2012年度の書評はこちら

 

201112

マイケル・サンデル 小林正弥訳『サンデル教授の対話術NHK出版  

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昨年NHKの「白熱教室」のシリーズで放送されたサンデル教授の『正義』の講義は大反響を呼び、その授業内容を収録した『これからの「正義」の話をしよう』はベストセラーになり、私も書評で取りあげました。

本書ではその講義内容ではなく、独特の対話型講義の形式について、小林教授がその産み出された経緯、運営方法などを直接インタビューし聞き出しています。小林教授は一視聴者としてではなく、同じく大学で教鞭を執る当事者のひとりとしてインタビューしていますので、そこらのヘッポコ・ジャーナリストが思いつきで聞いているのとは趣が異なります。

サンデル教授の展開する対話型講義の目的は、自分の意見の正しさや優位性を明らかにすることを目指すいわゆるディベートなどとは異なり、お互いの意見の相違は相違として認め、お互いの意見や思想の深化させることにあります。サンデル教授は学生の意見を取り入れながら、新たな仮定を導入するなど巧みな誘導によってそのような意見のどこが弱点であるのか、どのように補えばよいのか、それとは異なった見方があるのではないかなどの議論を次々と引き出して行きます。小林教授もあれは一種のアートだと言ってます。

アメリカでも『正義』の授業の放映には大きな反響があり、ハーバードビジネススクールでも「倫理」系統の授業を組み込もうという方向で議論が進んでいるそうです。私もコンプライアンスを研究する者としてどのようにすればコンプライアンスの普及をすればよいのか考えてきました。コンプライアンスの議論をするとどうしても「倫理」の問題に行き着いてしまい、「倫理」を経済学や経営学のフィールドにおける論点とするのはいかがなものか、と逡巡していたのですが、サンデル教授の見事な講義は倫理の問題も論理的な議論の対象になることを示してくれ、私のモヤモヤをぶっ飛ばしてくれました。なるほど!

日本でも対話型講義を導入しようとしている高校や大学が多くあると報道されています。日本では永らく役人根性丸出しの教条的教育がまかり通っていました。サンデル教授の名人芸を再現できるかどうかはともかく、対話型講義の導入が、教育によって政府の言うことを良く聞く良い市民を作るだけではなく、より良い社会とはどうあるべきなのか、そのために何をしなければいかないかを主体的に議論できる市民を産み出す場となる契機になってくれれば、と祈念いたします。

 

 

佐々木 紀彦米国製エリートは本当にすごいのか?』東洋経済新報社

 

今般の東日本大震災の後始末を巡り、日本では政治家や官僚などの日本を率いて行くはずの人々の「リーダーシップ」の不在が嘆かれました。それに引き換え外国は、というわけです。佐々木さんはジャーナリストとしての職を休職して名門スタンフォード大学で国際政治経済学の修士号をとったという俊英です。はたからワーワー騒いでいるのではなく、実際の経験に基づいて米国のエリート育成システムを評価していきます。

佐々木さんの率直な感想では、日米の優秀な学生のレベルは(英語力を除けば)ほとんど差がないのではないか、というものです。が、ビジネスの現場などでは大きな差が生まれています。佐々木さんの分析は「日本人は謙虚過ぎですが、米国人は厚顔無恥すぎます」というものです。確かに経済学や経営学の分野での研究実績では米国の大学が独走しており、新しい知見はほとんど全て米国から発信されてきました。しかし、その知見の全てが素晴らしいのか、新しいのか、と言われれば疑問の余地なしとはしないのではないでしょうか。しかしながら謙虚な日本人は宗主国様のおっしゃることには「ハハー」とひれ伏してしまいます。MBA様のお通りだ、ってね。

講義にしても、サンデル教授の授業のような知的関心をそそるようなものは例外で、授業より研究を重視している教授も多いそうです。ソンナモンダッテ。

ただし、佐々木さんは何でもかんでも米国はだめで日本は素晴らしいんだなどとは言っていません。米国の教育制度には悪いところもあるけど、見習うべきところも沢山ある、というのが結論のようです。悪いところをまねる必要はありませんが、良いところは採り入れなくっちゃ、と思うんですが、どうも日本の良いところは捨てて米国の悪いところばかりまねてるような気がするんですがいかがでしょうか。

例えば、佐々木さんは戦略的思考をする上で歴史を学んでいることの重要性を強調しています。対日政策において米国はどのような戦略を採るのがベストであるか、などと考える上で、歴史、それも日米間だけではなくその周辺諸国の歴史、あるいは歴史上における同様のケースを考察してみることは必須と言えるのではないでしょうか。ところが日本で歴史、というと自虐史観か自慢史観になっちゃうんですよね。イデオロギー的な決め付けをしているだけで何も考えていない……。

佐々木さんは優秀な学生のレベルは日米で差がない、と言っていますが、他方で全学生の平均レベルでは米国の一流大学の方が上だ、とも言っています。つまり、米国では圧倒的な学習量によって学生の全体的なレベルアップを図っていますが、日本ではあまり勉強しなくても卒業できるということです。圧倒的な天才は育てることはできませんが、秀才ならなんとかなる、その秀才の産出量が米国の方が多い、ということです。トレーニングの積み重ねなくして優秀なアスリートは生まれないのと同様に知的能力もきちんとしたトレーニングを経ないと開花させるのが難しい、というところでしょうか。

ただ、佐々木さんは自身の経験を振り返って、米国の学生生活があまりにもストイックでスタンフォードも2年間が限界、5年もいたら知的にはなるかもしれないが、「人間としてはつまらなくなる」、「枯れてしまう」とも言っています。枯れるほど勉強したくはないなあ。

さあ、あなたは米国から何を学びますか?

 

 

ジョン・ダンカン 田淵健太訳『知性誕生』早川書房

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大変すばしこくて人間をあざ笑うかのように逃げまくるゴキブリですが、その行動原理は単純で、人間などが引き起こす空気の流れを感じ取り、それと反対方向へ逃げるというものなのだそうです。ゴキブリはこの本能だけで地球における生存競争を何億年も生き残ってきたそうです。ある意味スゴイ。このような本能的行動の基本原理をIRMInnate Releasing Mechanism、生得的解発機構)と呼ぶのだそうです。まあ、人間にだってIRMの痕跡は残っています。目に何か近づくと目をつむってしまうとかね。素敵な異性が通り過ぎる時はどうしても目で追ってしまう……、なんてのは違うか。

人間にだってIRMがあることは事実でしょうが、その説を進め過ぎると私たちには自由意思なんてものが全くないことになってしまいます。その境界はどこにあるのでしょうか。私たちが自由意思と思っていることの一部も実はIRMなのでしょうか。

最近TVなどで脳科学者、なんて方々が活躍されていますが、あれ、一面の正しさは備えているようですが、だからと言って全面的に正しいわけでもないようです。少なくとも今のところは。人間が脳の働きを完全に理解する、ってことは私にはあなたのやることなすことが完全に分かる、ってことになります。そんな日が来るんでしょうか。そんな日は来ないでほしいとも思いますが、人間の全てを理解したいという欲求もあります。うーん、アンビヴァレント。

専門家の書いた文章ですので、かなり難解ではありますが、皆さんが私の書いた駄文を読んでいるときでさえも休みなく働いている脳のダイナミックな働きを理解するための一筋の光明を与えてくれる知的刺激満載の本書。ぜひご一読を。

 

 

ホセ・A・マリーナ 谷口伊兵衛訳 『知能礼賛 痴愚なんか怖くない』近代文藝社

 
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著者のマリーナさんはスペインの哲学者。哲学者ですから当然知性とか論理を尊重します。また、人類がこの知性や論理を基にして発展を遂げてきたことは事実でしょう。ところがそんな知性あふれる人間も、歴史を紐解けば分かるように、明らかに愚かな行動をとることがあります。本書ではこのような愚かな行動を「痴愚」とか「破綻した知能」などと呼んでいます。人間は個人としてばかげた行動をとることもありますし、後になって思い起こせば明らかに間違っていた集団的行動、「ナチスの政権とかソヴィエト体制」など、をとることもあります。そのような場合、「破綻した知能は組織的に思い違いするし、不条理な目標を追求するし、または効果のない手段を用いることにこだわったりする」のです。今の日本の混乱もこの範疇にはいりそうですね。

本書でマリーナは「破綻した知能」の類型を事哲学者らしく徹底的に細かく分類、論じていきます。

哲学者の物事の捉え方、思考のパターンが分かるかもしれない一書でした。頭脳明晰なあなただったらその神髄が分かるかもしれません。私?無理。

 

 

201111

ジェフリー・M・ピルチャー 伊藤茂訳『食の500年史NTT出版

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著者のピルチャーさんはミネソタ大学の歴史学の教授で、専門はメキシコの歴史と文化、特に食の歴史と文化を研究している方だそうです。確かにアメリカ大陸が発見され、多くの新しい作物が旧世界にもたらされ、世界中の食卓の風景が変わったわけですから、メキシコの食文化なんてのは研究対象として大変面白いんでしょうね。

ただし、本書は『何々の世界史』(何々 in World Historyと銘打った、さまざまな切り口から歴史を見つめなおすというペーパーバックシリーズの一冊として企画されたようです。『食の500年史』というタイトルからは新大陸発見以後の食の歴史が取り上げられているような感じがしますが、実際には古代ローマ、古代中国の食の歴史から取り上げられていますので、原題のFood in World History”の方が本書の内容を的確に要約しているような気がします。ただし、ペーパーバックですので、あまたあるトピックの中からかなり絞り込んだ記述がなされているのはやむを得ないところでしょう。

火の使用、つまり調理の発達とともに現代的な意味での人類の発展がはじまったことを考えるといささか残念ではありますが、歴史の記述の多くの部分が食のうちでも食材の話題が多く、いわゆる調理された料理の記述はあまり多くはありません。ただし、現代に近づくと加速度的に記述の密度が増して行きますので、ご辛抱を。日本における食の歴史もちゃんと書かれています。翻訳の伊藤さんは苦労したんだろうな。

あまり取り上げられる機会のない食の歴史をコンパクトにまとめた本書は食卓での話題を豊富にすることでしょう。ぜひご一読を。

 

 

友里 征耶絶品レストラン』鉄人社

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日刊ゲンダイにグルメ評を書かれていたので私も目にしたことがある友里さんですが、友里さんは人呼んで「業界1辛口グルメ評論家」なのだそうです。特徴は常に正体を現さず自腹で飲み食いをすること。自分の金で飲み食いしていれば、ヨイショする必要もないわけですね。有名店をメッタ切りにするのが友里批評の特徴だったわけですが、本書は友里さん初のお勧め本。もっとも、ネットで検索すれば、友里なんて味音痴のとんでもない野郎だってサイトがぞろぞろ出てきます。さあ、どうなることやら。

まあ、私の経験からいっても、グルメ本(とかグルメ雑誌)に紹介されているお店ってのはまずダメ。その理由はグルメ本と飲食店っていうのは、いわば持ちつ持たれつの関係なんですね。利害関係がある。だって、ディズニーランドを紹介している雑誌がディズニーランドのアトラクションを「つまんないから見なくて良い」なんて書くわけないでしょ。そんな本売れるわけないもんね。それと同じ力関係がグルメ本と飲食店の間だってあるはず。でもなぜか皆信用しちゃうんだよな。

ところで、私は一緒に食事したことがあってその舌を信用しているとか趣味が似ている、なんて人の紹介以外はあまり聞かないようにしています。TVのグルメ番組なんかも見るのは好きですが、そのお店にわざわざ行ってみる、なんてことはまずしません。あれは単なるエンターテイメントだもんね。

でも、車の雑誌とか食と関係のない雑誌とか本に紹介されている記事は割合信用できます。だって、利害関係ないもんね。よほどおいしくなけりゃわざわざ紙面を割いたりしませんよ。飯の種である利害関係のある本来の記事の分量が減っちゃいますからね。意外と当りが多かったですよ。

さてさて、友里さんのグルメ評論は信用できるのでしょうか。その評価はぜひご自分で。

 

 

熊野 忠雄拙者は食えん! サムライ洋食事始』新潮社  

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東京には世界で最も多くのミシュラン三ッ星レストランがあるそうですし、私の住んでいるような住宅街でもフレンチ、イタリアン、中華、インド、タイ、和食、その他もろもろのレストランがあります。なんだかんだ言って、日本人は食べ物にうるさいんじゃないでしょうか。

私の知り合いのアメリカ人の弁護士がしばらくの東京勤務の後香港に転勤になったのですが、ランチ(千円以下の毎日食べる普通のお昼やお弁当)がおいしくないとこぼしていました。東京は何と「食は広州にあり」とまで言われた香港も抜いちゃったんですかね。

そんな日本人ですが、一般人が洋食に親しむようになったのはどう考えたって明治維新の後。本書に取り上げられているのは維新前、さまざまな使命を帯びて西洋文明と付き合い始めた武士たちの「食」に関する記述を集めたものです。異国の地で仕事をするだけでなく変な食事や習慣にも適応しなくてはならなかった武士たちの苦労がしのばれます。

江戸時代の日本人は意外にもグルメだったことは知られていますが、当時の血抜きの不十分な獣臭い肉のステーキとか、パサパサしたパン、やたら脂っぽく感じられたであろうバターをたっぷりと使った料理なんかには辟易としていたようです。とはいえ、海外に使命を帯びて行った以上、いつまでも武士は食わねど高楊枝なんて言ってもおられず、腹が減っては戦はできぬ、と慣れない料理を無理やり口に押し込んでいたようです。

まあ、今だって海外旅行に行くときに醤油とか梅干しなんてものを持って行く人も沢山いますからね。私も、日本食を持っていったりはしませんが、帰りの機内ではまずかろうと何だろうと日本食を注文しちゃいますし、空港を出てまず食べたくなるのはラーメンですからね。すしでもてんぷらでも高級和食でもなくラーメン。人のこと言えないわ。

