は、決して飾りではない。それは、戦争やテロリズムや暴力と闘う武器なのだ」

さすが原田さんですねえ。「ゲルニカ」ってのはこういう絵だったんだっていうことがイヤってほど分かります。

絵画をテーマにした本ではありましたが、絵画を通して様々なことを考えさせられる本でした。しかも、小説としてもとても面白く書かれています。是非ご一読を。

 

 

ギィ・リブ 鳥取絹子訳『ピカソになりきった男』キノブックス

本書はギィ・リブという画家の手記です。そんな画家、聞いたことがないと思われるかもしれませんが、もしかしたら彼の作品を見たことがあるかもしれませんよ。ただし、その画には別の名前が書かれていたかもしれません……。そう、リブさんは贋作作家だったのです。

贋作作家としての腕前は天才的であったようで、カバーした画家はピカソ、シャガール、フェルナン・レジェ、ダリ、マティス、ヴラマンクといった近現代の作家からフラゴナール、ルーベンス、ゲインズバラ、テニールスといったより古い時代の作家までなんでもござれだったようです(もっとも、自分にはできないと思った注文は断ったそうですが)。裁判では美術専門家が「ピカソが生きていたら、彼を雇っていただろう」って言われたなんて自慢しています。後に逮捕されていますので、彼の作品は処分されたことになっていますが、画家本人が本物だって認めちゃった作品もあるといささか自慢気に書いています。画家は分かっていたみたいなのですが、出来が良いからOKしちゃったらしいです。そんなこともあるんですねえ。

ルーベンスが若いときにイタリアへ修業に行き、多くの作品を模写したものが、その元の作品より高い値段で流通している、なんて例もあるそうです。リトグラフの契約書を拡大解釈して元々意図されていたより多く刷る、といったグレーゾーン(契約違反かもしれませんが、版は本物ですし、刷った数が多いかどうかの証明は非常に困難)から、リブさんが得意としていた、ピカソのことを徹底的に研究してピカソ“風”の画を描き、カタログ・レゾネに漏れた逸品だとか言って売りつける、れっきとした贋作商売まで、贋作といってもその出来も含めてピンからキリまであるようです。

贋作業界の裏の裏まで知り尽くしたリブさんが贋作業界(贋作ではないアート業界も含めて)のあれこれを生々しく語っている本書、面白くない訳がありません。まともな美術書に飽きちゃったあなた、是非ご一読を。

 

 

恩田陸蜜蜂と遠雷』幻冬舎

最近、直木賞を受賞した恩田陸さんの作品です。恩田さんの作品を読むのは初めてですが、資料を当ってみると、ファンタジー、推理小説、エッセイや紀行文など、実に多彩な作品を書かれているようです。本書は音楽を、それもピアノ・コンクールという相当マニアックな場面設定の小説です。

ピアノ・コンクールは毎年世界各地で数多く開かれています。が、ここで注目を浴びて音楽の表舞台で活躍するような演奏家はごく一握りでしょう。ではありますが、ピアノ・コンクールに出場している、というそのこと自体がその演奏者はすでに長期間にわたる、しかもかなりのお金を掛けた音楽教育を受けてきているということを意味しています。まあ、どの一人を取っても私ごとき音楽のドシロートからするととんでもない技巧の持ち主ということになります。それだけではなく、彼らが育ってきたピアノ教室とか、あるいは音楽大学などにおいても、こいつは神童だとか天才かもしれないなんて言われてきたか、ま、そこまで行かなくても、入学そのものが既に難関である音楽大学の、ピアノ専門の学生しかいないピアノ科で少なくとも才能はあると認められてきた人たちばかりなのでしょう。じゃないと、そもそもコンクールに出してもらえません。でも、いくら神童だ天才だ、なんて言われていたとしても、コンクールの勝者は一人ですし、その一人ですら以後の活躍が保障されているわけではありません。いやあ、厳しい世界ですねえ。「全身緊張の塊でやってきて、一世一代の演奏を繰り広げている若者には申し訳ないが、彼らが求めているのは「スター」であって、「ピアノの上手な若者」ではないのだ」という文章が出てきますが、その通りなのでしょう。

本書はあるピアノ・コンクールに経歴や性格、音楽の志向性もバラバラの若者たちが挑戦するという物語です。誰が優勝するのでしょうか、そして本当のスターになれるのでしょうか……。

どんなストーリーかは読んでのお楽しみ。本書に出てくる作品はオンラインで簡単に検索して聴くことができます。で、聴きながら読んだのですが、いやあ、面白かった。皆様も実際の音を聴きながらご一読を。