もっとも、酒は世界共通のコミュニケーションの道具で、シャンパンに酔っぱらってペリーに抱きついちゃったお侍さんもいたそうです。最近私も記憶がなくなるし、気をつけなきゃ。

笑えるエピソード満載の本書、ぜひご一読を。

 

 

アルベルト・アンジェラ 関口英子訳『古代ローマ人の24時間』河出書房新社

 
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本書の著者アンジェラさんの本職はイタリアの科学番組の企画制作だそうです。従って本書も活字で書かれていますが、その着想は極めてヴィジュアル。ちょうど「古代ローマ人の一日をカメラで追ってみましょう」といったノリで書かれています。

本書の舞台であるローマ、時は紀元115年。日本では…、「卑弥呼さまー」よりも前。その頃のローマには上水道も引かれ、家の中には古代に由来する調度品(古代ローマのさらに古代、たとえば古代エジプトの品々など)が飾られていたそうです。ファッションや美容、理容にも多大なるお金をかけていたようです。また政治体制や法律を始めとする統治機構もきちんと整備されていました。食べ物だってそう。ないのはコーヒー(アフリカ原産ですが一般的に飲まれるようになるのはイスラム時代)とかココア(アメリカ原産。“発見”されてないもんね。トマトもそう)ぐらい。しかも、現代であれば健康的とされるようなメニューが供されていたようです。つまり、電気機関や動力機関がないだけであとは現代と同じような暮らしをしていたということになります。人類の進歩なんてそんなもんなのです。

江戸時代の日本の江戸は当時世界でもまれな百万都市で大変エコな暮らし方をしていたと絶賛されていますが、2000年前のローマだって百万都市(人口150万人とも200万人とも)だったそうですし、大小便の回収も行われ、回収された小便は洗濯に(ホンマかいな)、大便は飼料として使われていたそうです。もっとも燃料や建築用にガンガン木を伐採、ローマははげ山になっちゃったそうですが。ここら辺は江戸の方が上だな。

本書で大変面白いのは、登場する人物やエピソードが実際に出土した墓碑などの記録からとられたものが多いことでしょうか。2000年前の具体的などこそこの誰それさん(皇帝とか有名人でなくても)が何をしていた、なんてことが分かるんですね。ともあれ、古代ローマ人1日をカメラで追ったような本書、さまざまな情報がてんこ盛りで盛り込まれています。知的関心をそそられる一冊でした。ぜひご一読を。

 

201110

アジット・K・ダースグプタ 石井一也監訳『ガンディーの経済学』作品社

 

マハトマ・ガンディーはアカデミックな意味での経済学者ではありませんでしたが、民族運動のカリスマ的指導者、政治家として経済とは決して無縁ではありませんでした。ただし経済学者としての著作があるわけではありませんので、ダースグプタさんという同郷の経済学者がその思想を読み解きました、というのが本書の成り立ちです。

ガンディーは「機械は「壮大だが恐ろしい発明物」である」、「需要と供給の法則は悪魔の法である」、「トラクターと化学肥料はインドの荒廃を意味するだろう」などの言葉を残していますが、決して生産活動そのものを敵視するような過激な思想(あらゆる殺生を禁じるジャイナ教とか)の持ち主ではなく、インドとインド人を搾取するために押しつけられた植民地における経済運営に反対していた、と見るべきなのでしょう。

人間は、合理的経済人に見られるような「経済的選好」だけで人間は行動するのではなく、「倫理的選好」をも加味した経済的行動を採るのだという考え方は、ガンディーの生きていた時代の経済学者にはピンとこなかったかもしれませんが、21世紀になった現代の経済学者には受け入れざるを得ない考え方なのではないでしょうか。

ガンディーは衣食住が保証されるなどある程度の物質的欲求は満たされなくてはいけないとしていますが、だからと言って物質的欲求を無制限に追求すること、進歩を物質的なもののみに求めることには反対していたようです。人間が尊厳のかけらもなく飢餓のうちに死んで行く状態が好ましくないのはもちろんですが、いわゆる餓鬼状態となって、どれだけの物を手に入れてももっと、もっと、と際限なく欲望に振り回されている状態にもガンディーは批判の目を向けています。その境目がどこにあるのか、は時代や環境によっても異なるのでしょうが、現代であれば、インドの不可触選民とアメリカのスーパーリッチの状態の間のどこか、ということになるのでしょうか。ま、今じゃだいぶインド寄りになっているんだろうな。

また、ガンディーは機械に代表される進歩主義にも反対だったようです。ともすれば進歩に対する反対は人類に石器時代に回帰しろと言っているようにもとられたようです。しかし、ガンディーの時代から半世紀経って、「自然への回帰」という言葉も以前よりはすんなりと理解されるのではないでしょうか。

いすれにしても、ガンディーが問題にしたのは特定のイデオロギーが正しいかどうかではなく、それが当時のインド及びインドの人民にとって有用であったか、幸福をもたらしていたかどうかを問題にしていたようです。最も嫌っていたのは、植民地主義。経済合理性だとか何だとか都合のよい理屈を並べ立てていますが、究極の目的はインドから搾取すること。だからあの時代において機械類に頼った生産を嫌ったのです。

表面的な理屈ではなく、本質を捉える思考が必要なのではないでしょうか。小賢しい経済学だけで物事を決定できるほどこの世界は単純ではないのですから。

 

 

アスペクトブータン取材班幸福王国ブータンの智恵』アスペクト

【送料無料】幸福王国ブ-タンの智恵

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中国とインドにはさまれたヒマラヤの秘境にブータン配置しています。面積は3万8千平方キロ、人口は63万人ほどの小国です。永らく鎖国状態でしたが、最近では観光にも力を入れ始め、外国人観光客にも門戸が開かれるようになりました。

そんなブータンが有名になったのは第四代国王が提唱したGNHGross National Happiness、国民総幸福量)という考え方です。経済力を示すGNPではなくGNH。だもんで、経済開発なども決して急がない。国民が本当に幸福になれるかどうかを見極めながら開発を推進しています。

ブータン政府の基本方針は、「持続可能で公平な社会経済開発」、「ヒマラヤの自然環境の保護」、「有形・無形文化財の保護と推進」、「よい統治」。たいへんシンプルですが、今の日本にも適用できるのではないでしょうか。あーだこうだという理屈は結構ですから、国民を幸福にしていただきたい。それが国民の願い。

ところでブータンでは国の政策として公の場における民族衣装の着用が義務付けられているそうです。で、その民族衣装というのが何とはなしに和服に似ている。おまけにブータン人というのがこれまた何とはなしに日本人に似ている。決して江戸末期のセピア色の写真に写っている昔の日本人に似ているのではなく、今現在の日本人にそっくり。若い人なんか服さえ変えれば原宿歩いていても全く違和感がない。お金持ちそうには見えませんが、皆さん良い表情をしていらっしゃいます。

幸福とは何なのか、私たち日本人ももう一度考え直してみる必要がありそうです。  

 

 

ヴィジャイ・マハジャン 松本裕訳『アフリカ 動き出す9億人市場』英治出版

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赤道を挟んで南北に広がるアフリカ大陸。面積は3,020万平方キロメートル、人口は本書では9億人となっていますが、10億人を突破しているとの資料もあります。人類発祥の地であるともされていますし、四大文明のひとつであるエジプト文明が栄華を極めた地でもあります。広大な大地はエジプトなどを含む、現在イスラム圏に属する北アフリカ、サハラ砂漠以南のブラックアフリカ、熱帯雨林気候に広がる西アフリカ、2010年にはワールドカップも開かれた南アフリカ共和国とその周辺の地域、イギリスの旧植民地(英語が通じる)、フランスの旧植民地(フランス語が通じる)など、文化、気候、人種、宗教、そして50を超える国家など多種多様な要素によって区分けされています。

複雑な成り立ちを抱えていますし、現在でもその矛盾に悩まされており紛争などの絶えない不安定な地域とみなされていましたので、一般的な印象として、アフリカは「市場」や研究の対象としてではなく「施しの対象」として見られてきました。著者のマハジャンさんは現在テキサス大学オースティン校マコームズ経営大学院経営学教授を務める経営学者ですがインド出身ですので、10年、20年前にはインドもそのような目で眺められていたと回想しています。しかし、現在インド経済は急速な発展を遂げており、有望な「市場」として目をつけていない経営者・経営学者は皆無でしょう。マハジャンさんはアフリカにも同じ可能性を見出しています。貧しいと思われているアフリカですが、アフリカがひとつの国だとすると2006年度の国民総所得(GNI)は世界第10位の規模で、「BRICs諸国のうち中国以外の三カ国(ブラジル、ロシア、インド)を凌いでいる」のだそうです。知らなかった。

BRICsの次はNEKS(ナイジェリア、エジプト、ケニア、南ア共和国)だ!

トレンドに乗り遅れないためにご一読を。

 

 

鎌田 東二神と仏の出逢う国』角川選書

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「日本文化の底流を成す神仏習合の歴史を見直し、社会不安に満ちている現代で、平和に向かって何ができるのか。新しい日本的霊性を見出し、その可能性を問う」本です。

鎌田さんは神と仏について、以下のような対比をしています。

l        カミは在るモノ/ホトケは成る者

l        カミは来るモノ/ホトケは往く者

l        カミは立つモノ/ホトケは座る者

なるほど、神と仏は対照的な特徴を持っているようです。ところが日本人はこのことごとく対立する神と仏を一緒に祀っちゃった。おー、何でもあり。この融通無碍な所が日本文化の神髄ですな。ついでにキリスト教のゴッドも付け加えちゃうか。ゴッドは荒ぶる物、ゴッドは降り来たる物、ゴッドは光る物とか。

このように対立するものを全部受け入れちゃう思想、というか柔軟な発想が日本人にはあったわけですね。だもんで、古事記と日本書紀とか相当食い違う国家伝承がほとんど同時期に編纂されても何とも思わないんですね。中国歴代王朝が編纂する正史じゃあり得ないでしょ。最近は記紀に書かれていることは全て歴史的真実だ、なんて世迷いごとを主張する輩も亡霊のように現れているようですが、鎌田さんによればそこらへんもスッキリと解説されています。平たく言えば、色々な出自とか伝承、主義主張を持つ人々がいた、ま、それはそれとして、現実問題をうまく処理していくために八百万の神として祀ることにした、と。別に大した知恵ではないのですが、こんなことも考えつかない頭の固い奴らが世の中にゃうようよ居るんですね。

ところで、神道というとまず思い浮かぶのが軍国主義と手に手を携えて日本を破滅へと導いた“あの”国家神道ですが、鎌田さんは神道(国学)が軍国主義を暴走させた「イデオロギー的元凶」であることは明確に否定しています。

確かに、「もののあわれ」を重要視する心映えと軍国主義では相容れないものを感じます。が、明治維新から第二次世界大戦の敗戦にいたる時期の国家政策において神道(国学)に基づく“ことば”が多用されたのも間違いのない事実です。どこで何が間違っていたのか、は本書では必ずしも明らかにされていません。もしかすると、鎌田さんには心当たりがあるのかもしれませんが、どうも日本の大きなタブーにも触れかねないので明らかにできないのかもしれませんね。

昨今の君が代は起立して斉唱すべし、なんて乱暴な主張を考える上でもバックグラウンドを知っとかなきゃね。日本の古を知り、そして日本人が今一度「日本的霊性」に目覚めるためには好適な一冊だと思います。

 

 

20119

古賀 茂明日本中枢の崩壊』講談社

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著者の古賀さんは東大法学部を卒業の後、通産省に入省、数々の役職を歴任、2008年福田内閣のとき国家公務員制度改革推進本部事務局審議官に就任しました。古賀さんはたぶん役人としては真面目だし仕事に熱心な方なのでしょう。民主党による政権交代を経て審議官を退任、経済産業省大臣官房付という閑職に追いやられた後公務員制度改革の必要性を訴え続けたため、ついには事務次官から退職勧奨されたとか。

こう聞くと何やら野武士のように自分の意志を貫き通そうとする勇壮なイメージが湧きますが、本書を読む限りでは古賀さんはそのようなタイプの方ではないようです。大体、民主党政権になってからも古賀さんが公務員制度改革を訴え続けたのは民主党の掲げた脱官僚、政治主導のマニフェストと方向性が完全に一致すると思っていたからなのだそうです。ところが民主党政権は官僚組織に完全に取り込まれてしまっていたのです。

古賀さんが問題としているのは、「現在の国家公務員制度の本質的な問題は、官僚が国民のために働くシステムになっていないという点に尽きる。大半の官僚が内向きの論理にとらわれ、外の世界からは目をそむけ、省益誘導に血道を上げているとどうなるのか。昨今の日本の凋落ぶりが、その答えだ」

組織が内向きの論理、「村の論理」に取りつかれるとどうなるのかは拙論「コンプライアンスを機能させるための組織で論じたところです。もっとも有名な例として取り上げられるのが日本軍部の暴走と敗戦でしょう。

内容としては古賀さんの体験がディテール過剰とも思えるほどの記述(しかも実名入り)で続きますが、主張するところは良く言えばまとも、悪く言えば普通。そのまともで普通なことすら実現できない霞が関の現実。それにしても日本のマスコミの本書の取り上げ方も完全に腰が引けていますねえ。退職勧奨なども政局と絡めて面白おかしく取り上げられていますが、日本の将来のグランドデザインをどうしよう、なんて報道は全く出てきません。官僚組織だけでなくマスコミも含めた日本全体が動脈硬化を起こしているんじゃないでしょうか。

日本のGDPが中国に抜かれて3位になったと言って騒いでいますが、一人当たりのGDPについては特に大きくは報道されていません。

アジア開発銀行が発表した2010年のアジア太平洋地区の1人当たりGDP(購買力平価換算)の国・地域別順位は以下の通り。
1
位・シンガポール5795ドル
2
位・ブルネイ48194ドル
3
位・香港43464ドル
4
位・オーストラリア37132ドル
5
位・日本32620ドル
6
位・台湾31727ドル
7
位・韓国28368ドル
http://news.livedoor.com/article/detail/4989555/

アジアにおいて日本は断トツでなくてはならないなどと主張するつもりは全くありませんが、昨今の日本の運営がうまくいっていなかったこと、そして何よりも日本人は個人としてあまり豊かではないことの証左なのではないでしょうか。あいつのせいだ、こいつのせいだと言う前に、現実を現実として認め、何がいけなかったのか、次に何をしなくてはいけないかを考えなくてはいけないのではないでしょうか。

 

 

ウィリアム・ブロード、ニコラス・ウェイド 牧野賢治訳『背信の科学者たち』講談社

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原著である”Betrayers of the Truth”1982年に刊行され、その訳も同じ翻訳者で1988年に刊行されたそうです。本書はその訳に多少加筆訂正する形でブルーバックス版として出版されました。原著が発刊されたころ、アメリカでは自然科学分野での「ミスコンダクト」(捏造、改竄、盗用等)が問題になっていたそうです。そしてその対策も科学界の抵抗をはねのけてシステマティックに導入され始めていたころだったそうです。それに対して日本の科学界では科学者の「ミスコンダクト」はアメリカみたいな競争主義社会でしか生まれないものだ、と高みの見物をしている雰囲気だったそうです。ま、今じゃアメリカに追いついた(「ミスコンダクト」の点で)そうですが。

ただし、世に知られた「ミスコンダクト」が完全に「クロ」と断定できるかどうかは微妙なようです。有名な「ピルトダウン人事件」(イギリスはピルトダウンで発掘された捏造人骨化石)も、最近新たな展開があり、最近では本書の収録内容とはいささか違った解釈がされているそうです。また、本書の発刊後の事件でも長い裁判の結果当事者たちに「シロ」の判決が下った事件もあります。また、かの有名な「常温核融合事件」などは現在でも完全に「クロ」とされ、関わった科学者は全員科学の世界から締め出されたとも言われていますが、本当は何かあったのではないか、と疑っている科学者もいると言われている(大っぴらに言うと今でも学会追放だそうですが)事件もあります。

また、ガリレオ・ニュートン・メンデルといった現代でも正しいと思われている定理の発見者たちの実験結果は、現在でも再現不可能ではないかと言われるほど整ったものだそうです。果たして実際の実験の結果なのでしょうか、それとも思考実験の結果だったのでしょうか。

さらに、今では日本のお札にも登場する野口英世。数々の病原性微生物を分離したといわれ、国際的な名声を得ました。しかし、「彼の死から約50年後、彼の業績の総括的な評価が行われたが、ほとんどの研究がその価値を失っていた」そうです。本書では彼の業績がでっち上げだったとまでは断定していませんが、国際的に著名な研究室のエリート研究者であった野口には「顕著な業績を規則的に生み出す必要に迫られていたのだろう」としています。

とは言え、プトレマイオスの天動説だって1500年間も本当だとされていたんですよ。何が正しく、何が間違っているかなんて神ならぬ身にはなかなか判断が無塚視鋳物があります。しかも、プトレマイオスは自分で観測したのではなく、それより200年以上前のヒッパルコスの業績を丸写ししていたんですって。ここまで大胆なインチキになると見抜く方の力量も問われることになりますね。

いろいろ考えさせられる一冊でした。

 

 

大川 悠・道田 宜和・生方 聡『名車を創った男たち』二玄社

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ときはバブル、1989年から1990年にかけて日本の自動車会社から次々とエポックメイキングな車が生まれました。「おー、最近景気がいいから一丁派手な車を売りだしちゃおうぜ」、と思ったとしても、自動車の開発には多くの人間が関わりますし、開発にも時間がかかります。新車発表までには3年から5年の期間が必要だと言われています。

同じ時期に生まれた各車にも、開発の裏には色々面白いエピソードがあったんではないの、ということで、カーグラフィック誌の面々が6台の名車の開発リーダー(ホンダではラージ・プロジェクト・リーダー、ニッサンでは開発主査、トヨタでは製品企画室主査など、様々な肩書で呼ばれているようです)にインタビューし、一冊にまとめたのが本書です。

採り上げられてのはホンダNSX、ニッサン・スカイライン(R32)、ユーノス・ロードスター、スバル・レガシィ、ホンダ・バラードCRX、トヨタ・エスティマ(初代)という、いずれも発売時には大きなセンセーションを巻き起こした(少なくともカーマニアの間では)モデルたちです。インタビューを行ったのは最近ですから、車によっては発売から20年以上を経過している計算になります。20年たって車造りはちゃんと進歩しているのでしょうか。

車の開発の中心となるのは当然エンジニアを中心としたその道のプロフェッショナルたちです。が、プロとしてのこだわりが様々な軋轢を生むことになります。エンジニアなんてものは、テストドライバーに車が曲がらないと言われれば、お前の腕が悪いんだと思い、経理にもっと安く作れと言われたら紙ヒコーキ作ってんじゃねーぞと毒づき、販売にそんなんじゃ売れないと言われるとこんな良い車が売れないのはセールスマンがたるんでいるからだと言い返し、デザイナーにかっこ悪くなるからそんなことできないと言われると馬子にも衣装を作るのが仕事だろうとどなり散らし、エンジニア同士でも車はエンジンだ、いやシャーシーだ、いやサスペンションだと際限ない争いを繰り広げると相場は決まっています。ま、その他の面々も似たようなもん。それをまとめるのがリーダーの仕事。でも、同じような光景はどこの会社や組織でも見られるのではないでしょうか。とは言え、開発リーダーの面々が用いた方法は様々。自己主張を貫き通した方、搦め手を使った方、はたまた飛び道具を使った方など。

自動車雑誌の記者がインタビューしていますので、どうしても興味の焦点は車そのものに関わるマニアックな話が頻出しているのはやむを得ないところでしょう。でも、経営学者がインタビューしたのではきわどいエピソードなどは聞き出せなかったのではないでしょうか。私はいわゆるカーマニアってやつですので、面白かったですが。

最近の原子力発電の報道でも分かる通り、理系の専門家の話ってのはなかなか聞けないものです。エンジニアの頭の中が覗ける一冊でした。

 

 

岩崎 夏海エースの系譜』講談社

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あの『もしドラ』を書いた岩崎さんの出版されなかった処女作です。

岩崎さんは高校時代、「拠ん所ない事情から野球部のない学校に通っていたのだが、そこで野球をするには、何式の同好会へ入るしかなかった。そのため、甲子園への道は初めから閉ざされており、そのことが、甲子園出場が幼いころからの夢だったぼくにとっては身を引き裂かれるような痛恨事になっていた。そのためいつからか「今のこの状態から甲子園に行くにはどうすればよいか」とその道筋を夢想するのが癖となった」のだそうです。『もしドラ』も本書も実体験から発想されたものだったわけですね。

本書のテーマは「「組織(チーム)」がすべてをゆだねられる「存在(エース)」とは何か」。経営学ではリーダーシップの問題になるのでしょうか。ただし本書での主人公は野球部顧問の教師ですから、自身のリーダーとしてのマネジメントとともにチームにおける「リーダーの養成」がテーマになっています。ですからリーダーシップの問題と部下の育成・教育の問題が絡み合っています。

昨今、日本では絶対的な「エース」「リーダー」「司令塔」の不在が大きな問題となっています。しかし、最初から「エース」である人間なんかいませんし、あらゆる人間から「リーダー」として尊敬される人間もいないでしょう。また、あらゆる局面で「司令塔」として指示を出せる人間もいないと思います。スーパーマンはいませんが、それでもリーダーは必要です。そのためにはチーム全員が今何が必要であるか、誰がその任に適しているかを考え、いったんリーダーとして担いだからにはそのリーダーを徹底的にバックアップする覚悟があることが必要なのではないでしょうか。批判のための批判など必要ありません。批判するのであれば、自らが次のリーダーになる気構えを見せなくては。

民主主義の国アメリカでは意外にも大統領に対する敬意は絶対に払わなくてはいけないものとされているそうです。アメリカの大統領は貴族でもなんでもありませんし、任期も決まっています。しかし、だからこそ、国民の信を受けて一旦大統領になった以上、たとえその政策に反対であろうと何であろうと大統領として当然払われるべき敬意を以って対応することが求められるのです。例え友達だろうが年齢が上だろうが政治家として先輩だろうが公式の場では「Mr. President」と呼びかけなくてはならないのです。

どうも最近自分に矛先が向かないことをいいことに口先だけの輩が多いような気がします。あ、私もその一人か……。

 

20118

佐高 信竹中平蔵こそ証人喚問を』七つ森書館

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なんとも刺激的な題名の本書ですが、佐高さんが証人喚問しろと糾弾している問題は1.木村剛が会長であった日本振興銀行の破たんの責任、2.郵政民営化に伴うかんぽの宿のオリックスへの払い下げの問題、3.個人的に行っている悪質な税金逃れ、の3点です。詳しい内容は本書をお読みいただきたいと思いますが、多くの方が「そうだよなあ」と思われるのではないでしょうか。

本書で佐高さんは竹中元金融担当大臣意外にも同じ時期に同じように活躍した面々も俎上に載せて断罪しています。それぞれが何をやったかは本書をお読みいただきたいと思いますが、ほとんどの方はそれほど凶悪な人相をしているわけではありません。恐らく、自分がやってきたことは正しいと信じて疑ったこともないのではないでしょうか。他人の痛みには無関心、大切なのは自分だけ。反省のできない子供大人というのは始末に負えませんね。

  

佐高 信、鈴木 邦夫左翼・右翼がわかる!』金曜日  

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ご存知評論家の佐高さんと学生時代から右翼・民族運動にもかかわり、「一水会」の代表でもあった鈴木さんの対談集です。「一水会」っていわゆる右翼団体ではありますが、左翼との議論もいとわない団体なのだそうです。とはいっても、対する佐高さんも最近は左翼だと思われていると本人は言っていますが、別に共産主義者とかではありません。思想的に柔軟な二人の憂国の士が教条主義的右翼・左翼を両方ともおちょくる、ってとこでしょうか。

鈴木さんは「左翼は死滅した、右翼は乗り越えられた」と喝破しています。昨今の永田町の混乱を見ていると確かにそうだなあと思いますね。この国をどうするのかといった骨太の議論はしないくせに、国民そっちのけで空疎で教条主義的な意地の突っ張り合いをしているだけじゃないですか。

右翼と左翼両翼の論客が今の堕落した右翼と左翼に喝を入れます。どうも昨今の何の理論も理屈もない愛国心の強要や教条主義的なイデオロギーの押し売りに辟易としているあなたにピッタリな一冊です。ぜひご一読を。

 

 

竹田 恒康日本はなぜ世界でいちばん人気があるのかPHP新書

 

著者の竹田さんは旧皇族・竹田家の生まれで、明治天皇の玄孫にあたるというやんごとなきお生まれの方です。慶応義塾大学法学部法律学科を卒業された作家で『旧皇族が語る天皇の日本史なんて著作があります。ま、左翼なわけないな。

本書の前半は日本のアニメや日本食などがいかに世界で好まれているかが紹介されています。で、後半になると何でもかんでも日本が素晴らしいのは全て天皇のおかげ、と天皇への礼賛が続きます。竹田さんは「天皇を語らずして日本を語れるはずがない」とか「日本文明は天皇を中心に育まれ、発展してきたことは紛れもない事実であり、天皇なくしては日本は存在してないのである」と書いています。なぜそうなのかといった論理的な説明は全くありません。右翼の論理は天皇という言葉に出くわすと途端に思考停止に陥るようですね。「天皇が好きか嫌いか、それは個人の趣味の問題であろう」とも書いてありますが、天皇廃止論なんて口にした瞬間に非国民、とか言われちゃいそうですね。

私も竹田さんと同じく自虐史観から離れて日本人が日本人と日本の素晴らしさに目覚めてほしいと願っています。ただしそれは自虐史観の裏返しの自慢史観であってほしくはありません。そのためには自分とは異なる主張であっても認めることのできる度量が必要とされます。竹田さんは間違っても佐高さんと対談なんてしそうにありませんね。

 

 

加治 将一陰謀の天皇金貨』祥伝社

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私は小説の類はあまり読まないのですが、加治さんの作品は『失われたミカドの秘紋に次いで2作目です。表だって騒ぎ立てるとヤバイことになるかもしれない題材をフィクションの体裁で発表しています。

昭和天皇の在位60周年記念に発行された10万円金貨の偽造事件は1990年に発覚しました。通貨偽造というのは大変に罪が重く、3年以上の懲役が課されます。最高は無期懲役。なぜこのように重い刑が課されるのかというと、通貨とは一国の経済活動を円滑ならしめる上で必要不可欠とされているからです。金貨ならともかく紙幣なんてのは原価数円と言われています。輪転機回しゃ刷れるんだからね。じゃ、何でみんなお金として受け取るのかというと、法的には強制通用力が認められているからなんですが、実際には政府がちゃんと信用されているから。政府が信用されていないと自国通貨が使えなくなっちゃって、「ギブ・ミー・ダラー」なんてことになっちゃう。それではならじと通貨偽造犯には警察も厳しいわけです。カラーコピーした紙幣を使うなんて言う素人じみた犯罪でも新聞沙汰になっちゃうでしょ。であるにもかかわらず、10万円金貨事件は誰一人として逮捕されることもなくうやむやのうちに迷宮入り、雲散霧消してしまいました。

本書はそんな事件の裏側を小説仕立てで暴いて行きます。とはいえ、政治家などは実名で書かれています。その他もネットで検索すれば大体の察しはつくのではないでしょうか。本書に登場する10万円金貨の発行責任者の牛山大蔵省理財局長ってあのガハハと笑う××さんだと思うんですが、どうなんでしょうか。

 