 

 

20172

カビール・セガール 小坂恵理訳『貨幣の「新」世界史』早川書房

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

貨幣の「新」世界史 [ カビール・セガール ]
価格:2268円(税込、送料無料) (2016/12/24時点)

 

貨幣の歴史を扱っているわけですから、歴史上確認されている最古の貨幣、なんてところから始まるのが普通でしょう。ところが本書はガラパゴス諸島を訪れるところから始まります。「生物はどのようなプロセスを経て進化を遂げたのか、そして地球上の生命が進化するうえで、交換行為がいかに欠かせないものだったのか」を確かめたのだそうです。歴史については生物の進化、なんて所に立ち返ったわけですから、なぜ私たちはお金に強い影響を受けるのか、なんてことを心理学や脳生理学まで動員して説明しています。もちろん、流行りのビットコインなんかの話題も取り上げられているのですが、最後の方の第8章ではコレクションの対象(歴史・美術的な価値が値段には含まれます)としてのコインなんてのも出てきます。いやあ、学際的な本ですねえ。

貨幣の歴史を前後左右、さらには上下から眺めるような本書、なかなか読みごたえがありました。

 

 

日経FinTechFinTech革命 【増補改訂版】』日経BPムック

 

FinTechなどという言葉もよく耳にするようになりました。マウントゴックスの破綻により思いっ切りケチのついたビットコイン業界にも復調の足音が聞こえてくるようになり、新しい技術に対しては腰が重い日本の金融機関も、この分野への投資を積極的に始めたようです。ゼロどころかマイナス金利の昨今、銀行って普通に商売やってるだけじゃ儲からない商売になっちゃいましたからねえ。日本の金融庁だって「FinTechサポートデスク」なんてのをすでに開設したそうですよ。

FinTechというと、ビットコインなどがすぐに思い浮かびますが、ビットコインはFinTechの送金や決済分野で使われる「仮想通貨」のひとつに過ぎません。FinTechはそれ以外の金融分野、例えば与信取引、資本調達あるいは国際送金システムなどにも応用される可能性が大いにあります。一口にFinTechといっても、様々な内容を含み、結構応用範囲は広いようです。本書でも数多くのFinTech企業(ほとんどは聞いたこともないスタートアップ企業ですが)のCEOのインタビューが掲載されています。いやあ、皆さん色々と考えていらっしゃる、ホントにエライ。

FinTechの記事にはブロックチェーンだ、コンセンサス・アルゴリズムだ何だかんだってよく分からない単語がガンガン出てくるわけですが、それもこれもコンピュータ本体と記憶媒体が安く利用できるようになったから実現したみたいです。そんな難しいこと知らなくてもスマホで色々なお買い物とかお支払いをしたことがある方は沢山いるんじゃないですか。私たちはあまり意識していませんが、あれって思いっ切りFinTech技術の粋らしいですよ。スマホって技術的には結構高度なものが詰まっているのですが、インターフェイスが向上したおかげでじーさん、ばーさんにも使えるようになりました。FinTechってのはそんな技術をさらに応用しようってことみたいです。ま、そんな感じってことで。

本書はいわゆるムックですので、本書評で取り上げているいわゆる「本」とは異なり、様々な分野の専門家の意見やインタビューが掲載されており、FinTechって何だ、なんて思っている私のような素人が最初に読むには適当な教科書であったようです。

本書の中で、元FRB議長のポール・ボルカーさんの発言が引用されていました。「金融のイノベーションの中で役に立つと思ったのはATMだけだ」って。さてさてFinTechは本当に役に立つイノベーションになるのでしょうか。私は、なる、と信じます。

 

 

大村 大次郎お金の流れでわかる世界の歴史 KADOKAWA

 

著者の大村さんは元国税調査官という、ライターとしてはやや異色の経歴を持っておられます。そんな経歴から、本書では世界史に現れる国歌とお金の関係、それも徴税が関係するエピソードが数多く描かれています。そういう観点で見ると、なるほど徴税システムがきちんと機能しておらず、従って民衆の生活が安定しない、なんて国は亡んじゃうんだ、なんて共通項が見えてくるわけです。逆に、長く繁栄を謳歌したエジプト王朝とかローマ帝国、あるいはオスマン・トルコなんてのは、こう言った仕組みがうまく機能していたのです。そして、その仕組みが壊れると(一部の人間だけが富裕化するとか官僚の腐敗とか、あるいはむやみに高い税金を課すとか)結構あっけなく亡んじゃうんです。一部の人間だけが富裕化するとか官僚が腐敗するって、最近どっかの国でも聞いたことがありますねえ。大丈夫でしょうか。