20117 

イオン・アルゲイン2015年までの経済大激変』ヒカルランド

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本書の題名は正式には『聖書の暗号はこう言っている 2015年までの経済大激変 日本人が取るべき進路を集中解析』となっています。あまりにも長いので(どこまでが題名なんだかも良く分からないし)冒頭では端折りましたが、確かに全部読むと本書で何を解決しようとしたのか、どのようにその情報を得たか、なんてことが分かります。おー、いわゆるスピリチュアル系の本ですね。

著者のイオン・アルゲインさんは仰々しい名前とは裏腹にれっきとした日本人です。本書には本名(多分)までちゃんと書いてあります。何のためのペン・ネームなんでしょうかね。

ところで本書の正式題名に「聖書の暗号」が入っていることからも分かるように、アルゲインさんは聖書の暗号を専用のソフトウェアで解析して未来を予測しています。ただし選択可能な未来は複数あると解釈しているところが今までと違うところでしょうか。詳しいことは本書をお読みいただきたいと思いますが、前に『まだ科学で解けない13の謎』でご紹介した複数の宇宙が同時に存立しうる可能性があり、「我思う、ゆえに我あり」という有名なデカルトの言葉を地で行く、我々がいるからこの世界はこうなっている、という現代物理学における解釈にも通ずるものを感じます。何たって人間社会は人間自身が作っているのですからね。今よりよりよい社会を作る可能性だって悪い社会を作る可能性だってあるんです。頑張らなくちゃ。

本書の「あとがきにかえて」でアルゲインさんは「私たちの文明は、これから避けられない転換期を迎え、大きく変わろうとしています。今変わらなければ、この先にある環境の変化に適応していけないのです。そこで今まで作りだした大切なものを、この砂曼陀羅のように手離さないといけなくなるのです」と書かれています。先日明治から昭和期の日本人洋画家の作品を集めたある美術館のオープニングに立ち会いました。そこに収容されている画家たちの生没年を見ると、ほとんどの画家が明治維新、太平洋戦争における敗北といった日本近代の大きな節目を生き抜いてきたことが分かります。文明の節目、とまでは行かないかもしれませんが、我々市井の人間にとっては一生をかけて築いてきた一切合財を手離さなくてはならないような大きな変化というのは戦争や天災も含めると実は結構頻繁に起きているのではないでしょうか。

人間は保守化するとどうしても思考を停止してしまい、現状維持を望むようになります。しかし変革の波は実は常に押し寄せているのです。考えに考え抜いて新しい時代を切り開いていこうではありませんか。

 

 

高島 康司「支配-被支配の従来型経済システム」の完全放棄で 日本はこう変わる コルマンインデックス未来予測[2020年までの歩み]』ヒカルランド

 

本書は高島さんが「マヤカレンダーのコルマンインデックスを中心に、これまでのLEAP/E2020、ウェブボット、サイクル研究所の「リンゼーの社会変動サイクル」などの信頼できる予測に加えて、今回、米国の次世代防衛システム(通称スターウォーズ構想)からの「マリーンプロジェクト」、CIA系シンクタンク「ストラトフォー」、「ペンタゴンレポート」、さらには、グレッグ・ブレイデンの「フラクタルタイム」、テレンス・マッケナの「タイムウェーブゼロ理論」、「バルボールサイクル」(占星術)、リンダ・シュアマン、ジョン・ホーグらの予測も加味して、そのシンクロニシティする交合点において、日本の未来を探って」いるんだそうです。いやあ、抜き書きするだけでも大変だった。問題はこれらの未来予測がそう遠くない将来(数年以内、2012年末頃?)に地球規模の大きな変動・変革が起きるのではないかと予測していることです。そしてその動きは既に2010年の夏ごろに始まっていたのだそうです。なんかあったっけ。

で、今起きている変革とは何か。ずばり「金融資本主義の終焉」です。だもんで、長期の不況が続くことになります。ただし、不況が来てアメリカも日本も滅亡するのではなく、新たに始まる持続可能な経済体制、「脱消費社会」の始まりになるとのことです。

まあ、宇宙船地球号の資源を収奪するだけの経済体制が長く続くわけはありません。ただ、この変化には多大の痛みが伴うのではないでしょうか。単に不況である、というだけではなく、私たちの消費中心の生活様式を変えることや、経済成長を所与のものとして捉えるような考え方も変えざるを得ないのではないでしょうか。あなた自身が今まで実践してきたこと、あなたが人生を通じて実現したあれこれはすべて間違いであったと認めなくてはならないのです。これは単なる物質的な痛みよりはるかに厳しいのではないでしょうか。

あなたは素直に自分がやってきたことが間違いであったと認めることができますか?

 

大石 憲旺、高橋 康司、中矢 伸一『日月神示の緊急未来予測』ヒカルランド

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本書の共著者の一人大石さんは市場調査の会社を経営するビジネスマンの傍ら25年にわたり宇宙の神々と毎日更新しているという方、高橋さんも英会話セミナーの主催や経営コンサルをする傍ら『「支配ー被支配の従来型経済システム」の完全放棄で 日本はこう変わる コルマンインデックス未来予測[2020年までの歩み]』でご紹介したとおりコルマンインデックスを日本に紹介している方、中矢さんは米国留学時に日本と日本民族の特異性に目覚め、現在は「日月神示(ひつきしんじ)」の研究家として知れている方です。三名ともかの有名な船井幸雄さんのお友達だそうです。船井ワールド全開。うーん。

「日月神示」は、神典研究家で画家でもあった岡本天明氏が自動書記で書いたという神からのお告げで、昭和19年ごろから書き始められたそうです。時節柄戦争に関するお告げもあったそうです。日本は戦争には負けるけれど復活するって。ま、意外と新しい。大石さんは「宇宙の神々」、高島さんは「コルマンインデックス」という異なった経路をたどって「日月神事」に行きつくわけですが、意外にもこの三つがほとんど同じような時期に同じような大異変が起こることを予言しているのだそうです。

具体的な予測内容は本書をお読みいただきたいと思いますが、オカルト的な未来予測から軍事研究から出発したようなシンクタンク、あるいはシステマティックにウェブ上の情報数をカウントするようなシステムまでが同じような未来を予想していることには興味を惹かれます。ただ、2012年末頃にアセンションが起こって特定の信心深い少数だけが救われ、その他の異端どもは滅亡する、なんてことではなくて、その後も人類はちゃんと地球上に生き続けるようです。ま、ひとまずほっとするな。

人類が滅びちゃうわけではありませんので、やけのやんぱちにならずに、考えに考えて少しでも良い世の中にしようではありませんか。

 

 

池田 整治マインドコントロール2)』ビジネス社

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著池田さんは元自衛隊陸将補という肩書を持っておられますが、一方でオウム事件などを契機に世の中の「真実」に目覚め、輪廻転生をテーマにした著作なども書かれているという方です。

洗脳については本書評でも苫米地英人さんの『洗脳支配などで採り上げと通りですが、本書の池田さんや上記高島さんを含め、現在の日本は見事にアメリカにコントロールされているという認識を持っていらっしゃる方は段々と増えているようです。

ただし、情報操作という意味では「洗脳」は遥か昔から行われてきました。歴史的な例として、池田さんはかの有名な桶狭間の戦いは小よく大を制するような奇襲作戦ではなったとしています。自衛隊に所属する戦闘のプロとして現地にも足を運んだそうですが、絶対に昼間の奇襲など成功するはずがないと確信したそうです。

なぜそんな説が広まったかは本書をお読みいただくとして、いったん広まった「伝説」を覆すには伝説を作り上げる以上のインパクトが必要です。一部の人間が気付いただけでは足りません。従って、日本がアメリカの植民地支配から抜け出すには大変な困難が伴うものと思われます。日本人が覚醒しさえすれば善良なアメリカ人は日本人の言うことを聞いてくれるなんてことは絶対にありません。アメリカ人はみんなジャイアンなんですよ。俺の物は俺の物、お前の物も俺の物。アメリカにとって日本はかけがえのないカネヅルなんです。アメリカの懐具合が悪い時にちょっと脅せばすぐ金を出すカモ。飼いならした家畜が野性に目覚めそうになったら、去勢するとか一発ガツンとかましておとなしくさせなくてはなりません。アメリカとその裏に居るイギリスは何百年も植民地経営を稼業にして来たんですよ。あらゆる手練手管を使ってくるはずです。人を欺くことにかけては彼らに一日の長があります。

さあ、どうすれば植民地のくびきから抜け出すことができるのでしょうか。さあ、考えに考え、そして実行しようではありませんか。

 

20116

伊藤 清確率論と私』岩波書店

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著者の伊藤さんは「日本の確率論研究の基礎を築き、かつ多くの俊秀を育てた伊藤清。またフィールズ賞に並ぶガウス賞第1回受賞のほか数々の栄誉に輝く」大数学者です。また、金融関係の人間にとってはオプション価格理論として名高いブラック・ショールズ方程式を計算可能にした理論(伊藤の補題、Ito’s Lemma)を導出したことでも大変お世話になっている方です。もっとも、本人は経済学とかお金のことには全く無関心で、数学者が経済戦争の担い手となっている現状に大いなる困惑を覚えていたようです。

そんな伊藤さんの書いたエッセイではありますが、数学の専門家が読むとしか思えない雑誌や学会誌などに書かれたものばかりですので、数学なんぞとはあまり縁のない方にはエッセイとは名ばかりの数学の論文ではないの、と思われるような文章も多く収録されています。何しろ伊藤さんは「「厳密で美しい数学の言葉」で論文を書くことを生涯の仕事にしたいと思っていた」数学バカですからね。数学にロマンを感じていたようですが、「ニュートンの運動方程式を解いてケプラーの遊星運動の法則を導くことに心のときめきを覚える」って言われてもねえ。数学バカの伊藤さんは娘に「計子」なんて名前をつけちゃったぐらいです。お嬢さんは自分の名前が嫌いだったそうですが、その心情は察して余りある……。

また、数学バカの伊藤さんは筋金入りの反戦論者でもあります。自身は徴兵検査ではねられて従軍経験はありませんが、経済戦争を含めたすべての戦争に反対の立場をとっています。同時代人として体験した原爆の開発に数学は(物理学を通して)多大な貢献をしていたわけですから、ホモ・ルーデンスを自任する伊藤さんもとてもではありませんが賛成するわけには行かなかったのでしょう。

しかし、一芸を極めた方のエッセイですので、数学論の向こう側に理想的な教育者とはどうあるべきかとか、学問の追求において理論と直感のバランスをどう取るのかといった問題にも興味深い示唆を与えてくれます。そんな伊藤さんですのでいわゆる純粋数学のみに傾倒すること無く、確率解析学のような応用数学方面で活躍したのでしょう。

数学者ってどんなやつなのか、を垣間見られる一冊でした。

 

 

マイケル・ブルックス 楡井浩一訳『まだ科学で解けない13の謎』草思社

【送料無料】まだ科学で解けない13の謎

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著者のブルックスさんは量子物理論で博士号まで取得した科学ジャーナリストです。そのブルックスさんが現代科学でも解けない13の問題(変則事象、anomaly)について分かりやすく、ときには身体を張って解き明かしていきます。

取り上げる話題は物理学(暗黒物質や常温核融合など)、生命科学(生命とは何か)、哲学(自由意志はあるのか)から医学(ホメオパシーの効果)などに及びます。具体的な議論は本書をお読みいただきたいと思いますが、どれをとっても大変面白く書かれていることだけは保証します。

アインシュタインの「神はサイコロを振らない」という言葉は有名ですが、これに対してかのニールス・ボーアは「アインシュタインよ、神がなさることに注文をつけるな」と応えたそうです。ル・コルビジェとダリの問答を思い出しますね。もしかしたら科学もカッチリとした論理で構成されているのではなく、「ぐんにゃりして毛のはえた」ものなのかもしれませんね。

世の中、分かりにくい、あるいは分からないからこそ面白いのではないでしょうか。ぜーんぶ分かっちゃったらやることなくなっちゃうもんね。神は人間が退屈しないようにみょうちくりんな宇宙を作りたもうた、なんちゃって。

知的刺激に富んだ大変面白い一冊でした。

 

 

布施 泰和異次元ワールドとの遭遇』成甲書房

 

本書は布施さんが収集した(多くは自身で取材した)異常な現象、「異次元ワールド」の記録です。

布施さんはケンブリッジ大学留学を経て国際基督教大学を卒業、ジャーナリスト経験を経てハーバード大学ケネディ行政大学院で行政学修士号、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院で国際公共政策学修士号を取得したという秀才です。専門は国際支持・経済とメディア論だそうです。政治の世界なんて魑魅魍魎がうようよいるんでしょうから、「異次元ワールド」なんてかわいいもの、なんでしょうか。著作を見ても、国際政治を取り上げたものからいわゆる超古代史とか超能力者を取り上げたものまで書かれています。

本書ではオーラや前世の記憶、UFOや巨石建造物、さらには量子論といったスピリチュアル系ではおなじみの話題が取り上げられていますが、布施さんはジャーナリストとしての冷静な視点を失わないように心がけているようです。

信じる信じないはあなた次第。さあ、異次元の扉へ、いざ。

 

 

久我 羅内めざせ イグ・ノーベル賞 傾向と対策』阪急コミュニケーションズ

 

イグ・ノーベル賞とは1991年、「ユーモア科学研究ジャーナル」という雑誌の編集長であるマーク・エイブラハムズさんが創設した「世間を笑わせ、そして考えさせた」研究、「真似ができない/するべきでない」業績に対して贈られる賞です。笑わせると言ってもお笑いネタとかではなく、いたって真面目な研究であるにもかかわらずどことなくユーモアを感じさせるような研究に与えられる賞です。日本からも犬語翻訳機の「バウリンガル」なんてのが受賞して話題になったことを覚えていらっしゃる向きもあるのではないでしょうか。昨年暮れには、本書には収録されていませんが、「社員をランダムに昇進させた方が組織は効率化する」なんていう経営学者が飯の食い上げになるような研究が受賞しています。その他の具体的な受賞内容は本書の他『イグ・ノーベル賞や『もっと!イグ・ノーベル賞』などをご参照いただきたいと思います。

イグ・ノーベル賞を受賞しても賞金は出ないそうですが、ユーモアあふれる賞品がもらえるそうです。ノーベル賞みたいに高額の賞金もうれしいでしょうが、ユーモアとエスプリとウィット(どう違うんだ?)の効いた賞品ってのもなかなか楽しそうですよね。

前述のようにイグ・ノーベル賞の対象研究はおふざけではありませんので、考証は科学的に行われています。ただ、その対象がいささか変、あるいはわざわざ手間暇かけて証明するような問題か?というものが多いようです。「ラットは日本語の逆さ言葉とオランダ語の逆さ言葉を聞き分けられないことの発見」なんて、だから何だ、という感じではありませんか。

でも、これを研究した方はこの小さな疑問を大きく膨らませてきちんとした実験手順を考案、それを実際に証明して見せたわけです。普通であれば、そんなもんどうでもいいだろう、とか、そんなもん役に立たないよ、とか、どうせ駄目だろう、なんて言って頭の中からそんな疑問とか着想を追い出してしまうのではないでしょうか。何もしなければ何も生まれないのに。

これで思い出すのは布施さんの『異次元ワールドとの遭遇』で紹介されているこんな逸話です。戦争中、NHK技術研究所の内田という研究者が鉱石による電気の増幅作用を発見しました。実はこれ、後に開発されるトランジスタそのものだったのです。ところがこの研究を発表しようとした内田さんに対し、NHKの上司は「鉱石で増幅するはずがない。君は、味噌汁で顔を洗ってきたのか」、「頭が変になったのではないか。君は研究所の恥だ」といって採り合ってくれず、論文も握りつぶされてしまったそうです。つまんないこと言ってないで論文の共著者にでもなっとけばノーベル賞の共同受賞者になれたかもしんないのにね。でも、この上司は着々と出世して大手電機メーカーの研究所長に天下ったんですって。悪くはないか。

ふと思いついた小さな疑問。うまく育てればイグ・ノーベル賞、いや本物のノーベル賞だって取れるかもしれませんよ。一丁やってみるか。

 

 

20115  

岩崎 夏海もし高校野球の女子マネジャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』ダイヤモンド社

 

ご存知ベストセラーの『もしドラ』。お話としては女子高校生のみなみちゃんがひょんなことから野球部のマネジャーになり、ドラッカーの『マネジメント』を応用して弱小都立高校の野球部を甲子園に連れていく、というものです。『マネジメント』が抜けていると単なるスポ根物語になるわけですが、ドラッカーを組ませることでシナジー効果を狙ったと。本書の後出版されたビジネス書は猫も杓子も『萌え』系アニメを表紙にするようになりましたし、「もし〜〜が〜〜だったら」なんて題名の本も大流行りしました。ま、私も一応経営学で博士号を持っているわけですから、経営学系統のベストセラーくらいは読んどかなきゃいけないんじゃないかね、と遅ればせながら思い、読んでみました。

私の場合、コンプライアンスという方面から経営学にアプローチしましたので、あまりドラッカーには縁がなかったのですが、結構おもしろかったですね。マネジャーの資質として、「人を管理する能力、議長役や面接の能力を学ぶことはできる。管理体制、昇進制度、報奨制度を通じて人材開発に有効な方策を講ずることもできる。だがそれだけでは充分ではない。根本的な資質が必要である。真摯さである」ことを挙げています。なるほどねえ。でも、今のMBA教育なんて人を管理する方法論とか議長役や面接の効率的な方法、どのような組織体制を構築すれば社員を馬車馬のように働かせることができるか、なんてことばかり学んでいるではないですか。どこでボタンの掛け違いが起きちゃったんだろう。

物事がこんなに上手く行くわけないだろうが、なんて思わなくもありませんが、ドラッカーの方法論を現実に生かすとこんな風になります、というシミュレーションとしては良くできているのではないでしょうか。私も組織運営に悩んだ経験がありますが、あー、あんなときはこんなやり方もあったのかな、と思わせられる場面もありました。無批判にドラッカー流を取り入れるのはバカのすることかもしれませんが、ドラッカーを読んで色々と考えて見るのもお悩みの解決の一助となるのではないでしょうか。

 

 

P・F・ドラッカー 上田惇生訳『マネジメント【エッセンシャル版】』ダイヤモンド社

 

『もしドラ』の種本です。ドラッカーの『マネジメント、課題、責任、実践』はハードカバーで3冊にもなる大著ですので(日本語版)、本書はその抄録として刊行されたもののようです。

『もしドラ』だけでドラッカーってえのは、なんて話をするわけにもいきませんので、一応元の本も読んでみました。エッセンシャル版ですが。内容は見事に『もしドラ』とかぶります。『もしドラ』って良くできてるわ。

『もしドラ』に取り上げられていない点のひとつに、人口構造の変化による市場の変化があります。人口構造の変化による社会の変化については拙論「コンプライアンスとリーダーシップにおいて採り上げたところです(エヘン)。ドラッカーは「人口構造は、購買力、購買修正、労働力に影響を与えると言うだけの理由で重要なのではない。それは、人口構造だけが未来に対する唯一の予測可能な事象だからである」としています。そうであるにもかかわらず、日本国政府なぞはすでに人口構造の変化が起こっているにもかかわらず旧来の手法を墨守、結果として年金など社会福祉をパンク寸前にまで追い込みました。マネジメント失敗の事例でしょう。

最近、マイケル・ダグラスが再び主演して1987年に公開された『ウォール街』の続編『ウォール・ストリート』(同じ意味じゃん)が制作されました。前作公開後、貪欲な投資家ゴードン・ゲッコーはマイケル・ダグラスとオリバー・ストーン監督の意に反してアイヴィー・リーグの学生たちのあこがれの的になったそうですが、今作では実際に金融界に生きる人間からはさしたる反応がなかったと聞きまして。なぜかと言うと、現実の金融界の方が何倍もえげつないからなのだそうです。20年ほどの間に現実が映画を追い越してしまったのです。『マネジメント』のオリジナル・アイデアは戦後すぐにGMのマネジメント研究を依頼されたことから始まったとされています。それにもかかわらず本書に書かれていることが陳腐化していないのはドラッカーの卓見でしょう。もっとも、ドラッカーの提案がまともに取り入れられていないからこそ未だに同じ問題で苦しんでいるのだとも言えますが。

人間が人間を評価しマネージすることの難しさは拙論「業績評価と報酬――財務的指標を超えてで取り上げたところです。私も経歴のあちこちで人を管理する立場になることがありましたが、今思い返してみるとマネジメントの失敗例など多く思い起こされ、反省しきりです。『マネジメント』を読んでいればもっと良いマネジャーになれたかどうかは定かではありませんが、今現実にマネージメント・ポジションにいらっしゃる方々、これから社会へ旅立つ方々にとって、本書はさまざまな刺激や示唆を与えてくれるものと思います。ぜひご一読を。

 

 

渋沢 栄一徳育と実業』国書刊行会

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価格:1,890円(税込、送料別)

 

本書は、「近代日本資本主義の父」「実業の父」であるあの渋沢栄一の講演録や談話を集めた『青淵百話』という大著を主題別に4冊に分けて復刻出版した内の1冊です。本書のテーマは商業・経済道徳です。

渋沢栄一は「道徳経済合一説」をモットーとしていたそうです。渋沢栄一は単純に事業における営利追求を否定はしていません。儲かっていないと事業が続けられないからです。ただし、その利益追求は道理や正義にかなったものでなくてはならないとしたのです。ドラッカーも似たようなことを言っていましたね。今風に言えばコンプライアンスでしょうか(ま、私の専門を無理やりこじつけているような感じが無きにしもあらずですが)。

渋沢栄一は論語を処世の範としていました。また、これから(当時の)日本人の指針として武士道の実践を唱導しています。でも、武士道って江戸時代に幕府が武士階級を都合よく支配するために奨励した朱子学なんかが原型なんですよね。本当に武士が活躍した戦国時代、誰も武士道なんて言っていなかった。この辺は渋沢栄一も心得ていて、「仁義道徳と利用厚生とを引き離すように論じたのは、かの程子や朱子あたりの閩洛派と称する学派から始まった」なんて書いています。でも、今武士道武士道って騒いでいる人たちは朱子学的な服従だけを求めているような気がするのですがいかがでしょうか。

 

 

楠木 建ストーリーとしての競争戦略』東洋経済新報社

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本書は、競争戦略やイノベーションを専門とする一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授の楠木さんが競争戦略を解き明かしたものです。「この本のメッセージを一言でいえば、優れた競争戦略とは思わず人に話したくなるような面白いストーリーだ、ということ」なのだそうです。ストーリーが戦略なのではなく、優れた戦略とは優れた映画のように面白くかつ無理のない筋書きで見る者をあっと驚くゴールまで連れて行ってくれるものだ、ということです。

ただし、優れた戦略を持ったからと言ってビジネスで成功できるとは限りません。楠木さんは野球に例え、優れたバッターでも打率は3割台、4割打てば歴史に残る大選手、逆に二軍にくすぶっている選手だってスタメンに入れておけば1割とか1割5分くらいは打てるんではないか、としています。つまり、優れた戦略と言ってもマージンはわずか。イケイケドンドンの時代であれば、優れた戦略なんか無くったって上手く行っちゃう場合だってあります。しかし、現在はグローバル大競争の時代。僥倖に頼った経営では生き残れません。野球で言えば、個々の選手の成績だけではなく、チームとしてのマネジメントが必要になるのです。個々の経営判断における打率が低くても、企業としての経営においては優れた実績を上げることは絶対に不可能ではありません。が、それには優れた経営戦略が必要だ、と。おー、これぞ経営学の醍醐味。

優れた経営戦略にはストーリーが必要だという話、実に思い当たる節があります。昨今コンプライアンスが重視されることになったので、金融商品の販売などにおいてはきちんとお客様に説明してご理解をいただいてから販売しなくてはならない、とされています。で、その証拠としてちゃんと説明を聞きましたという文書に判子を捺してもらえ、とされているのですが、金融商品を売る側が前半部分をきちんと納得していないので、判子さえ捺してもらえばいいんだろう、ってなっちゃうんです。コンプライアンスの説明がちゃんとストーリーを持って伝わっていなかったんでしょうね。その点では私の本はそこら辺をちゃんと説明しようとしているな。エライ。

楠木さんは幾多の例を挙げる巧みな語り口で読者を導いて行きます。本の題名に「ストーリー」と名打っているわけですから当然でしょうか。ドラッカーの『マネジメント【エッセンシャル版】』が実例を省いているせいもありかなり読みにくいのとは対照的に読みやすく仕上がっています。面白い一冊でした。

 

20114

 

植草 一秀日本の独立』飛鳥新社

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かの有名な「手鏡事件」やその後の痴漢事件で世間から葬り去られる寸前だった植草さんですが、現在国際政治経済情報、市場分析レポートを発信する会社を経営するほか、「植草一秀の『知られざる真実』という人気ブログを持つアルファ・ブロガーとしても知られています。私は以前より植草さんの経済評論は派手な体裁を装ってはいませんが、経済の専門家として大変鋭い指摘をしている評論家だと思っていました。しかし、本書での植草さんは、政治評論家、そして現実の問題と戦う運動家としての横顔を見せています。

本書の題名『日本の独立』には、日本は本当は独立していないのだ、という意味が込められています。日本はアメリカの属国だ、日本は「悪徳ペンタゴン」(植草さんの造語で日本は米国、官僚、大資本、政治や、電波(メディア)による利権複合体)に支配されているのだ、と喝破しています。うーん、陰謀論ですか。でも、その程度の陰謀論は私もこの書評で多くご紹介してきましたし、私自身大分前からそう思っていましたよ。まあ、人気ブロガーが言うから影響力は違うのかもしれませんが。

逆に、経済事件を取り扱うときの植草さんの筆は依然として冴えわたっています。本書では「新生銀行上場認可」、「りそな銀行の乗っ取り」、「郵政米営化・郵政私物化」、「「かんぽの宿」不正払下げ未遂事件」、「日本振興銀行設立の闇」の5つの黒い霧事件が取り上げられていますが、その説明は明快です。何で問題にならないのでしょうか。それとも日本は悪徳ペンタゴンに完全に抑え込まれちゃってるのでしょうか。

植草さんも指摘していますが、日本に起きている様々な問題は決して日本単独の原因で起こったわけではなく、この地球上で起こっているさまざまな事象と関わりあいながら生起しているのです。景気の問題ひとつにしても、日本が単独で解決できる問題は非常に限られています。歴史を含めて幅広く世界情勢を認識した上で日本の戦略を決めなくてはならない時期が来ているのではないでしょうか。アセンションまであと1年ちょっとしか時間がないんですよ。中国ではGoogleが遮断され、劉暁波氏は拘束されノーベル平和賞の受賞も無視されていますが、アメリカではWikiLeaksのアサンジ氏を葬り去ろうと躍起になっています。軍事紛争もあちこちで拡大しそうな勢いで、何やら世界中できな臭い臭いが漂っています。ここはひとつ考えに考え抜いて人間は考える葦であることを証明しようではありませんか。

 

 

朴 贊雄日本統治時代を肯定的に理解する』草思社

 

著者の朴贊雄さんは1926年生まれです。生年から分かる通り日本統治下の京城(ソウル)に生まれました。20歳までの日本統治下の自らの人生を振り返り、日本統治の状況を率直に語っています。内容については実際に本書をお読みになり、自分なりの感想を持っていただきたいと思いますので、ここでは多くを語らないようにいたしましょう。