また、近現代史にも大村さん流のお金(経済その他諸々)に着目した観点から分析を加えています(例えば、「ソ連は平等だったから崩壊したのではない。むしろ、自由主義国よりも不平等だったから崩壊したのである」)。そうすると、従来の政治やイデオロギー的な観点からの歴史とは異なった側面が見えてくるようです。なるほど、そう言うことだったのか、って。

大村さんの分析が絶対的に正しい、とは思いませんが、私には大変面白い歴史の見方であると思えました。是非ご一読を。

 

大村 大次郎お金の流れで読む日本の歴史 KADOKAWA

 

で、こちらが日本の歴史版。

日本人は日本の歴史を考えるとき、人物を念頭にものを考える癖があるようであります。ですから、未だに戦国時代を舞台にした国盗り物語がゲームになり人気を博しています。さらには「どの戦国武将が一番好きか」なんてアンケートが実施され、それに答える回答が山のように集まるわけです。

それに対して、大村さんは例によってお金に着目して日本の歴史を紐解いて行きます。日本版も面白く読ませていただきました。

 

 

出口 治明『「「全世界史」講義(1(古代・中世編))「全世界史」講義(2(近世・近現代編))』新潮社

出口さんは本国内では大変珍しい保険会社を親会社としないで設立されたライフネット生命保険の会長です。従って歴史学の専門家という訳ではないのですが、大変歴史への造詣が深い方なのだそうです。出口さんが本書を書いた理由は、本書ではヘロドトスの言葉(の意訳)として紹介されている、「人間はどうしようもないアホな動物で、同じ失敗を繰り返している。自分は世界中を回って、人間について見たり聞いたり調べたりしたことを書いておくから、これを学んで少しは賢くなってくれ」ということに尽きるようです。

本書は「全世界史」なんてタイトルが付いている通り、ある時代とか国や地方とかにこだわらず、文字による記録が残っている過去五千年を千年ごとに輪切りにして記述されています。今までの歴史書とは違う視点から見ることにより、今までにはなかった気づきがあるようです。なかなか面白いエピソードがあちこちにちりばめられています。

ただし、さすがに五千年の暦書を2冊にまとめるのは相当無理があったようです。出口さんは大変歴史にお詳しいようですので、どうしてもあれも書きたい、これも伝えたい、ということで、ストーリー性に欠ける事跡の羅列になってしまった記述が各所に見られます。細かいところは年表とか地図とかを参照するようにでもして、近現代史の部分で書かれている出口さん流の解釈をもっと伺いたいところですが、今回はお預け、なのでしょう。

 

20171

橘 玲言ってはいけない』新潮新書

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

言ってはいけない [ 橘玲 ]
価格:842円(税込、送料無料) (2016/11/25時点)

 

橘さんの著作は、だいぶ前に『マネーロンダリング入門をご紹介させていただきましたが、本書はそれとは大分毛色の異なる作品です。

本書で述べられている「言ってはいけない」には、

l  l  統合失調症の遺伝率は82%、双極性障害の遺伝率は83

l  犯罪心理学でサイコパスに分類されるような子供の遺伝率は81

l  一般知能の8割、論理的推論能力の7割が遺伝で説明できる

その他、刺激的な説が並んでいます。パッと見にはヘイト・スピーチであるように感じられるかもしれませんが、橘さんは「本書で述べたことにはすべてエビデンスがある」と書かれています。

橘さんは何もヘイト感情を煽るために本書を書いた訳ではないと思います。そうではなく、ともすれば“不都合な真実には”は見なかったか知らなかったことにしてしまう我々に対する警鐘なのでしょう。

本書評でも何度も「失敗の本質」的な本を採り上げてきました。経営学では成功した企業を採り上げ、成功するための共通項は何だ、なんて分析をすることが流行っていました。昨今もそんな本を多く見かけます。が、私の感触では、失敗した企業にこそ似たような間違いが多くあるような気がします。私は旧日本軍の悪癖として「何か失敗しても誰も責任を取らないし責任の追及もしない。責任を取らなければならないときは下っ端に押し付ける。現実は直視せず何でも気合いで解決できると信じ込む。不都合な事実には目を向けず、誇大な希望的観測のみを信じ込む。一度決まったことは不都合があってもそのまま続ける。失敗は糊塗して知らなかったことにするか忘れたことにして、絶対に反省なんかしない。思いっきりセクショナリズムで部外者のことなんか考えない。そもそも誰も人の意見なんか聞かないので、議論が成り立たない。上には媚びる、下には威張る」なんて書いてきましたが、これって多くの破綻企業に共通する要素なんじゃないでしょうか。箴言は耳に痛いものでしょう。でも、大人ならちゃんと聞かなくちゃ。