著者である朴贊雄さんの弟贊道さんは解説の中で現在の韓国の雰囲気を「韓国人には、愛国主義、国粋主義、民族至上主義が強く根を張っていて、韓国を高めようとするあまり、その裏返しで対立する相手を低めようとする心理が無意識に強く働きます。だから「韓国を侵略した日本」と言えば、「それ以上悪いものはない」ということになります。日本人は悪いと口をきわめて中傷しなければならず、日本人を少しでも悪くないように言う韓国人がいれば、即座にその人は「死ね」だの、「親日派」、「売国奴」と言われてしまいます。そして世論の袋叩きにあって生きて行けなくなるのです。こんなあきれた話はありません」と書いています。

まあ、韓国の雰囲気が良いとは思いませんが、戦前の日本はもちろん、昨今の日本にだって自分で考えずに雰囲気だけでワーワー騒ぐ手合いが大勢いることは否めません。本書に対して「それ見たことか」みたいな書評が多く出回っていますが、もう少し本書を良く読んでいただけないものでしょうか。朴贊雄さんは決して日本統治をもろ手を挙げて礼賛しているわけではありません。良いところもあったけれど、悪いところもあった、ただし、日韓併合当時韓国を植民地化する可能性のあった中国(清)やロシアに支配されるよりはましだったのではないか、という評価のようです。

物事を評価するとき、特に歴史的・政治的な事柄については、イデオロギーも絡んで全面的な白か黒かの二者択一に陥りがちですが、我々に求められているのは白黒どちらが正しいかを決めることではなく、白黒のどちらを選択するかを主体的に決めることなのではないでしょうか。

朴贊道さんは本書の発行について、「日本の長所や韓国の短所を語ることは「反民族親日派」ではなく「真の愛国者」だと私は考えます」としています。私も韓国の長所や日本の短所を語ることは「反民族親韓派」ではなく「真の愛国者」だと考えたいと思います。思考停止で相手を批判するばかりではなく、ちゃんと自分の頭で考えてきちんと言葉で議論しようではありませんか。  

 

半藤 一利、秦 邦彦、保坂 正康、井上 亮「BC級裁判」を読む』日本経済新聞出版社

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以前ご紹介した『「東京裁判」を読むの姉妹本ということになります。東京裁判で裁かれたA級戦犯は良くも悪くも注目を浴びる著名人たちでしたが、BC級戦犯裁判で裁かれた戦犯たちの多くは名もない、BC級裁判でもなければ世に名を残すこともなかった方々たちでしょう。A級戦犯として裁かれた方々に対しては「何だかんだ言ってもやっぱ責任があるんじゃないの」というのが私たちの感じ方かもしれませんが、BC級戦犯に対しては「なんだか戦勝国民を慰撫するための見世物裁判、リンチみたいな感じがするな」というのが正直な感想なのではないでしょうか。

BC級裁判に関しても色々と思うところは多々ありましたが、本書を読んでいて特に強く感じたのは、昨今コンプライアンス遵守が当然視されているにもかかわらず不祥事が頻発する企業風土の原点が日本軍にあったのではないかということです。日本軍も日清・日露戦争や第一次世界大戦では宣戦の詔勅には国際法遵守が明記されていたそうですが、太平洋戦争における宣戦の詔勅では抜けてしまっていたそうです。帝国大学の法学者たちも国際法なんてのは要するに英米が自分たちに都合が良いように作ったものであって守る必要なんかない、日本は大東亜国際法を作るんだなんてほざいていたそうです。

もうひとつ日本軍のあるいは日本人の宿痾として感じたのは、現実に起きていることを事実として捉え分析するのではなく、自分の見たい信じたいものだけを見て、自分にとって見たくない信じたくないものは排除してしまう傾向が強いことです。これは何か問題が起きたとき、企業などでよく見られる好ましくない反応です。まあ、原油流出事故が起きたときのBP社の反応などもこの範疇に入りそうですので、日本人だけの特性という訳ではないのかもしれませんが。

日本軍ばかりでなく日本全体にいわゆる「村の論理」がまかり通っていた時代だったんですね。自分だけが正しくて違うこと言う奴は間違ってると信じ込んでいるんです。あー、バカ。上位者がこういう態度を取った場合、下位者の行動は極端に制限されることになります。戦前の日本だと従うしかない、のです。

法令違反になるような命令を受けたときにどのように対処すればよいのかについて、面白い例が本書に載っていました。「バターン死の行進」の際、あの辻正信参謀から「捕虜を殺せ」というむちゃくちゃな命令を受けた今井武夫連隊長は、まともに拒否すると何をされるか分かりませんので、「そういう重要なものは文書でよこせ」と言ったら結局うやむやになったことがあったそうです。これは現在の企業においても使える手かもしれませんよ。

そのほか、上位者が責任を取らない、下位者に責任を押し付ける、実行者と命令者の責任の配分がおかしい、現場の声を反映するシステムが欠如しているなど、現代の企業でもよく見かける事例が散見されました。こういう症状がなぜ現れるのか、こういう症状が現れるとどうなるかについては拙論「コンプライアンスを機能させるための組織もご参照ください。

さまざまなことを考えさせられる本書。ぜひご一読を。

 

 

半藤 一利、井上亮編いま戦争と平和を語る』日本経済新聞出版社

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先の戦争に関する数々の著作で有名な半藤さんに井上さんが長時間のインタビューを行い、戦争に関するあれこれを聞き出しています。半藤さんが1930年生まれ、井上さんが1961年生まれですから、戦中派の親に対して戦後派の息子が話を聞いているような感じでしょうか。

戦後の日本は幸いにして大きな戦争に巻き込まれることがありませんでした。また、戦後教育の方針もあり、戦争体験は私のような50過ぎのオジサンたち(井上さんも同世代ですね)に対してすらきちんと引き継がれてきませんでした。「大学生以下の世代では、日本とアメリカが戦争をしたことを知らない人まで現れている」ありさまです。

戦争の記憶をとどめるとは、戦前を懐かしむことでも、戦争を賛美することでもありません。逆に戦前世代のすべてを否定することでもいたずらに戦争を忌避し知らなかったことにすることでもありません。今上天皇陛下は即位20年の記者会見で「昭和の歴史には様々な教訓があり、歴史的事実を知って未来に備えることが大切」だとおっしゃったそうです。

半藤さんは「戦争に負けたときほど日本人が、日本人らしさといいますか、精神の根っこをさらけ出したときはないと思うんです。日本がどういう国なのかということを考えるには、このときを見るのが一番分かりやすいと思ったんです」と書いています。人間、調子がいいときはカッコ付けられても、不調のときには思わず本音が出ちゃうもんですよね。だから東条英機は日本が負けた原因を「敵の脅威におびえ簡単に手を挙ぐるに至るがごとき国政指導者及国民の無気魂」だなんて言っちゃうんです。本当の友達は不幸な時の友達だって言うじゃないですか。ドン小西さんも言ってました。フェラーリのF40を持っていたときは何だかよく分からない友達がいっぱいいたけれども、会社が倒産してすっからかんになったら1人もいなくなっちゃったって。調子のいい時だけちやほやしてくる輩を信じちゃだめですよ。

なんで日本人がそんなに落ちぶれちゃったのかと言うと、日清・日露戦争に勝って日本人が上から下まで全員世界の一流国になったと思いこみ、そっくりかえっちゃって足元が見えなくなったから。アジア人蔑視が始まるのもこのころかららしいです。このころ日本には中国から多くの留学生がやって来ていました。彼らは清朝中国に見切りを付けて日本のような近代国家を中国の地にも設立しようという志を持って日本に留学して来たのです。日本の国益を冷静に考えれば、こんな人たちを追いだす理由は何もないと思うのですが、みんな追い出しちゃった。そのくせ八紘一宇だもんね。そりゃ信用してくれないんじゃない。

やはり人間の成長には我が身を振り返り反省する時間が必要だと思います。日本国民として歴史を省みる時間を持つことも必要でしょう。歴史は歴史家の立場によっても見方が違います。幅広く歴史を学び、自分の頭で考え、二度と悪しき精神主義の陥穽に陥らないための指針としていただきたいものだと思います。  

 

20113

三枝 成彰大作曲家たちの履歴書 上 』中公文庫

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日本を代表する現代音楽の作曲家でもある三枝さんがバッハからストラヴィンスキーまで、つまりバロック最後の巨匠から現代音楽の草分けまで(もっと平たく言うとほとんどがロマン派)の20人の作曲家を取り上げ、履歴書風に経歴や家族などの一般的情報から性格や異性関係などあまり大っぴらに語られることの少ない事項までを忌憚なく描いています。

各作曲家の項目の最初には本物の履歴書風の一覧表があるのですが、その項目の中で興味深いのか「神童だったか」という項目です。音楽の王モーツァトが文句なしに天才、神童であったとされる一方、バッハなんかは職人気質の音楽家であったとされています。それじゃショパンは?ドビュッシーは?

文庫版では上下2巻に分かれている本書では生年順に作曲家が紹介されています。そうすると、やはり神童は上巻に多いようです。バッハの時代、音楽家は音楽を奏でる職人でした。明確に「おれは芸術家だ!」と思ったのはベートーベンだとされますが、そのベートーベンもいわゆる音楽学校(大学)で学んではいません。宮廷や教会の楽士として、いわばOJTで音楽を学んでいます。きちんとした音楽家養成プログラムの元では神童なんて方々は暮らしにくいのかもしれません。とはいえ、その時代でも、モーツァルトは文句なしに神童であったようですが、バッハとベートーベンは神童とは呼ばれなかったようです。何がどう違ったのでしょうか。

本書の最後の「あとがきにかえて」で三枝さんは簡単に音楽の歴史を振り返っています。この中で、現代社会において西洋の音楽が洋の東西を問わす音楽の基本とされている理由の一つに西洋音楽のみが楽譜をもっていることを上げています。確かに、あらゆる音楽を記録することができる五線譜を持っているということはものすごいことなんです。現代の邦楽(尺八とか三味線とか)だって楽譜はあります。でも、楽器ごとに違いますし、同じ楽器でも流派が違うと譜面まで違ったりします。私が尺八を習っていたとき三曲(三味線、琴、尺八の合奏)の練習をしたのですが、ある曲のある場所が楽譜通りに弾いてもどうしても合わないということがありました。お前ら下手なんじゃないか、なんて疑いを受けたわけですが、原因は尺八の楽譜に「一拍(正確には裏間を)飛ばす」という指示が抜けていたためでした。こんなこと、共通の楽譜があれば簡単に分かることですよね。本書を読んでいてそんなことを思い出しました。

三枝さんの本職(というかもともとの専門)は現代音楽の作曲家です。その三枝さんが同じ「あとがきにかえて」で20世紀の音楽(いわゆる現代音楽)について語っている部分も大変興味深いものがありました。音楽とは音を楽しむ、と書きますが、20世紀現代音楽が目指したのは究極の理性主義。そんなもん一般大衆に面白いわけないよな。で、現在巷にあふれているのはいわゆるポピュラー・ミュージック。でも、そのポピュラー・ミュージックですらちゃんと五線譜による記譜法を使っています(まあギターのタブ譜とかあるけどね)。邦楽が洋楽に押されるわけです。

音楽は世界の共通言語!ではないかもしれませんが、確かに五線譜の持つ強力な力は認めざるを得ません。でも、その音楽の世界でも現代音楽は全滅、クラシックの世界では未だにモーツァルトだベートーベンだってやってます。さあ、21世紀の音楽はどのような展開を見せるのでしょうか。

 

音楽ドラマと言えば、楽しいドラマを見ているだけでクラシック音楽のあれこれが分かる「のだめカンタービレ」。映画最終楽章のDVDも発売されています。私も全部買ってしまいました。

 

 

スコット・マリアーニ 高野由美訳『モーツァルトの陰謀』エンジンルーム/河出書房出版社

 モーツァルトの陰謀

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前作『消えた錬金術師』ではレンヌ・ル・シャトーの謎に迫った主人公ベン・ホープ、今度はモーツァルトの謎に迫ります。レンヌ・ル・シャトーってダン・ブラウンさんの『ダ・ヴィンチ・コードなんかでも盛んに取り上げられてましたよね。書くこと無くなんないのかね。本作のテーマであるモーツァルトだって結構小説とかに取り上げられてきましたよね。モーツァルトって西洋音楽の歴史においても文句なしに第一級の天才とされていますし、何やら陰謀の匂いがするフリーメイソンの団員であったことも確認されています。何度も取り上げられているとは言え、小説家にとってはなかなか魅力的な素材なのでしょう。

本書の作者マリアーニさんはオクスフォード大学で現代英語を専攻したのち、作家になるまでに翻訳者やフリーランスのジャーナリストなど作家志望の若者が就きそうな仕事から、プロのミュージシャンや射撃のインストラクターなんて作家業とはあまり関連がない割には難易度の高そうな仕事まで経験してきたそうです。マリアーニさんが多趣味かつ多芸多才な人物であることが良く分かります。そんなマリアーニさんが書いた本ですので、面白くないはずがない。

音楽史の上では古典派に分類されるモーツァルトですが、その特徴はどの曲を取ってもモーツァルトらしいところ。昔、大学で音楽史の授業を取っていたころ、音楽を聞かせてその分析をする(どの時代に属する音楽なのか、どんな特徴があるのか何てことを分析するんです。のだめカンタービレにも出てきたアナリーゼの初歩なんでしょう)なんて試験があったのですが、そのとき先生は「モーツァルトみたいに聞こえたらモーツァルトって書いとけば大体間違いない」って言ってました。作品数の多いモーツァルトですので、モーツァルトの専門家でもない限り知らない曲や滅多に演奏されない曲もあるのだそうです。でも、そんな曲でもなぜかモーツァルトはモーツァルトだって素人にも分かる。様式が似ている同時代の作曲家の作品と比べてもなぜか分かっちゃう。やっぱ天才なんでしょう。そんなモーツァルトが……、以下略。本書をお読みください。

ダン・ブラウンさんの著作もそうですが、本書にもタフで頭が良くてハンサムな主人公と才能にあふれ、かつ美しい女性も登場します。レクイエムでも聞きながら楽しみたいところですが、いささか暴力的な場面も多いのでお嫌いな方はご注意ください。

 

 