人間にまつわる事実を事実としてとらえ、より良く生きていくために知らなくてはいけない真実。実に不愉快な読後感を覚える本書ですが、読む価値はあると思います。是非ご一読を。

 

 

中室 牧子「学力」の経済学ディスカヴァー・トゥエンティワン

中室さんは慶応大学の総合政策学部准教授で、専門は教育経済学だそうです。教育経済学なんてあまり聞いたことがない専門分野ですが、「教育経済学は、教育を経済学の理論や手法を用いて分析することを目的としている応用経済学の一分野」なのだそうです。

では、中室さんの提唱する教育方針とはどんなものなのでしょうか。本書冒頭で書かれているのは

l  ご褒美で釣っても「よい」

l  ほめ育てしては「いけない」

l  ゲームをしても「暴力的にはならない」

というものなのだそうです。いささか驚かされますが、これらの主張にはエビデンスが存在するのです。「私は、経済学がデータを用いて明らかにしている教育や子育てに関する発見は、教育評論家や子育て専門家の指南やノウハウよりも、よっぽど価値がある―むしろ、知っておかないともったいない」と主張されています。げ、スゲー自信。

本書では、「「悪友は貧乏神」からどう逃れるか」というセクションで、「子どもや若者は、飲酒・喫煙・暴力行為・ドラッグ・カンニングなどの反社会的な行為について、友人からの影響を受けやすい」と書かれています。これは、橘さんの著書でも触れられていることですが、サイコパスのような子供を除くと、子供たちにとって非行に走る原因は遺伝的要素より環境要素の方が強い場合があるということです。で、何と貧困世帯へ家賃補助券を提供して高級住宅地への引っ越しを促し、結果として引っ越した家庭の子供が非行に走る確率が優位に低くなった、なんて実験が行われてことが書かれていました。いや、ものすごい社会実験をしてるんですねえ。すごいわ。

ところが、日本では教育の議論においてエビデンスを用いた議論がされていないのが現状だそうです。先ごろも35人学級で行くのか費用節約のため40人学級に戻すのか、などという議論が文部科学省と財務省の間でありましたが、教育をめぐる神学論争が行われただけで、きちんと統計学を用いた議論などはなされませんでした。日本で行われた少人数学級や子ども手当については、「これまで日本で実施されてきた「少人数学級」や「子ども手当」は、学力を上げるという政策目標について、費用対効果が低いということが、海外のデータを用いた政策評価の中ですでに明らかになってる政策である」のだそうです。もちろん海外のデータですので、そのまま使えるか、などの議論はありますが、そのようなことを含めて議論されるべきであったのではないでしょうか。どうも日本人はPDCAサイクルを回すのが下手ですねえ。何か政策を実行すると、不都合があろうがなんだろうが“一度決まったことだから”って言って絶対に変えない。変えるにはつぶすしかなくて、次はまた一からやり直し。それもこれもエビデンス基づいた議論が行われていないから、なのではないでしょうか。

本書では以前本書評でご紹介したその問題、経済学で解決できます』とか統計学が最強の学問である』などの事例も掲載されていました。本書と併せてご一読を。

 

 

バーバラ・オークレイ 酒井武志訳『悪の遺伝子』イーストプレス

本書は、身近に「邪悪な成功者」(他人を操ることに長けた欺瞞的なリーダーのこと。本書では毛沢東が例として詳しく取り上げられています)ともいうべき姉が暮らしていたオークレイさんの半自伝的物語でもあり、なおかつ残りの半分は学問的ノンフィクションでもある作品です。オークレイさんはバイオエンジニアリングやシステム工学の専門家であり、現在はミシガン州オークランド大工学部の准教授だそうです。ま、そこらのトンデモ本ではないってことです。

橘さんの本でも取り上げられていましたが、私たちの人格や性格、能力といったものは深く遺伝子の影響を受けているようです。ってことは、生まれつきの〇カは治らないってことか今のところその可能性は強いようです。

ただし、そのような遺伝子を持っていたからいって必ずそうなる、というものではないようです。逆に、大変恵まれた遺伝子を持って生まれたからといってバラ色の人生が送れるかというとそうでもないのだそうです。頭が良くなる遺伝子型ってのもあるそうなんですが、それを持っていると「統合失調症を発症したり、反社会的で落ち着きのない行動を起こしやすくなる」のだそうです。「たとえるならウディ・アレンのようなもので、頭は良くなるが重度の神経症をもたらすのである」ですって。書いて良いんか、こんなこと。