オリヴァー・サックス 大田直子訳『音楽嗜好症』早川書房

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本書の著者サックスさんはコロンビア大学メディカルセンター神経学・精神医学の教授です。映画化もされた『レナードの朝』(原著映画DVD)の原作者と紹介した方が分かり良いかもしれません。

『レナードの朝』では嗜眠性脳炎という病気が取り上げられていましたが、本書で取り上げられているのは「音楽嗜好症」(Musicophilia)という病気です。音楽を嗜好する病気ですから、音楽好きが高じた病気なのかなと思いますが、本書にはちょっと迷惑な(時にはユーモラスな)症状を患う患者たちから、人間性までもが一変してしまったり、一般的に正常とされる生活が営めなくなってしまうほど音楽に取りつかれてしまったりした患者たちまで登場します。

本書には「人間の脳には単一の音楽センター存在せず、脳全体に散在するたくさんのネットワークが関与している」ことが紹介されています。従って、症状の出方もさまざま。心を癒してくれる音楽が騒音に聞こえてしまう人や絶対音感はあるのに音楽を聴いても何の感慨もわかない人、音痴なのに音楽が大好きな人もいるわけです。本書では「落雷による臨死状態から回復するやピアノ演奏にのめり込みだした医師、ナポリ民謡を聴くと必ず、痙攣と意識喪失を伴う発作に襲われる女性、指揮や歌うことはできても物事を数秒しか覚えていられない音楽家」なんて患者も登場します。

音楽の起源にはさまざまな説があり定説があるわけではないようです。何と言っても人類の進化それ自体が何か有用な効能を求めて適応を続けてきた結果だ、という立場からすれば、音楽を奏でる能力(その他芸術に関する能力もこの部類かもしれませんね)なんてものは人類に対して何の貢献もしていないように思えますからね。

そう言えば、私も本書で取り上げられている「耳の虫」に似た体験をして自分でびっくりしたことがあります。朝の子供番組であるアイドル歌手の歌を毎日のように聞く機会がありました。別にその歌とか歌手が特にどうのこうのということはなかったのですが、ある日、通勤途中にふとあるメロディーを鼻歌で歌っている自分に気づきました。最初は何の歌だか分からなかったのですが、なんと毎朝聞いているアイドル歌手の歌だったのです。別に好きでもないのにそのメロディーが私の脳にしっかりと刻みつけられてしまっていたのです。皆さんも同じようなことはコマーシャルソングなんかで経験しているのではないでしょうか。

こんな症例ばかり取り上げられると、何やら音楽が麻薬並みの危険物質のように思われてしまいますが、サックスさんは音楽の持つさまざまな効果、癒しの効果について、サックスさん本人の症例も含めて取り上げられています。サックスさん自身、おばの死で感情が死んでしまい、生活すべてに無感動・無感覚になってしまったことがあるそうです。その壁を破ってくれたのはヤン・ディスマス・ゼレンカの『エレミアの哀歌』(全然知らない曲だな。サックスさん自身聴いたこともなかったそうです)を聴いたときのことだそうです。「その曲を聴いているとき、突然、自分の目が涙にぬれていることに気づいた。何週間も凍りついていた感情が再び流れ出している」ことに気づいたそうです。

本書の著者サックスさんは自身でも楽器を演奏するなど音楽は大好きなようです。音楽に対する愛情にあふれためちゃくちゃに面白い本書、ぜひご一読を。

 

 

松村 和明ダリをめぐる不思議な旅』ラピュータ

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サルバドール・ダリは間違いなく20世紀を代表するシュールレアリズムの大家であり、私も大好きな画家でもあります。現代美術の作品って正直言って「え、これが絵?ゾウが描いたのか」とか「え、これが彫刻?ただのガラクタじゃん」などという失礼な印象を持ってしまう作品も多くありますが、ダリの作品は確かに奇妙な発想ではありますが私のような素人の眼にも(私だけではなく多くの方の眼にも)一見して分かる美しさがあります。全体のイメージは奇妙ですが、個々のピースの描写は非常に正確で、ダリのデッサン力の確かさを物語っています。ダリの絵だったら寝室に飾っても何とかなりますよね。ピカソでも何とかなるか。ゴッホは?考えさせてほしい。モナリザじゃいやだな。

ところで、ダリは多くの奇行でも有名でした。ところが、多くの証言によると本人は極めて知的で聡明な人間だったようです。つまり、奇行の多くはダリが意識して演じたパフォーマンスだったのです。おまけに『わが秘められた生涯』なんぞと言う嘘と誇張で固めた自伝まで書いてしまいましたので、余計に訳が分からなくなってしまいました。今流に言えばセルフ・プロデュースということになるのでしょうが、うまく行きすぎて知的で聡明だったはずの本人はどこかにぶっ飛んでしまい、狂気の天才ダリの伝説だけが独り歩きしてしまったのです。

聡明なダリをほうふつとさせるエピソードが本書に紹介されています。建築家のル・コルビジェ(上野の国立西洋美術館の設計者、ダリは嫌っていたそうです)との対談で建築の未来を問われたダリは「ぐんにゃりして毛のはえた」ものだとほとんど嫌がらせのような答えをしたそうです。そりゃル・コルビジェはいやな顔をしたでしょうね。しかし、エルゴノミックなデザインの小物というのは現在私たちの身の回りにあふれています。そのうち鉄とガラス、直線で出来た建物だって柔らかい有機的素材を使った家具みたいなものに変わらないとも限りませんよね。

ダリの生まれ故郷のカタロニアはかの有名な建築家ガウディの生地でもあります。ダリもガウディは大好きだったようです。ガウディの作品って何やらぐんにゃりして毛がはえていそうな建物ですが、アパートには今でも人が住んでいますし、住み心地も悪くないんだそうです。素敵じゃないですか。カタロニアと言えばダリのほかにピカソとかミロゆかりの地でもあります。芸術家の多産地帯。場所柄でしょうか。本書にもそれこそ絵葉書に出てくるような風景の写真が紹介されています。

本書はダリの作品群と言うよりはカタロニア地方のダリゆかりの自然や建物といったダリの実人生の周辺にスポットを当てて書かれています。本書にも随所に引用されている作品群の写真などはあまり掲載されていませんので、もしダリがお好きなようでしたら画集などを手元においてお楽しみください。二倍にも三倍にも楽しめることと思います。

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谷口江里也訳構成ドレの旧約聖書』宝島社

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塩野七生さんの『絵で見る十字軍物語でもご紹介したドレのイラスト付き旧約聖書物語です。ドレの挿絵は旧約聖書の名場面を劇的に再現することに力点が置かれていますので、一見写実的ではありますが舞台や映画におけるような演出が随所に施されており、大変ドラマチックに描かれているのが特徴です。

もともとはドレ自身が19世紀に155枚の版画付きでビジュアル化したものを谷口さんが再編したもののようです。旧約聖書そのものが雑多な文書の詰め合わせですので、本書ではユダヤ民族の歴史の概略が分かるように物語が選ばれています。従って、いささかエロチックな歌まで含まれている雅歌とか、有名だけど何を言っているのかよく分からないヨハネの黙示録なんてのは含まれていません。ヨハネの黙示録なんてビジュアルな形で見てみたかったんですけどね。

大体、聖書って字ばっかりでくだくだと名前の羅列が続いていたりしてものすごく読みにくい本ですから、こういったポイント、ポイントをダイジェストして視覚に訴える挿絵つきの参考書ってのは昔から必要とされていたのでしょう。最近でも手塚治虫さんが正式にバチカンから依頼されて旧約聖書物語をアニメ化していますよね(下にご紹介しているのはアニメを書籍化したもの)。そうでもしないと信仰の基礎になる歴史的背景への理解も期待できないですからね。ま、理解なんて求めない宗教もあるでしょうが。

いやあ、それにしても旧約聖書のお話ってのは人が殺される話ばっかりですねえ。それも一人二人ではなくって、歯向かう者を殲滅(せんめつ、皆殺しって意味です)させるなんてのばっかり。人類はよく生き延びたもんですね。

本書を通読すれば、読みにくい旧約聖書を読まなくてもその概観はつかめるのではないでしょうか。図版だけを眺めても楽しむことができると思います。

 

手塚治虫の旧約聖書物語シリーズ  

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ついでにドレのシリーズもご紹介しておきましょう。  

【送料無料】ドレの失楽園

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【送料無料】ドレの神曲

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20112

太田 尚樹天皇と特攻隊』講談社

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レイテ作戦で史上初めて試みられた特攻作戦は、しかし、予想を越える大戦果を収めました。その報告を受けた天皇は「そのようにまでせねばならなかったか。しかしよくやった」とのお言葉を賜ったそうです。ただしそのお言葉の間に「まことに遺憾である」とのお言葉が入っていた、という説があるそうです。ところが天皇のお言葉も真意も全く忖度されることなく、都合よく脚色されて天皇による特攻攻撃へのお墨付きとして使われるようになりました。「お前たちの遺勲は必ず陛下にお伝えする」と。そこまで言われてしまえば、当時の青年たちは特攻の命令を無視することはできませんし、特攻に志願しないわけにもいきません。彼らは皆、自らの意思で特攻に志願したのだ……。

第一回の特攻攻撃を命じた大西中将は戦後自決しました。が、その他の特攻攻撃を「命ずる側」にいた将校たちには特に責任を感ずることもなく戦後を過ごした者も多かったそうです。大西中将は終戦期には二千万人特攻論を唱えていたそうです。負けるにしても二千万人が米国に対して特攻攻撃を行い、大損害を与えてから負ける、というものだったそうです。じゃあ、二千万人の作戦がどんなもんだったかというと、「そうなったときには天皇陛自ら玉砕していただいて、最高司令部の全員が特攻機に乗り込んで突っ込む」という過激なものだったそうです。「そうしなければ、たとえ敗れたとしても、日本は絶対にいい形では蘇らない」だろうから、と。

太田さんは「日本は独立後、日本人自らの手で戦争裁判をすべきだった。それがなかったから、天皇の免責理由も不明確なままに、多くの人は過去に目をつぶり、それぞれの責任を考えないまま戦後が過ぎてしまった」という言葉を引用しています。私もまったく同感です。昨今の普天間問題でのマスコミの論調などを見ていると、いかに日本人は戦後を無反省に過ごしてきたのかということを痛感させられます。日本の今後を考える上でも私たちの来し方をたどりなおしてみる事も必要ではないでしょうか。私たちに反省を迫る一冊でした。

 

 

長谷川 四郎/シベリヤ物語』みすず書房

鶴/シベリヤ物語

鶴/シベリヤ物語

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1937年に南満州鉄道会社に入社した長谷川さんは1944年に召集され、4年半にわたるシベリヤ抑留を終えた1950年ようやく舞鶴に帰り着きました。

その経歴からは日本軍ではいじめられ、シベリヤ抑留中はロシア人からいじめられた、といった被害者物語ではないかとも思われますが、長谷川さんの作品は全く違った視点から書かれています。

長谷川さんは「ごく最近、五木寛之氏にお目にかかった時、氏は『シベリヤ物語』はのんきな本で捕虜生活の苦しみが出てないですねと言った。もしそうだとすれば、それは罪ある者として私がよろこんでシベリヤに服役したためかもしれないと考える」としています。

収容所生活という過酷であったはずの体験が恨みや告発といった戦争文学につきものの視点とはまた別の視点で描かれたこの作品は、発表当時から高い評価を受けていたそうです。

不思議な読後感が残る作品でした。

 

 

加藤 陽子それでも、日本人は「戦争」を選んだ』朝日出版社

 

本書は日本近現代史を専門とする東京大学大学院人文社会研究科教授の加藤さんが神奈川県にある栄光学園の歴史研究部を中心とする中高校生に対して行った5日間に亘る集中講義を基に書かれています。単なる歴史の講義ではなく、「生徒さんには、自分が作戦計画の立案者であったなら、自分が満州移民として送りだされる立場であったなら」と考えてもらうため、古くは南北戦争から最近の911テロまでを材料提供しています。

その中のひとつに、米国がベトナム戦争の泥沼に引きずり込まれる遠因のエピソードがあります。それは中国の喪失体験なのだそうです。米国は19世紀、フロンティア政策による西進を続けてきた米国西海岸までの制覇を終え、いったんはフロンティアが消滅したかに思えましたが、もっと西に目を向けると、そこにはまだアジアというフロンティア(米国にとっての、ですね)がありました。そこで米国は中国の支配をねらったのですが、実は数次にわたりその野望はくじかれてしまいました。まず、20世紀初頭、米国も中国進出を狙いましたが、列強に比べるとその権益は弱く、日本にも劣る有様。おまけに日本は朝鮮半島や台湾も傘下に収めてしまいました。こういう視点から見ると、太平洋戦争ってのは結局米国と日本のアジアにおける権益の争いだったわけです。で、米国は太平洋戦争に勝利、中国市場の門戸が開かれたと思った瞬間共産革命が起きて元の黙阿弥。この、戦争には勝ったのに体制作りに失敗して元も子もなくしてしまったという喪失体験がベトナム介入の原点となったというものです。

ここから先は本書では触れられていませんが、その後米国が再び中国に権益を持てるようになったのは最近の開放政策以後。ここ10〜20年ほどの間でしょうか。中国の潜在的ポテンシャルを考えれば、日本何ぞ目じゃない。そう考えれば最近米国政府の中国べったりの対外政策も合点が行きますよね。

本書において加藤さんは様々な視点から見た史料を提供しています。その当時に生きていた日本人なら、中国人なら、米国人なら、ドイツ人なら、ロシア人ならどう考えたかをどう考えたかを確認するためです。日本ではどうも声の大きい人間が議論を制する傾向がありますが、世界を相手にしているのに日本人は常に正しいと自分本位の論理をがなり立てるだけでは通用しません。私たち日本人がなぜ「戦争」を選んだのかをもう一度深く考えるための第一歩として優れた本だと思います。ぜひご一読を。

 

 