特定の遺伝子が圧倒的に優れているのであれば、そのような遺伝子型を持った人類が圧倒的多数を占めそうなものですが、そのような単一的傾向を持った種族とか種は、外的環境の変化とかにはすごく弱そうですよね。経営学でもよく取り上げますが、こういうのを過剰適応なんて言います。会社や国などの組織が生き延びるための柔軟性を確保するためには多様性も必要、ってことでしょう。金太郎飴みたいに皆がマニュアル通りの受け答えをしているだけじゃダメだってことです。

本書の後半では毛沢東の人生を詳しく調べ、どのような傾向(というか精神の異常)であったのかを詳しく検討しています。確かに毛沢東には魅力的な部分があり、企業においても、あるいは聖職者としてもトップに立てたかもしれないとしています。しかし、民主主義の政治家としてはどうでしょうか。オークレイさんは「毛沢東がアメリカに生まれていれば、完全には支配できない司法制度を警戒せねばならず、オープンな社会は、完全とは言えないにせよ、ある程度の開示と説明の責任を要求している」としています。マスコミとかが黙ってないよ、という訳です。ではありますが、ヒットラー登場の経緯を見ても分かる通り、民主主義社会だって、共産中国と比べて際立って優れているとは言い難いものがあります。特に、権力者が思い上がって国を、国民をコントロールしよう、コントロールできる、コントロールすべきだ、なんて思っているときは特に危険です。いつ、どこで、とは言いませんが、私たちはこのような危険性には常に敏感でなくてはならないと思います。

あのとき、ああしていれば、こうすべきだった、では手遅れになりますよ。

 

 

石井 光太『「鬼畜」の家 わが子を殺す親たち』新潮社

本書で取り上げられている事件は、5歳の子供をアパートに放置、死に至らしめた「厚木市幼児餓死白骨化事件」、何人もの生まれたばかりの赤ん坊を殺し、遺体を天井裏や押し入れに隠していた「下田市嬰児連続殺人事件」、3歳児をウサギ用のケージに監禁、死亡させた「足立区ウサギ用ケージ監禁虐待死事件」の3件です。

いずれもマスコミをにぎわせた事件でした。いずれの親も鬼畜として糾弾されたわけですが、取り上げた3件の親たちは法廷で異口同音に「愛していたけど、殺してしまいました」と証言したそうです。それは、単なる裁判用の反省の言葉なのでしょうか、それとももっと深い意味があったのでしょうか。

「厚木市幼児餓死白骨化事件」の被告Aの母はAが子供の頃重度の統合失調症を発症、それ以来本人は「子供の時に母が大変なことになって、それから嫌なことをすべて忘れる性格になった」と証言しているそうです。遺伝的な要因にも、生育環境にも問題はあったのでしょう。Aの妻も裕福ではあったものの家庭環境は崩壊していたたようです。知人の女性はこう言っていたそうです。「あの二人は子供がクワガタの飼育を止めるみたいに投げ出しちゃったんです」

生まれた赤ん坊を次々と殺してしまったB。ただしBは実家に6人の家族と暮らしていました。妊娠と出産、そして嬰児殺しを繰り返していたにもかかわらず、誰も気づかなかったようです。Bの母親は「いったん口を開けば、まったく人の言うことを聞かず、機関銃のように自分の意見だけを吐きつづける」ような人だったようです。Bはその結果、「さんざん罵倒されてきた経験から、どんなことを言われても右から左に聞き流して何も感じない性格になった」ようです。親族や恋人を含めた家庭環境にも相当問題があったようです。

子供をウサギ用ケージに監禁して死亡させたCCについては、知人が「IQは百以上あって高い」ものの、「理性がしっかりしていないから、その時々の衝動を行動に移し」てしまうような性格だったそうです。「何をすればどうなるという思考が一切なくて、その時の感情の赴くままに何かをして、しかもすべてやりっぱなし」なんだそうです。母親も似たような性格で、何と生んだ5人の子供全員を乳児院・児童養護施設に次々と入れてしまったような人物であったそうです。Cの妻もすさんだ家庭環境で育ったようです。

著者の石井さんが悪いわけではありませんが、不愉快な読後感しか残らない本書でした。では読まないほうが良いのか、というとそうではないと思います。現実にこのような事件が起きているわけですから、知らないふりをし続けることはできません。少しでも問題解決に常げるためにも是非ご一読を。

2016年度の書評はこちら