高橋 基也母親は兵士になった アメリカ社会の闇』NHK出版

【送料無料】母親は兵士になった

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価格:1,575円(税込、送料別)

 

米国軍が女性も兵士として採用し始めた背景には人手不足に陥った米国軍の採用事情のほか、学費を稼ぐため、男女同権への挑戦、愛国心など様々な女性側の動機も存在するようです。

それら採用された女性兵士が向かった先が良くなかった。彼女たちが派遣されたのはイラクやアフガニスタン。実に筋の良くない理由をこじつけて米国が乗り込んでいった先です。前線と後方の区別がなく、米兵は四六時中敵意にさらされ続けます。どんなに鈍感な兵士だって米国の掲げるプロパガンダが空疎なものであり相手国民に全く支持されていないことに気が付きます。気づいたとしても相手に同情なんかしていたらいつどこから銃弾が飛んでくるか分かったもんじゃない。攻撃は最大の防御。矛盾から逃れられなくなり残るのはPTSD。

本書ではイラクやアフガニスタンへ派遣され今もなおその後遺症に苦しめられている女性兵士たちを取り上げています。しかし、戦場に行った後遺症で苦しめられるのは男も同じ。だもんで、男もPTSDで苦しんでます。研究によっては女性の方が男性よりPTSDにかかりやすいそうですが。

イラクやアフガニスタンからの帰還兵の20〜30%がPTSDにかかっているとの研究もあるそうですが、逆にいえば70〜80%はいくら人を殺そうが何しようが何ともない、んでしょうか。アブグレイブでイラク人を拷問していた係官なんて、PTSDなんぞにかかりそうもありませんもんね。ナチス時代、強制収容所の看守にはサディスティックな傾向を持った人間を重点的に配置していたなんて話も聞いたことがあります。PTSDにかかりにくい人もいるんでしょうね。

しかし、戦争の後遺症に苦しんでいるのはどう考えても米国人ばかりではないでしょう。本書に登場する米国軍人たちは大体1年位の駐留で交代しているようです。でも、イラクやアフガニスタンの国民は自分の国で戦争をやっているんです。逃げようもない。

戦争なんて誰にも幸福をもたらさないように思えますが、実はそうじゃないんですね。だから誰も望まないはずの戦争が何度も起きるんでしょう。

苦い読後感の残る一冊でした。  

 

20111

梅原 猛葬られた王朝』新潮社

葬られた王朝

葬られた王朝

価格:2,310円(税込、送料別)

 

日本の神話には、高天原神話、出雲神話、日向神話の三系統の神話から成り立っているのだそうです。このうち高天原神話は天で起った神様たちのお話(ギリシャ神話みたいですね)ですのでフィクションであると断定しても差し支えないかもしれませんが、日向神話と出雲神話は具体的に日本の各地で起こった話であり、その神話の跡を訪ねることができるのだそうです。つまり、フィクションではなく現実に起こった事件を下敷きにしているお話しである可能性があるのだそうです。

梅原さん自身も、出雲神話はフィクションであるとの学説を展開していたそうです。ところが、最近の発掘によって出雲地方にも大きな権力の存在を裏付けるような遺跡が発見され、梅原さんも自説の修正に乗り出さざるを得なくなったのだそうです。

日本における記紀の捉え方自体、戦前は皇国史観、戦後はその反動で全くのフィクションであると180度転換しました。考えて見れば、そのどちらもイデオロギーを背景にした見方であり、歴史家の視点とはほど遠いものがあったようです。やはり常に自らを省みることは必要ですね。

ところで、出雲神話の中心人物である大国主命は私の先祖に当たりますので(どうだ参ったかワッハッハ)、大変興味深く読ませていただきました。あー、世が世なら私が、……なんてね。

 

 

加治 将一失われたミカドの秘紋』祥伝社

失われたミカドの秘紋

失われたミカドの秘紋

価格:1,995円(税込、送料別)

 

私が加治さんの著作を読むのは初めてですが、加治さんは多くの小説を書かれているそうです。なかでも歴史ミステリー・シリーズは、フリーメーソンの視点から明治維新を描いた『龍馬の黒幕、明治天皇すり替え説を描いた『幕末維新の暗号』、魏志倭人伝を取り上げた『舞い降りた天皇(すめろぎ)』となかなか刺激的な題材を取り扱っているようです。暇な時に読んでみるか。

で、本作ですが題材は天皇、そして中国歴代王朝の謎。中国での謎解きはやがて漢民族の出自や中国とユダヤの隠された関係を……以下略。本書をお読みください。

ところで、本書の隠れたテーマは、歴史とは何か、ということでしょう。歴史も社会科学のひとつの部門で、なんて言うのは今でも思いっきり建前。中国歴代王朝にとって、それ以前の王朝・時代の歴史を書き記すってのは一種のノルマみたいなものでした。でも、新王朝が滅ぼした王朝を賛美するわけありませんよね。万事現王朝に都合よく書き換えられます。禅譲、なんて言って以前の皇帝から帝位を譲られたんだ、なんて書いてあっても、実情は喉元に匕首を突きつけて脅迫したんだったりもします。出自だって、新皇帝は元ヤンキーなんて書くわけにもいきません。少なくとも脚色、場合によっては都合のよい真っ赤なウソ、が書かれることになるわけです。

ところで、本書で主人公が衝撃を受ける「大秦景教流行中国碑」って、ずいぶん前だけど、唐の西安でネストリウス派のキリスト教が流行りましたってちゃんと聞いたことがあるなあ。山川の教科書にでも載ってたんだろうか。それとも塩野七生さんか高橋克彦さんの本で読んだんだろうか。ま、知ってるってだけで加治さんみたいに独創的な推理をしたわけではないですけどね。

加治さんは日本で最初の勅撰歴史書である日本書紀の成立の裏にも何やら政治的な思惑があったのではないか、と推理しています。ここから先は大胆な仮説に基づく加治ワールドをご自分でひも解いてください。私好みの、ストーリーそっちのけで歴史の蘊蓄がてんこ盛りに詰まった面白い一冊でした。

 

 

塩野 七生絵で見る十字軍物語』新潮社

絵で見る十字軍物語

絵で見る十字軍物語

価格:2,310円(税込、送料別)

 

イタリアのルネッサンス、古代ローマを描き切った塩野さんが新たなシリーズの舞台として選んだのがヨーロッパ中世の象徴的出来事とも言える十字軍です。本書では十字軍の歴史を文字で追う『十字軍物語』シリーズのパイロット版として出版されました。日本人には今一つなじみのない十字軍のイメージを視覚的イメージで掴んでもらおう、ということのようです。あー、『ローマ人の物語』を全部読んでないのに次のシリーズが出ちゃった。

本書で取り上げられているのは19世紀前半の歴史作家フランソワ・ミショーの書いた『十字軍の歴史』という本に19世紀後半になってギュスターヴ・ドレという画家が描いた挿絵です。

挿絵と言っても、当時の印刷技術では写真のように細かい画像を印刷することはできませんでしたので、ペンで描いた下絵を基に一定の面を斜線で陰影をつけるハッチングという技法で再現したものです。19世紀の新聞なんかで良く見かけるタッチの絵です。私がご紹介した本では、『創造の魔術師』なんて本にこの手のイラストが満載です。

11世紀末に始まり13世紀まで200余年に亘って聖地奪回のため続けられた十字軍ですが、必ずしもキリスト教世界が一致団結してイスラム教世界に立ち向かった、という訳でもないようです。十字軍の中にはイスラム教徒ではなくビザンチン帝国(東ローマ帝国、れっきとしたキリスト教の分派、ギリシア正教の国です)を攻撃したもの、途中でうやむやになっちゃったもの、かっこよく子供だけで出発したものの人さらいに売っぱらわれちゃったなんてのまであったそうです。

そもそもなんで十字軍なんてものが必要だと思われるようになったのかと言うと、キリスト教の聖地エルサレムを奪還し巡礼者を守るため(政治的にはイスラム勢力の圧迫を受けたビザンチン帝国皇帝からの救援依頼)。当時、地中海東岸はイスラム教勢力によって占拠されていました。本書の挿絵にもキリスト教徒の巡礼者をイスラム教徒が助けてあげる、なんて絵が載っていますので、必ずしもイスラム教徒がキリスト教徒に敵対的であったわけではないようですが、友好的でもなかったようです。まあ、軍人でも商人でもない素人さんが旅費なんぞを携えてのそのそ歩いているわけですから、悪い人たちにとってはカモがネギしょって歩いてくるみたいなもんだったのでしょう。

巡礼と言うのはさまざまな宗教において広く見られる光景だといえるでしょう。なぜ巡礼をするのかと言うと、癒しとか罪の許しを得るとか、神との一体感を得るためのだと思います。イスラム教なんかだと一生に一度の巡礼は義務付けられています。現代日本でも四国のお遍路さんなんて有名ですよね。ま、とにかく宗教的動機で始まったと。

13世紀の遠征を最後に十字軍は終末を迎えるのですが、その理由がすごい。まあ、十字軍の遠征に使うお金がないとか、完膚なきまでに負けちゃったとか現実的な理由もあるにはあるのでしょうが、時のローマ法王庁がエルサレムくんだりまで出かけなくても、ローマに巡礼するだけで全く同じ神の許しが得られます、と宣言したのです。だったらわざわざ遠くまで行かなくてもいいじゃん。おー、何というご都合主義。でも、現実的な解決策ではありますよね。

今でもエルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地として争いが絶えません。現実的な解決策はないものでしょうか。

 

 

塩野 七生十字軍物語1』新潮社

十字軍物語(1)

十字軍物語(1)

価格:2,625円(税込、送料別)

 

こちらが『絵で見る十字軍物語』に続く本編です。本書ではいわゆる第一次十字軍の様子が詳しく描かれています。

本書では十字軍が出発する以前のローマ法王庁をめぐる歴史についても多くのページが割かれています。11世紀後半のカトリック教会にとっての大きな事件はあの「カノッサの屈辱」です。神聖ローマ皇帝ハインリッヒを法王グレゴリウス7世が破門した事件です。ハインリッヒはあわれ裸足でグレゴリウスの居た冬のカノッサ城の庭に立ちつくすことになりました。で、破門は解かれたのですが、ここからハインリッヒの復讐が始まったのだそうです。十字軍を提唱した法王ウルバン2世のころには、法王は、ハインリッヒの擁立した対立法王の居るローマに足を踏み入れることすらできなかったそうです。

そのような政治情勢の中、法王の権威を復活するための試みとして聖地奪還のための十字軍が取り上げられたわけです。法王の権威を高めるために、異教徒を排撃しろ!というわけです。国内政局が苦しい時には外に打って出る、というのは古今東西よくある話のようです。

ということで始まった十字軍、3年もの年月をかけた末にエルサレムの開放を成し遂げます。が、都市としてのエルサレムを手に入れたとしても、それをキリスト教圏として維持していくのは別の問題です。落下傘部隊のように東地中海の覇者となった十字軍ですが、実は兵力の減少に悩まされていました。十字軍の親分連中は多くがヨーロッパ出身の領主で、その手先となって働く兵力は同じ地方出身者で占められていました。少数精鋭で戦っていた十字軍ですが、いかにうまく戦ったとしても長期間の戦闘では兵力の損耗は避けられません。そして、兵力の補充は不十分。

第一次十字軍のころは単なる領土拡張のために戦争を仕掛けられたと思っていたイスラム側も事情を理解するにつれて軍備も整え、共闘体制もとるようになります。イスラム側にとってはホームで戦う訳ですからアウェイで補給の不十分な十字軍側より有利です。

ということで、この後200年も続く十字軍の物語の第1幕は十字軍側に不安の種を残したまま幕を下ろしたのでありました。  

 

 

太田 光マボロシの鳥』新潮社  

【送料無料】マボロシの鳥

【送料無料】マボロシの鳥

価格:1,575円(税込、送料別)

天才漫才師太田さんが満を持して出版した処女作です。9編の短編から構成されています。お互いに関連性のない物語ですが、共通して感じられるのは太田さんの芸風でもある過剰なまでの饒舌性でしょうか。テレビなどで太田さんを見ると、何の音もしない空白の時間を嫌い、とにかく何でもいいから話をしていないと気が済まないような感じがします。文章を書く際にもそのような癖が出てしまい、つい過剰なまでの言葉、文字を詰め込もうとしているような気がします。さまざまなスタイルの文章に挑戦していますが、最後のところで太田さんのクセが目立ってしまった、と言うところでしょうか。

私は漫才師としての太田さんは大好きですが、作家としての太田さんには……。ご自宅もご近所のようですし、今一度頑張ってほしいと思います。

 

 

齋藤 智裕KAGEROU』ポプラ社

【送料無料】【入荷予約】KAGEROU

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価格:1,470円(税込、送料別)

 

ご存じのとおり、齋藤智裕とはイケメン俳優の水島ヒロさんの本名です。人気絶頂の俳優が売れっ子歌手との結婚から間もなく俳優業を辞めて文筆業に、なんて言い出したものですから、どーせ、と思っていたのですが、あらま、本気だったのね。

冒頭からいささかSFチックなお話が展開されていきますが、その展開は良い意味で意外。重いテーマですので、扱いをひとつ間違えると陰鬱な話になってしまうところですが、齋藤さんは意外なほどの透明感を持って物語を進めていきます。間違っても国語の試験には出そうにないあいまいさを残した結末にはさまざまなとらえ方がありそうですが、読後感は悪くない。

齋藤さんはイケメンで奥さんは美人で歌のうまい歌手(おまけに料理まで上手らしい)、一流大学卒業でなおかつ高校の時は全日本クラスのサッカー選手。おまけに今度はポプラ社小説大賞受賞。完璧すぎ。こんな人とはお友達になりたくない。私が勝つ余地がないではありませんか。キーッ、グヤジイ。

悔しいけれど、次回作も期待させてくれそうな齋藤さんです。ぜひご一読を、ってもう何十万部も売れちゃってるか。

 

 

 

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